ウォルト・ディズニー(1901年―1966年)は、アメリカ合衆国のイリノイ州シカゴに生まれたアニメーション作家、アニメーター、プロデューサー、映画監督、脚本家、漫画家、声優、実業家、エンターテイナーである。
世界的に有名な、アニメーションキャラクター「ミッキーマウス」をはじめとするキャラクターの生みの親で、『ディズニーリゾート』の創立者である。
兄のロイ・O・ディズニーと共同で設立したウォルト・ディズニー・カンパニーは、数々の倒産、失敗を繰り返すも、350億ドル以上の収入を持つ国際的な大企業に発展した。
本名はウォルター・イライアス・ディズニーで、一族はアイルランドからの移民である。姓の「ディズニー」は、元々「d'Isigny」と綴られ、フランスのノルマンディー地方のカルヴァドス県のイジニー=シュル=メールから、11世紀にイギリスやアイルランドに渡来したノルマン人の末裔であることに由来して、後に英語風に直されて「ディズニー」となった。
「イライアス」は父名で、共和党を支持し、右派として知られていた。更に、自費で 『空軍力の勝利』 などの極右的なプロパガンダ映画を多数制作していて、虐殺のきっかけを作っていたと近年非難されている。
彼は、ユニオン・パシフィック鉄道の鉄道員で、カナダ生まれのイライアス・ディズニーと、ドイツ人とイギリス人の血を引くフローラ・コールの4番目の子としてシカゴで生まれた。
父のイライアスは、元々カリフォルニア州で金鉱を探して暮らしていたが、妻のフローラのために定職を求めて、カンザスやフロリダ州に移り、後に仕事の関係でイリノイ州シカゴへと移住していた。
しかしウォルトが幼い時に、一家は叔父のロバート・ディズニーの住むミズーリ州マーセリーンへ更に引っ越して農業を始めたので、結局の所はミズーリ州で少年期を過ごす事になった。
父親のイライアスは、この地においても農業に失敗して、数年後に家族を連れて同地を去った。
イライアスとフローラは、息子4人と娘1人を儲けたが、父親のイライアスは子供達に対して愛情に欠けた厳格な態度で接していた。
ウォルトとロイが1920年代に成功をおさめても、彼らに対して冷やかな態度は変わらなかった為に、ディズニー親子は長年距離を置いて交流はしなかった。
イライアスはリタイアするまで転職を重ねたが、結局結婚する前に金鉱で働いて小金を得た以外は、どの仕事に就いても成功出来ず、妻のフローラに苦労を掛け、1930年代後半にウォルトやロイが破格の成功をおさめた後に、彼らが両親を呼び寄せロサンゼルスに豪邸をプレゼントするまでは貧しい生活を送っていた。
ディズニー一家の畑の近くには、サンタ・フェ・パシフィック鉄道が走っていて、その鉄道の走る音が好きだった。
アルバイトで、鉄道構内で新聞やポップコーンを売る仕事をしていたこともある。後に持ったウォルト自身の家では、8分の1スケールのミニチュア鉄道を庭に走らせていたが、そのミニチュアの汽車に乗って遊ぶのがウォルトの一番の趣味だった。
少年時代から絵を描くことや、アートそのものに大変興味があって、7歳の時には自分の描いた小さなスケッチを近所の人たちに売っていたこともあった。
学校では勉強をしながらも、動物や自然などの様々な絵を描いていた。
ウォルト・ディズニーは、アメリカのアニメーション作家、アニメーター、プロデューサー、映画監督、脚本家、漫画家、声優、実業家、エンターテイナー。「ミッキーマウス」をはじめキャラクターの生みの親で、『ディズニーリゾート』の創立者である。
人間の生き方について彼は語っている。
「夢をかなえる秘訣は、4つの「C」に集約される。それは、「Curiosity – 好奇心」「Confidence – 自信」「Courage – 勇気」そして「Constancy – 継続」である」