人間の生き方 | 作家 福元早夫のブログ

作家 福元早夫のブログ

人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

 画家の岡本太郎(1911―1996)は、 1940年に、戦時体制下の日本に帰還する。間もなく初年兵として徴兵されて戦場へ。

 自由の国であったフランスから、対極的な軍国主義の闇に投げ込まれる。戦後、青山の家は空襲で焼け野原に、アトリエもパリ時代の作品も、すべてを失い、ゼロからの出発だった。

 

「明日の神話(あすのしんわ)」について

 長さ30メートル、高さ5.5メートルの巨大壁画『明日の神話』は、岡本太郎がメキシコシティに建築中のホテルから依頼されて、1968年から1969年に制作されたものである。


 ところが、依頼者の経営状況が悪化して、そのホテルは未完成のまま人手に渡った。壁画はその際に取り外されて、メキシコ各地を転々とするうちに、行方がわからなくなった。

 

 2003年に、メキシコシティ郊外の資材置き場に、保管されていた無惨な状態の『明日の神話』が、岡本敏子によって奇跡的に発見された。

 

 描かれているのは、原爆が炸裂する悲劇の瞬間である。この作品は、単なる被害者の絵ではない。

 人は残酷な惨劇さえも誇らかに乗り越えることができる、そしてその先にこそ「明日の神話」が生まれるのだ、という岡本太郎の強いメッセージが込められている。


『太陽の塔』と同時期に制作されて、“塔と対をなす”といわれるこの作品は、岡本太郎の最高傑作のひとつであって、岡本芸術の系譜のなかでも、欠くべからざる極めて重要な作品である。

 

 だが、長年にわたって劣悪な環境に放置されていたために、作品は大きなダメージを負っていた。そこで、(財)岡本太郎記念現代芸術振興財団は、この作品を日本に移送して、修復した後に、広く一般に公開する『明日の神話』再生プロジェクトを立ち上げた。

 

 2005年に、日本に輸送されて、愛媛県で修復作業が始まった。2006年6月に修復が終わり、完成から37年、発見から3年の歳月を経て、再び『明日の神話』はその輝きを取り戻した。

 

 2006年7月に、汐留において初めて行われた一般公開では、50日間という短期間の中で述べ200万人の入場者が集まった。
 2007年4月27日から2008年6月29日まで、東京都現代美術館で特別公開されて、2008年3月に、渋谷に恒久設置することが決定して、同年11月17日から、渋谷マークシティ連絡通路内において公開が始まった。

 

「設置の意図」

『明日の神話』を渋谷に招聘したのは、古き良きものと先端が共生する街、東京メトロ銀座線・半蔵門線・副都心線、京王井の頭線、東急東横線・田園都市線のターミナル駅として、人・モノ・情報を街に運び、街と街、人と人を繋ぎ、伝統とサブカルチャー、デジタルとアナログ、様々な顔をもつ渋谷は、岡本太郎の聖地である南青山へと続き、時空を超えて、思いを語り継ぐ場所である。

 

 人々のエネルギーを受け止める事によって、増幅される『明日の神話』の不思議な力が、街を行き交う一人ひとりに、未来へ向かうエネルギーとなって戻ってくる場所を提供できるのは、「渋谷」「しぶや」「SHIBUYA」だけである。

 

 人々が往来する公共的空間に、恒久設置して、新しく生まれ変わる渋谷のエネルギーと重なることでさらに力を増して、それによって『明日の神話』は東京の、そして日本の最高の文化的シンボルのひとつになり得る。

 

  1940年、画家の岡本太郎は戦時体制下の日本に帰還する。間もなく初年兵として徴兵されて戦場へ。自由の国・フランスから対極的な軍国主義の闇に投げ込まれる。

戦後、青山の家は空襲で焼け野原に、アトリエもパリ時代の作品も、すべてを失い、ゼロからの出発だった。

 

 人間の生き方について彼は語っている。

「人生はキミ自身が決意し、貫くしかないんだよ」