人間の生き方 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

 ウィリアム・モリス( 1834年1896年)は、19世紀イギリステキスタイルデザイナー詩人ファンタジー作家アーティスト作家)、印刷者、翻訳家、建築保護運動家、社会主義活動家である。

 

 およびこれらの、多方面に関わるアーツ・アンド・クラフツ運動の主導者である。多方面で精力的に活動して、それぞれの分野で大きな業績を挙げた。

 

 「モダンデザインの父」と呼ばれる。また、架空の中世的世界を舞台にした『世界のかなたの森』など多くのロマンスを創作して、モダン・ファンタジーの父と目される。ロード・ダンセイニJ・R・R・トールキンにも影響を与えた。

 

 彼は1834年に、ロンドン・シティの証券仲買人の子として、ロンドン北部ウォルサムストウ(現ロンドン市ウォルサム・フォレスト区)に生まれた。父は投資で巨額の富を得たが、モリスが13歳のときに死去した。

 

 聖職者になることを志して、オックスフォード大学に入学する。ジョン・ラスキンの著書を愛読して、大きな影響を受けた。

 成年になって、父の遺産を相続する。友人エドワード・バーン=ジョーンズらとフランスに旅行して、芸術家を志望するようになった。

 

 1856年に、建築家ストリートの事務所に入所して、フィリップ・ウェッブと知り合う。事務所を辞めた後に、インテリア装飾や詩集の自費出版などを行う。

 

 1859年に、ジェーン・バーデンと結婚して、翌年フィリップ・ウェッブ設計の新居・レッド・ハウス(赤い家、1860年)に移る。

 ジェーンは、モリスの年長の友人である画家ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティをはじめとするラファエル前派のモデルで、2人はそこで知り合った。

 

 レッドハウスは、市街地から離れた郊外にあって、ジェーンが寂しさの余りノイローゼ気味になってしまったために、数年後に転居した。

 1861年、モリス・マーシャル・フォークナー商会を設立して、ステンドグラス、家具などを制作する。

 

 1865年に、ブルームスベリーに移転する。叙事詩「地上の楽園」を1861から1870年に完成させて、詩人としても名声を得た。

 1871年に、ケルムスコットの邸宅を別荘として借りた。

 

 1875年に、モリス・マーシャル・フォークナー商会を解散して、単独でモリス商会を設立する。

 1878年に、ハマースミスに転居して、別荘のあったケルムスコットに因んで、「ケルムスコット・ハウス」と名付けた。

 

 1883年、民主連盟に参加して、マルクスの『資本論』を読んだ。

 1885年、社会主義同盟を結成する。

 1891年、ケルムスコットプレスを設立して、美しい装丁の書物を出版した(後に『チョーサー著作集』などを刊行)。

 1892年、テニスンが死去して、モリスは桂冠詩人に推薦されたが辞退した。

 1896年、病気のため死去する。

 

 ヴィクトリア朝のイギリスでは、産業革命の成果によって、工場で大量生産された商品があふれるようになった。

 反面で、かつての職人は、プロレタリアートになって、労働の喜びや手仕事の美しさも失われてしまった。

 

 モリスは中世に憧れて、モリス商会を設立して、インテリア製品や美しい書籍を作り出した。植物の模様の壁紙や、ステンドグラスが有名である。

 生活と芸術を一致させようとするモリスのデザイン思想と、その実践(アーツ・アンド・クラフツ運動)は、各国に大きな影響を与えて、20世紀のモダンデザインの源流にもなったといわれる。

 

 プロレタリアートを解放して、生活を芸術化するために、根本的に社会を変えることが不可欠だと考えたモリスは、マルクス主義を熱烈に信奉して、E. B. バックスやエリノア・マルクスカール・マルクスの娘)らと行動をともにした。

 

 エリノアらとヘンリー・ハインドマンの社会民主連盟を脱退して、1885年に、社会主義同盟を結成した。その後、再びエリノアらと脱退して、エリノアらとハマスミス社会主義協会を結成した。

 

 ウィリアム・モリス(1834年―1896年)は、19世紀イギリステキスタイルデザイナー詩人ファンタジー作家アーティスト作家)、印刷者、翻訳家、建築保護運動家である。

 社会主義活動家で、精力的に活動して、大きな業績を挙げた。

 

 人間の生き方について彼は語っている。

「労働を軽減させるための彼らのあらゆる発明は、結果としては、ただ労働の重荷を増大させることで終わっている」