昨日の記事にはたくさんのいいねをありがとうございました。







今日は、昨日の記事にちょっと補足っていうか、私が伝えたかったことを書きたいと思います。







昨日の記事では、




高校時代不登校だった知り合いの娘さんが、

いつかのために、何かのために、
どっかで役立つかもしれないから、
今とりあえず勉強するなんて、
まったく建設的じゃない。
だから大学はやめる。
やりたいことが出てきたら、その時それを勉強する。

と言って簡単に京都大学を辞めちゃって、


頑張らないことを選択して、枠にとらわれない生き方を選んだことを書きました。







そのご両親も、自分で納得いく決断をした娘さんに対して、



自分の人生歩いていけばいいから、オレはまったく子どもに不安はない。
もしそれで失敗して、「やっぱり私の選択間違えてたー!」って泣きついてきても、ヨシヨシって言ってやればいいし、おもろいしかわいすぎるから、もう好きにさせてるねん爆笑


と、おっしゃってたってことを書きました。







で、今日補足したいなあって思ったのは、


私が書きたかったのは、その娘さんの選択や価値観が素晴らしい!って伝えたかったのではない。ということです。


今日はそれについて書きます。







もちろん昨日の記事の娘さんは素晴らしいです。

でもそれは、生き方のひとつの選択肢。






きっと多くの人は、



「学校でトップを目指す」
「学校大変だけど必死で通う。」

これを当たり前に、一生懸命に生きてると思います。






これもまたその生き方をしてる人が信じる正義で、その方にとってのたった1つの正解で信念なんだから、


それは違う!それは間違ってる!
今からの時代に合わない!

って他人がジャッジするのはちょっと違って、


そんな自分の信じる生き方をしてたら、それも素晴らしいのです。






私は、


「必要な時に必要な勉強をすればいい」と言って枠に囚われない生き方を選ぶ娘さんも素晴らしいと思うし、


「いつか何かの役に立つかもしれないからって頑張って必死で学校に通って、枠の中でがんばる」人も素晴らしいと思います。






不登校のお母さんって、「頑張らない」「学校に行かない」ということを選択している子どもを受け入れるようになると、




今度は、「頑張ることが正しいなんて間違ってる!」「そんなしんどい生き方残念だ。」


って、次は真逆の価値観に変わるって多いと思います。






それは、「あっちが間違ってる!」って思わないと、「こっちが正しい」ということにならないからチュー



不登校でいいんだ!という自分の気持ちを正当化するために、反対の価値観をディスるって感じです。




人はいつも正しいことをしてたいって思うから、反対側の人を間違ってるんだってことにして、私は合ってるって言いたいのです爆笑







私が書きたかったのは、


これは正しいとか間違ってるとか、親の物差しでジャッジしないで、娘さんの価値観を丸ごとそのまま受け入れてる、そのお父さんが素晴らしいキラキラ


って思って記事を書きました。






頑張りたいなら頑張ってもいいし、今やりたくないならやらないのもいい。


子どもが決めたことなら、どんな選択も受け入れよう。


それこそが信頼して受け入れる、対等の人として尊重するってことなんだろうなあと思います。



私が社長のお話を聞かせていただいて感動したポイントはそこでしたウインク






一応、昨日の記事の補足として書かせていただきました。



星星星星星星星星星星



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