広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二です。
私の父は元海軍将校で、戦後は海上自衛官をしていました。母は資産家の娘でしたが、男の子供を大切にする祖父は、嫁に出したあとの娘への援助はしてくれませんでした。
双子の子供をもった母親の口癖は、「二人に大学を卒業させるためには100万いるので、貯金するために節約しよう」でした。今でも弟とその頃の話が出ます。
計算すると、私が入学した岡山大学は学費が年12,000円でしたから6年で72,000円かかったことになります。仕送りは月30,000円でしたから、6年で2160,000円になります。
弟は千葉大学でしたから関東だという理由で仕送りは月40,000円でした。当時の父親の月給が20万だと考えると、それが限界だった気がします。
高度成長期にあったその頃は、なかなか将来の学費などの計画が立てにくかったのでしょう。二人の息子が医師となり結婚した後は、母にもつかの間の自由な時間があったような気がします。
その後父が病気し亡くなるまで献身的に介護し、ふたたび自由が来たときは年老いていました。海外はおろか国内の旅行すら行かなかった母は、今呉の施設に入所しています。
昨日は、フライケーキを半分おいしそうに食べてくれました。残りはいつでもつまめるようにおいておきました。
親が子供にしてあげられる時間は長くても、子供が親にしてあげられる時間はそれほどないものだと今になって思います。
広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二でした。


