人間の生き方 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

 ウィリアム・シェイクスピア1564年1616年)はイングランド劇作家詩人で、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物でもある。

 卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写によって、もっとも優れているとされる英文学の作家である。

 

  シェイクスピアの劇作家としての活動は、1592年ごろから始まる。フィリップ・ヘンズロウの日記(当時の劇壇の事情を知る重要な資料として知られる)に、『ヘンリー六世 第1部』と思われる戯曲が、1592年3月から翌年1月にかけて、15回上演されたという記録が残っている。

 

 ほかに、同じく1592年には、ロバート・グリーンの著書に新進劇作家シェイクスピアへの諷刺と思われる記述がある。これらが劇作家としてのシェイクスピアに関する最初の記録である。

 

 最初期の史劇『ヘンリー六世』三部作(1590年 - 1592年)を皮切りに、『リチャード三世』『間違いの喜劇』『じゃじゃ馬ならし』『タイタス・アンドロニカス』などを発表して、当代随一の劇作家としての地歩を固める。

 これらの初期作品は、生硬な史劇と軽快な喜劇に分類される。

 

 ペストの流行によって、劇場が一時閉鎖された時期には詩作にも手を染めて、『ヴィーナスとアドーニス』(1593年)や『ルークリース陵辱』(1594年)などを刊行して、詩人としての天分も開花させた。

 

 1609年に刊行された『ソネット集』も、この時期に執筆されたと推定されている。

  1595年の悲劇『ロミオとジュリエット』以後、『夏の夜の夢』『ヴェニスの商人』『空騒ぎ』『お気に召すまま』『十二夜』といった喜劇を発表する。

 

 これら中期の作品は円熟味を増して、『ヘンリー四世』二部作などの史劇には、登場人物フォルスタッフを中心とした滑稽味が加わり、逆に喜劇作品においては、諷刺や諧謔の色づけがなされるなど、作風は複眼的な独特のものとなっていく。

 

 1599年に『ジュリアス・シーザー』を発表したが、このころから次第に軽やかさが影を潜めていったのが後期作品の特色である。

 1600年代初頭の四大悲劇と言われる『ハムレット』『マクベス』『オセロ』『リア王』では、人間の実存的な葛藤を力強く描き出した。

 

 また、同じころに書いた『終わりよければ全てよし』『尺には尺を』などの作品は、喜劇作品でありながらも、人間と社会との矛盾や人間心理の不可解さといった要素が加わり、悲劇にも劣らぬ重さや暗さを持つため、19世紀以降は「問題劇」と呼ばれている。

 

アントニーとクレオパトラ』『アテネのタイモン』などのあと、1610年前後から書くようになった晩期の作品は、「ロマンス劇」と呼ばれる。

ペリクリーズ』『シンベリン』『冬物語』『テンペスト』の4作品がこれにあたり、登場人物たちの長い離別と再会といったプロットのほかに、超現実的な劇作法が特徴である。

 

 長らく荒唐無稽な作品として軽視されていたが、20世紀以降再評価されるようになった。

 シェイクスピアは弱強五歩格という韻律を好んだ。『ウィンザーの陽気な女房たち』のように、散文の比率が高い戯曲もある。

 

 ウィリアム・シェイクスピア(1564年1616年)はイングランド劇作家詩人で、イギリス・ルネサンス演劇を代表する人物でもある。

 卓越した人間観察眼からなる内面の心理描写により、もっとも優れているとされるイギリス文学の作家である。

 

 人間の生き方について彼は語っている。

「望みなしと思われることもあえて行えば、成ることしばしばあり」