メメント・モリ ~アラフィフ・わたしの終活日記~

メメント・モリ ~アラフィフ・わたしの終活日記~

メメント・モリ(memento mori)は、ラテン語で「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘るな」「死を忘ることなかれ」。50歳を目前に終活を始めたわたしの座右の銘です。

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今日は亡き愛犬のお誕生日・・・生きていてくれたら今日、17歳を迎えるはずでした。

 

10歳の記念に知り合いの彫刻家の方に等身大の愛犬の像を作って貰いました。

彼は「20歳のいねちゃんも作るのを楽しみしていますね」と言ってくれていましたが・・・約束は果たせませんでした。

 

去年の今日、撮った記念写真。

今日も同じように撮りたかった。

撮るはずだったのに。

 

17歳になったね。おめでとう。

お祝いしたいのにどうして居ないの?

 

これからも大好きだからね。

 

ママンが行くまで虹の橋の麓で待っていてちょうだいね。

私は2018年10月から2022年9月末までパンダファンでした。

 

 

2018年10月、なんとなく計画した白浜旅行で、当時公開直後の赤パン、彩浜にほれ込んでしまい、そこからパンダ沼にズブズブとはまっていったのでございます。

 

その旅行は夫と行ったのですが、その後、一人で半年に一度のペースで東京から白浜のアドベンチャーワールドに通う程、パンダファンの道を邁進しておりましたの。

 

ちなみに私は22年の7月頃に大腿骨頭壊死を宣言されたのですが、その時に私が「ああ、じゃあもう趣味の動物園巡りは出来なくなってしまうんですね・・・」と呟いたところ、医師は「いやぁ、動物園に行く位全然大丈夫ですよ!!」と朗らかにおっさったのですが・・・

 

先生よぅ!(ここは昭和の「スクールウォーズ」の大木大介調で読んで欲しい!)

 

私の「動物園巡り」っつーのはさ、

 

朝7時半頃の羽田発南紀白浜便に乗って、開園まで約45分間、ゲート前で一番前を死守しつつ立って待ち、10時開演と同時に入場したら2か所あるパンダラブとブリーディングセンターを往復しまくること約7時間、その合間にもお気に入りのナマケモノさんとエミューさんに挨拶に行き、ナマケモノさんに至っては起きているタイミングを狙って何度もお伺いを立てに行く・・・

そして17時の閉演を待って南紀白浜空港に戻り、東京までとんぼ返りをする・・・

 

というのが私の動物園巡りなんですがね!!

 

大丈夫ですか?これ?

 

だいじょーぶですかーこれー?!

 

まあ私は良識ある(仮にも)元医療人なので、自己判断でこれはムリ、と判断して、診断後には動物園に行っていないですけど。

 

ああ、さておき。

 

昨年、9月末に最愛の我が愛犬を失った瞬間、どういう訳かパンダへの情熱もふっと消えてしまいまして・・・私のパンダファンの期間は幕を閉じたのであります。

 

で、私がパンダファンになったのが2018年の秋なのですが、実は悲しいかな、この時まで、本場中国ではパンダの抱っこが出来たそうなのですよ。

まあそれ相応にかなりのお銭が必要だったようですが。

 

どうやら人の風邪がパンダに感染したとかで、この時からパンダ抱っこはご法度になったそうです。

 

そして私がパンダへの愛を募らせてその中国に遠征したのが翌年2019年7月でした。


・・・当然パンダ抱っこは叶わず・・・

 

でもまあそれも縁だったのでしょう。当時は歯ぎしりするほど悔しかったのですが、今となってはなんだか淡々と受け止めることが出来ます。ああ、やっぱりパンダファンを引退したからですかね・・・

 

ただ、その度では「パンダさんの飼育体験」という素敵なツアーがあり、凄く楽しめました。

運よくそのツアーは最初から最後まで我が家二人だけのプライベートツアーのような感じで、ガイドの人と沢山おしゃべり出来たのも良い思い出です。

ああ、あのガイドさんはコロナ渦、どうされたのでしょうか・・・

 

こんな近くでおやつをあげることも出来ました。

それはそれは大きくて、やっぱり「熊」って感じでしたね。

そしてとても我儘でしたw 国宝、甘やかされ過ぎ。

 

 

まあ、抱っこの夢はかないませんでしたけど、これで十分です。

こういうのも今後は出来るのかどうか怪しいですよね。

何しろ「国宝」のパンダ様ですから・・・

 

実はこの7月は先の記事にあったニューヨーク旅行に行った月でした。

ひと月に二回も海外旅行なんてちょっと飛ばし過ぎかなー

中国、近いんだし、いつでも行けるからまた今度にしようかなー

なんて言っていたのですが、夫が「そんなこと言ってると結局行かないで終わっちゃうよ」と言ってきて・・・ちょっと無理して行ったのですが、本当に大正解でした。

 

行きたいと思った時が行く時なのだと、今しみじみ思います。

これが実現したのは2019年の7月。

ニューヨーク旅行でした。

 

 

勿論お金を出して航空券を買った訳ではありません・・・

マイル利用の特典航空券で利用しました。

 

その後、「超」改悪されてしまったのですが、この時は必要数は多いとはいえ、ニューヨーク便ファーストクラスは片道7万マイルでした。

 

それにつけてもとにかくやりたいことがあったら「時間が出来たら」とか「そのうちに」とか先送りせずに「今ッ!」という勢いでやっておくべきだと、この3年で学びましたねぇ・・・

 

この時、羽田~ニューヨークをファーストクラスにして、帰りの便をビジネスクラスで予約しました。

 

結論から言うと、なんか、もうビジネスクラスで十分だなーという印象。

 

私はお酒が飲めないので、高級なシャンパン(サロン?)も豚に真珠、ナマケモノにスニーカーみたいなもんでありまして。

 

この時のちょっと前、以前の都知事が各方面への移動で贅沢しまくって叩かれ辞めるという事態になっていたのですが、その方はファーストクラスが大のお気に入りだったようですね。

 

あ、これはファーストクラスじゃないと出来ないものかもしれないですが・・・

 

 

ファーストクラス名物キャビア丼!!

 

 

・・・しょっぱい タラー

 

 

万年エコノミークラスで、本当に一度味わってみたい世界だわ!と思っていたので、一度でも経験出来て本当に良かったなーと思います。

 

一通り調べたと思った死後の手続き。

 

ところがどっこい大事なことを忘れておりました!

年金の手続きですね。

 

これは日本年金機構の電話相談窓口で(意外とちゃんと)教えて貰えます。

年金手帳を用意しておいて下さいね。

年金番号を伝えると年金の納付状況もすぐに調べてもらうことが出来ます。

 

いや、正直、電話ではそんなに詳しく教えてくれんだろう、と高をくくっていたのですが・・・

 

ちなみに私の場合は「一号被保険者として納付していた時期が36ケ月以上ある」ので、申請をすれば死亡一時金が支払われるそうです。

12万円~32万円ほどだそうです。私は多分一番安いんだろうな・・・

 

□ 国民年金死亡一時金請求書(HPより印刷)

□ 死亡日付のある戸籍謄本

□ 世帯全員の住民票の写し

□ 死亡者の住民票の除票(住民票の写しに含まれていれば不要)

□ 一時金受け取り口座の通帳のコピー

 

上記を揃えて記入の上、居住地域担当の年金事務所に郵送する。

 

ちなみにこの申請は死後2年以内が期限となります。

 

いやしかしなんですね、年金に限らすお金を徴収する時は有無を言わせずに巻き上げる癖に、支給になった途端、やたら面倒臭い手続きを要求するって、ほんとに越後屋、オマエは悪じゃのう・・・って感じですよね、まったく。

(あーこれ、ヤングには分からないやつ)

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

さてさて。

 

多分これで一通りの手続きがまとめ終わったと思うんですけど、もしまた忘れていたことがあったらちょいちょい記録していこうと思っております。