【連載小説】
風に咲く白い花
(連載第二十回)
(五)の2
修学旅行のまえに夢にでてきた博多は、きらきら輝く大都会だった。行ってみると雨が降っていた。土砂降りである。見るものがすべて雨にぬれて、霞んでいる。福岡の街も、天から大粒の涙をながして泣いていた。
「博多は福岡県の博多湾に面した港湾都市で、かつては博多津とよばれて、古代から長い歴史をもっています。海のむこうの朝鮮半島や中国大陸からの攻撃に対抗するための要所とされて、多くの役所が建てられました」
バスガイドがマイクをつかんで語ってきかせた。雨が窓ガラスを曇らせて何も見えない。博多へやってきたという実感がすこしもわいてこない。
「鎌倉時代から室町時代には、複数の大商人たちによる合議によって、事を決定する合議制度によって町が治められて、博多は日本ではじめての自治都市として栄えました。江戸時代になって黒田氏が入国して、那珂川をはさんで城下町福岡をきずいてから、二極都市の性格をもつようになりました。明治になって福岡市として市制が施工されて、地名は博多区としてのこっているのです」
バスはどこを走っているのかわからない。窓の外はなにも見えない。予定にされていた西鉄ライオンズの、プロ野球の見学は中止になった。それでもバスは、野球場へむかっていった。バスガイドがマイクをつかんで声をはりあげた。
「平和台球場は一九四八年に、つまり昭和二十三年に、福岡県で第三回国民体育大会が開催されたとき、福岡市の中心地にある福岡城址の舞鶴公園に、陸上競技場と球技場二面などの平和台総合運動場が建設されました」
傘をさしたり、ナイロンカッパを着たりして生徒たちは球場へむかっていった。バスガイドはハンドスピーカーで叫ぶように語りはじめた。
「一九四九年に、つまり昭和二十四年の十二月十八日に、国体でサッカー競技が開かれた球技場を造り変えて、平和台野球場が完成しました。総工費は三千万円で、記念の試合は冬のオープン戦の巨人対阪神でした」