懐かしい光景 | 広島で乳がん治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二のブログ

広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二です。

 

 映画は、私たちをタイムスリップの旅に連れていってくれます。私が大学6年間、そして医師となって1年間、お世話になった下宿は6畳間に小さな台所がついていました。

 トイレは共同で、お風呂と洗濯機は家主さんのものを使わせていただいていました(確か、風呂は平日18時から20時まで、洗濯機の使用は平日午後と制限されていました)。家賃は月8000円でした。

 ちなみに、親からの仕送りは月30000円でした。月1000円の授業料や本代などは自前でしたから、家庭教師などのアルバイトをしていました。

 部屋には扇風機と炬燵、ファンシーケース、そして本箱ぐらいしかありませんでした。そのため冬以外は、窓は解放されていました。

 衣服は、ファンシーケースに入るだけしか持っていませんでした。テレビもない部屋には絶えず、誰か友達が来てだべって帰っていました。

 スマホもPCもなかったので、私たちの趣味は映画に行ったり、飲みに行ったり、あとは麻雀など友人と接して時間を過ごしていました。

 学生運動が激しい時期でもあり、友人との話題についていくために、新聞は可能な限り隅々まで読んでいました。1979年のATG映画「もう頬づえはつかない」は、私を過去にタイムスリップさせてくれました。

 そこには、懐かしい下宿の風景がありました。

 

広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二でした。