亡き父の教え子 | 広島で乳がん治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二のブログ

広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二です。

 

 50代後半だったその方に、私が乳がんの手術をしたのは14年前でした。その後、お母様も乳がんになられたので、広島市民病院にお願いしました。

 その方は若いころ、ご苦労されたようです。中でも、弟さんの面倒は親代わりにみてこられたようです。

 その弟さんが海上自衛隊の幹部だとお聞きしたので、私の父のことをお尋ねしました。私の父は海軍兵学校を卒業後、ゼロ戦のパイロットでしたが、終戦後は結核で長期間療養したのちに海上自衛隊に入隊しました。

 そして晩年は、自分が卒業した江田島の海軍兵学校の跡地にできた第一術科学校の教官をしていました。そこで、その患者さんの弟さんに「檜垣保雄」を知っているかと聞いてもらいました。

 すると、教わったのでよく覚えているとのことでした。世の中はこのように人が繋がっていくのかと思いました。

 

広島で乳がんの治療をしているひがき乳腺クリニック院長・檜垣健二でした。