古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜 ② | 古村勇人オフィシャルブログ Powered by Ameba

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おはようございます。古村勇人です。

東京に戻ってきてから、新年のご挨拶や打ち合わせを中心に動いています。

 

富山での冬休み中には、いつも応援して頂いているたくさんの方とお会いしましたが、丘みどりさんのNHK紅白歌合戦の話題が続きました。きっと万感の思いだったでしょうね。デビュー13年目にしてつかんだ夢舞台、噛み締めるように熱唱していた姿が印象的でした。というわけで、今日は『古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜』での朗読劇の模様をお届けします!

 

『古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜』開催決定!!-1

 

朗読劇『夢二恋歌 〜永遠のひと〜』

 

鼻筋の通った細面。憂いを含んだ黒目に、かすかに開いた口。透けるような白い肌。大きな黒猫を抱きかかえたこの和服美人の絵は、皆さんもご覧になったことがあるでしょう。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-28

 

えっ、知らない?実は、企画中にはそんな声もあって驚いたのですが、この歌を口ずさめば、ほとんどの方が分かってくれました。

 

 待てど暮らせど来ぬ人を

    宵待草のやるせなさ

 

大正時代。一人の男の芸術が、新しい時代の扉を開きました。画家、詩人として注目を集めた竹久夢二。彼が描く叙情的な美人画は「夢二式」と呼ばれ、一世を風靡し、すべての女性、そして、男たちの心をもとらえたのです。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-29

 

今回はどんなショーにしようかと頭を悩ませていた昨春、あるお誘いを受けて宇奈月温泉へ行きました。現在では、北陸新幹線も停車するトロッコ電車で有名な富山の観光地です。その時に、昔から好きだった竹久夢二が逗留したことを知りました。

 

それをきっかけにいろいろ調べてみると、富山や北陸との繋がりがたくさん出てきたんですね。そして、晩年のある一枚の絵を見た時、今年は竹久夢二をテーマにした朗読劇をしようと決めました。さあ、ここからは五ヶ月かけて書き上げた物語のあらすじと名場面の写真でお楽しみ下さい!

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-30

 

1884年(明治17年)、竹久夢二は岡山県に生まれます。画家を志して、家出同然に上京。新聞や雑誌に挿絵の投稿を重ね、徐々に世間に認められていきます。そして、23歳の時、絵はがき屋の女主人と出会います。2歳年上の未亡人・たまき。夢二は毎日のようにその店に通い詰め、翌年には二人は結婚します。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-31

 

夢二はたまきをモデルに何枚もデッサンを描きました。そして、この日々こそが「夢二式」の美人画の原型を生み出したわけですが、二人の関係は、もうめちゃくちゃ。離婚しても数年間に渡って同居と別居を繰り返し、長男に続いて、二人の子供をもうけているのですから。その上、たまきが浮気をしているのではないかと嫉妬に狂った夢二は逗留中の富山まで呼び出し、宮崎海岸で腕を刺すという事件まで起こします。

 

たまきから始まった絵のモデルのほとんどが、夢二の恋の相手でもありました。竹久夢二は恋の数だけ絵を描き、絵の数だけ恋をしたそんな男だったのです。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-32

 

竹久夢二の代表作『黒船屋』。この絵には、夢二の技量と努力、魂のすべてが込められています。夢二の前でポーズをとったのは「およう」と呼ばれた16歳の娘でした。しかし、夢二はおようの向こうに、明らかに別の女性の姿を見ていたのです。

 

1914年(大正3年)、夢二は自らがデザインした絵はがきや便箋、千代紙などの小物や日用品を販売する「港屋絵草紙店」を開きました。その世界観には「乙女」という言葉がぴったり。またたく間に夢二ファンで賑わうその店に、足繁く通う一人の女性がいました。18歳の美大生・笠井彦乃です。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-33

 

ブログでは事前にお知らせしていたとは言え、丘さんが歌よりも先にこのような形で登場することは意外だったかもしれません。それだけに、丘さんが登場した瞬間、客席は大きな拍手に包まれました。

 

 彦乃「初めまして。笠井彦乃と申します。

    夢二先生、私の絵を見て下さい!」

 

 夢二「君は…。」

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-34

 

画家になりたいという彦乃に反対し、店の商品ばかり描いていたら、本当に描きたい物が描けなくなってしまったと打ち明ける夢二。彦乃の清純で可憐な美しさに魅せられた夢二は、笑顔を取り戻します。これがひと回りの年の差を越えた恋の始まりでした。この絵が描かれる5年前のことです。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-35

 

 いのち短し  恋せよ少女

    朱き唇  褪せぬ間に

 

彦乃に夢中になっていく夢二は、まさにそんな思いだったのではないでしょうか。つぶらな瞳で見つめてくれる丘さんにドキドキしながら(笑)、大正時代に流行した『ゴンドラの唄』を歌いました。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-36

 

 夢二「彦乃、私のそばに一緒にいてくれ。」

 

 彦乃「…はい!」

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-37

 

道ならぬ恋。二人の仲を知った彦乃の父は大激怒。すぐさま彦乃に夢二と会うことを禁じました。1917年(大正6年)、失意の中、夢二はひとり京都へ向ったのですが、二人は暗号を使って手紙を交わします。山と川。夢二は彦乃を「山」と呼び、彦乃は夢二を「川」と呼びました。そして半年後、夢二と彦乃は京都で再会し、一緒に暮らし始めるのです。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-38

 

 彦乃「夢二先生とやっと会えた。一生のうちでまたとない日。

    こんなにうれしい日はこれまで覚えがないわ!」


同棲を始めて二ヶ月後、夢二と彦乃は北陸の旅へ出かけます。金沢で開いた展覧会には彦乃も出品し、湯涌温泉では初めて既婚女性の髪形である「丸髷」に結って記念写真を撮りました。きっと生涯で最高の時間だったに違いありません。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-39

 

 彦乃「夢二さんはいつまでたっても好きな人だと思った。

    好きだというより離れられない人だと思った。

    私は何て幸せなんだろう。」

 

すうっと役に入り込むというのでしょうか。森進一さんの『北の蛍』を女の情念たっぷりに歌い上げる丘さんを見て、きっと芝居も上手な人なんだろうなとは思っていましたが、もう完全に彦乃になってくれていました。見事な演技にどんどん引き込まれていったのをはっきりと覚えています。

 

しかし、その幸せは長くは続きませんでした。結核で倒れた彦乃は父親に連れ戻され、夢二と引き裂かれてしまったのです。面会を禁じられ、なす術もなく憔悴する夢二。悶え苦しみながら制作したのが、この最高傑作と言われる「黒船屋」でした。黒猫は夢二自身、すがっているのは理想の女。モデルはおようであっても、夢二が本当に描いていたのは、会いたくても会えない彦乃だったのではないでしょうか。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-40

 

 彦乃「私は静かになれました。

    どうぞ心おきなくあなたのお仕事を大切にして下さい。

    …逢いたいけれど…。」

 

そんな手紙を手にした夢二はすぐさま病院に駆け付け、彦乃の父と部下を払いのけて病室に入り込みます。目の前にいたのは、瀕死の状態の彦乃でした。

 

 夢二「お前と連れ添ってから、

    私はお前の若い夢を全部食べてしまった。

    お前の涙も飲み干してしまった。

    彦乃、どうか許してくれ。」

 

 彦乃「…ごめんなさい。先生、私ね、私…。」

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-41

 

1920年(大正9年)、彦乃はわずか23歳という若さで、その短い生涯を閉じました。あの「黒船屋」が完成して間もなくのことでした。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-43

 

 待てど暮らせど来ぬ人を

    宵待草のやるせなさ

       今宵は月も出ぬそうな

 

 夢二「助けてくれ、彦乃。私はもう何も描けない。

    お前が死んだ時、私も死んだんだ。」

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-44

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-42

 

この場面では、悲しみに暮れながら『宵待草』を熱唱しました。この詩は、恋多き夢二が別の女性との実ることのなかったひと夏の恋を詠んだものですが、竹久夢二という男は、一体誰を待ち続けていたのでしょうね。場当たり稽古の写真にも写っていた背景のこの絵は、夢二による同名の作品です。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-45

 

最愛の彦乃を失い、絶望する夢二。悲しみのあまり絵筆が持てなくなった時、朝焼けとともに彦乃が現れます。待ってくれとすがりつく夢二。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-46

 

 彦乃「描いてちょうだい。私を描いてちょうだい。

    私、先生と一緒にいられて幸せだったのよ。

    …ありがとう。先生。」

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-47

 

優しく微笑む彦乃のその言葉に、夢二はこう答えます。

 

 夢二「彦乃!分かった。描き続ける。

    私は夢二の、竹久夢二の絵を描き続ける!!」

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-48

 

その後、夢二はおようをモデルにして、数多くの作品を手掛けたのですが、それまでの作品とは異なり、背景には必ず山が描かれました。そう、山と川。そこには、かつて山と呼んだ「永遠のひと」の姿が重ねられているかのようです。

 

夢二には困ったもので、実際にはこのおようともまたいろいろあったわけですが、死ぬまで外すことのなかった指輪にも彦乃の名前が刻まれていたことには驚きました。このエピソードにも夢二の人間性が現れているような気がします。

 

そして、晩年の夢二が描いたある屏風の裏側には、こんな一遍の詩が記されています。

 

 山は歩いてこない。やがて私は帰るだろう。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-49

 

昭和に入ると、夢二はアメリカやヨーロッパ、台湾にも訪れています。今回のディナーショーで、明治、大正を描くなら、昭和も取り入れたい。そんな思いで、最後は昭和初期のヒット曲『蘇州夜曲』で締めくくりました。

 

 こよい映した  ふたりの姿

    消えてくれるな  いつまでも

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-51

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-52

 

夢二が生涯をかけて愛した永遠のひと・彦乃への思いを込めて。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-53


その後は、高岡市の観光大使「高岡万葉大使」を務める藤間柚奈見こと、津田奈由子ちゃんに『お江戸日本橋』を踊ってもらいました。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-54

 

3歳から始めた日舞の腕前は本物。朗読劇でたまきを演じてくれたのも彼女です。プロ顔負けの演技でよく頑張ってくれました!

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-55

 

ちなみに、冒頭で、ある一枚の絵を見て竹久夢二の朗読劇をしようと決めたと書きましたが、じゃーん、その絵はこちらです!『立田姫』という晩年の夢二の作品で、こちらにも背景に山が描かれているのですが、こう見ると、丘さんにそっくりですよね(笑)。

 

古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜-56

 

大忙しのスケジュールで稽古時間はほとんどありませんでしたが、その分、丘さんが台本をしっかり読み込んでくれていたことはすぐに伝わってきました。芝居はキャッチボール。劇中の写真を見れば、自分がどれだけ相手役に引き出されていたのかも分かります。それほど素晴らしい演技で、竹久夢二にとってのミューズ、笠井彦乃役を演じてくれた丘さんには感謝の思いでいっぱいです。歌っている時とはこれまた雰囲気の違う丘さんの可憐ではかない表情が印象的でした。本当に有難うございました!!

 

『古村勇人トーク&ライブ 〜丘みどりを迎えて〜』はまだまだ続きます。後半のオンステージのレポートもお楽しみに。

 

それでは、今日はこれから歌のレッスンの稽古始めに行ってきます!

 

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