連載小説
「黄金色の風景」
連載第十七回
(最終回)
(六)の2
「農業は身体が丈夫であれば、誰にでもできる簡単な仕事である」
子どものころからタケルはそう思っていた。ところがそうではなかった。スコップを田んぼに突き立て、足で踏みこんで土に喰い込ませてから、その重い土を両腕ですくい上げながら彼は思うのだった。
「農業は難しい。生きものが相手だから、こっちの思うとおりならない」
関西からこの地へ帰ってきてから、あっという間に十七年が過ぎていった。その間に、祖父がのこしていった田んぼで米作りをつづけてきた。だけど満足することが、いちどもなかったのである。
「イネのほかに、ヒエが生えてくる。雑草も生えてくる。なぜなのだ」
田んぼの周囲を取まいたあぜ道の高さと、排水口に問題があるのかも知れない。ふたたび彼は、真っ青な空を見上げて深い海の底にいる気になった。すると天空から、国生百合子先生の声がひびいてきた。
「深海魚たちは、極限ともいえる海域の環境に適応するために、浅海の魚類たちには見られない特殊な身体の構造と、生活様式を獲得しているの。深海に生きる魚のように、人も、自ら燃えなければどこにも光はないのよ」
田んぼの土を彼は掘り起こして、あぜ道に積み上げつづけた。太平洋戦争がおわって、七十五年目がいまにやってくる、とテレビや新聞が報道していた。タオルで顔の汗をぬぐった。歳月は会釈も挨拶もなく小走りに去っていく。
「人の一生の黄金期は、過ぎて去った若いころの、世間知らずだった時代にあるのではない。老いて行くこれから先の、将来にあるのよ」
こんどは祖父の声だった。噛んでくだくように語ってから、太陽の光のなかに祖父はすいこまれていった。
澄みきった青い空を見上げてから、周囲の山々を彼は見わたした。自然界はどこもかしこも、生き生きとしている。太陽に反射して目がくらむほど青々と、生きるよろこびに輝いている。
春になって菜の花が咲いた。梅の木も、雪をかぶったように白い花を咲かせた。桜も桃色のつぼみをつけはじめた。もう寒くはない。いまにツツジもサツキも、紅色の花を咲かせる。よし、と彼はかけ声をかけてから自分に語りかけた。
「勇気をだして、わが身にも花を咲けせなければならない」
そうすると祖父がいったように、やがて実り豊かな、いのちの黄金期がやってくるのである。空は夏日にちかい、燃えるような強い日ざしである。スコップの手をやすめて、彼は首のまわりの汗をタオルでふいた。
そのときだった。田んぼの底の方でドーンと地響きがして、足もとがかすかに揺れた。両方の足を杭にして自分をささえてから、彼は南の空をみあげた。桜島の南岳が爆発して、噴煙が生命をもった巨大な生きもののように、天空を高く舞いあがっていくたところだった。