人間の生き方 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

 ジェームズ・アーサー・ラヴェル・ジュニア1928年3月25日 - )は、アメリカ合衆国の元宇宙飛行士海軍飛行士、機械技師である。

 

 1968年に、アポロ8号司令船操縦士として、人類初の月周回飛行に成功した3人のうちの1人となった。

その後に、1970年アポロ13号に船長として搭乗して、途中で重大な故障が発生したものの、月を一周して地球に帰還した。

 

 ラヴェルは、1965年ジェミニ7号1966年ジェミニ12号にも参加している。4回も宇宙飛行を行ったのは、ラヴェルが史上初である。また、月への飛行を、2度行ったのも初めてである。

 

 彼は、1928年に、オハイオ州クリーブランドで生まれた。父はカナダ・オンタリオ州生まれで、石炭炉のセールスマンだったジェームズ・ラヴェル・シニアで、母はチェコ系のブランシェだった。

 父は、1933年に交通事故で死亡した。2人の間の子供はラヴェル1人であった。

 

 ラヴェルと母親は、インディアナ州テレホートにある親戚の家に、約2年間住んでいた。その後に、母と一緒にウィスコンシン州ミルウォーキーに移り住み、ジュノー高校を卒業した。

 幼少期はボーイスカウトに所属して、最終的にボーイスカウトの最高位であるイーグルスカウトを達成した。

 

 少年時代のラヴェルは、ロケットに興味を持ち、ロケットの模型を作って飛ばしていた。高校卒業後は、ウィスコンシン大学マディソン校に入学して、1946年から1948年までの2年間、同校の海軍飛行士訓練プログラムに参加した。

 

 マディソン大学では、フットボールをプレーして、フラタニティ組織アルファ・ファイ・オメガに入会した。

 

 ラヴェルが飛行士訓練に参加していた1948年の夏に、アメリカ海軍はプログラムの削減を始めていて、士官候補生たちは他校に転校するよう圧力を受けていた。

 

 そのままでは、海軍飛行士として卒業しても、飛行士の職に就けない可能性があった。ラヴェルは、1948年秋に海軍兵学校に出願して、合格した。

 

 海軍兵学校の1年生の時に、液体燃料ロケットエンジンに関する論文を書いた。海軍兵学校で4年間を過ごして、1952年春に少尉として卒業し、学士の学位を取得した。

 

 その後の、1952年10月から1954年2月まで、ペンサコーラ海軍航空基地で飛行訓練を受けた。

 

  ジェームズ・アーサー・ラヴェル・ジュニア(1928年―)はアメリカの元宇宙飛行士で、海軍飛行士、機械技師である。

 1968年アポロ8号司令船操縦士として、人類初の月周回飛行に成功した3人のうちの1人となった。

 

 人間の生き方について彼は語っている。

「地球は広大な宇宙に浮かぶ素晴らしいオアシスだ」