連載小説・小説集「工場」から
足並みをそろえて
(連載第三回)
たしかに、昨夜は調子がよかった。はじめはビールだけをおとなしく飲んでいたけれど、そのうち、チャンポンにしはじめていた。チャンポンというよりも、酒を飲みながら、ビールをおかずにしていた。おまけに、誰かの、手持ちのウイスキーまであさり歩いた。ウイスキーのビール割りをぼくにあてがったのは、経理部長だったのだろうか、そんなもの、ひと息だった。
飲むだけのむと、幹部のひとりひとりにむかっていった。日ごろの不満が、むらむらっと、鎌首をもたげたのだ。腹の中のアルコールに、火がついて燃えはじめた。もう、恐いものなしだった。
「書記長、ちょっとこい」
ぼくはふんぞりかえって呼びつけた。相手は右手にビールを、左手に酒をつかんでやってきた。わざとらしく平身低頭している。
「書記長、しっかりせにゃいんぞ」ぼくは相手の肩をたたきながせらいった。
「書記長、きさまだけが頼りやぞ。きんたまはちゃんと、まんなかにぶらさがっているか。執行部が右へ右へと急旋回しているからといって、まねをせんでもええで。ちんぽもきんたまも、若干左よりに、荒縄でしっかりくくっとかなあかんで」
はい、はい、と相手は笑いながらいった。
「組合長、ここへこい、こっちへこい」
膝もとの畳をたたきながらぼくは叫んだ。相手は渋い顔をしながら立ちあがり、同志会の右巻きの人のうずをぬけでてこちらへやってきた。いやいや、といった態である。よし、噛みついてやれ、とぼくはネジをまいた。だけど相手が大物だけに自信がもてない。
「おい、組合長。ちかごろ、どうかね。うまくやっているかね」
ぼくは嫌味ったらしく、歯をシーシーいわせながら、歯ぐきにつまったものを吸いこむかっこうで口をゆがめていった。
「どういう意味だ」
相手はむっとなって、さしだしかけていた徳利をひっこめた。こちらもあわてた。
「いや、労使のトップどうしは、うまくいっているのか、と訊いてるんですがな」
「そりゃあ、そうだよ」と相手は顔の緊張をゆるめ、徳利をふたたびこちらにむけてきながらいった。こちらは逆に身をひきしめた。
「労使のトップ同士が深く信頼しあわないと企業はうまくいかん。その辺のところは、むこうさんだって心得ているよ」と相手。
「現場の労働者、一般組合員は」とぼく。
「そらあ、むろん、労働者の協力もないとあかん」
相手は力をこめていった。だけど、なんとなく、つけたしみたいないいかただった。ぼくはコップ酒を呷った。
「その点、鉄はうまくいっている」相手は満足そうにつづけた。
「破産のない、親方日の丸的な官公労なら、抽象論をぶっておればそれでいいのだろうが、企業内組合はそうはいかん。共倒れせんように、労使双方が、お互いの立場をよく理解しあい、信頼しあっていくしかない」
ほう、ほう、と大げさに相づちをうちながら、ぼくはハイライトをくわえた。マッチをこすっていっぷく吸うと、ふいに吐き気をおぼえ、あわててのど首をしめつけた。わる酔いしそうだ。くそっ、と毒づいて、たばこをつめさきでもみ消した。
「けっきょく……」と、相手は悠々と外国たばこをくゆらせながらいった。
「結局、男と女の関係といっしょで、思い思われる仲、こちらが相手を思えば、相手からも思われるものなんだ」
それは、トップ同士の関係だろう、工場の、機械相手に、鉄とにらめっこをしながら、夜中といわすが昼といわず、三交替で働く現場はどうなるんだ、とはんろんしたいところをじっとがまんして、ぼくは相手の口調をまねた。
「なるほど、だから、鉄はうまくいっている。いかなる団体交渉でも、ストライキ抜きの一発回答で、気持ちがいいほど鉄はうまくいっている、ってえわけですなあ」
「そう、そう。よくわかってくれているじゃないか」と相手。こちらの肩に手をかけてきた。
「だからきみも、いいかげん大人にならんとあかん。いつまでも、マルクスがどうの、レーニンがどうたらの、アホみたいなことをいうとったら、時代おくれや。誰も相手にせんようになるぞ。ちいったあ、賢くならなあ」
ぼくは相手の手を払いのけ、コップ酒をあおった。組合長が注いでくれる酒は毒がはいっているような気がした。
「おーい、経理部長。経理部長はおらんか」
ぼくは叫んだ。
「酒だ、酒だ。酒をもってこい。ウイスキーをもってこい。ウオトカをもってこーい」
ぼくはもうやけ酒だった。組合で飲む酒はいつもこうだった。きまってひとりぼっちなのだった。組合長はそそくさと逃げて行った。
「酒だ、酒だ」ぼくは叫び、それから、とてもじゃないがインターナショナルなんかうたえなくて、とこねちゃん酒もってこい、と、こぶしを天井につきあげながらうたった。