連載小説・小説集「工場」から
足並みをそろえて
(連載第四回)
わっしょい、わっしょい。早朝のしじまにかけ声がこだました。仲間たちの長い列はすこしも乱れていない。ぼくは必死の思いで最後列にしがみついている。歯と歯を噛みわせたり、眉間に力をこめたりしながら、とにかくがんばらなくてはならない。だけど、肛門にちからがはいらなくて、下半身が、病に寝こんだ人の借りものみたいだ。ほんのすこしでいい、迎え酒をぐっとひっかけたい。
「酒宴をはるだけが、酔っぱらって、幹部に噛みつくだけが組合活動じゃない」
さっきは、まあいい、といったんひっこめたくせに、組織部長はまだこだわっている。ぼくに噛まれた、よほどこたえたのだろうか。前方をきっと見つめたまま、鼻息をあらくしている。ぼくはみぞおちのあたりを手でさすりながら、黙って走った。いよいよ息切れがはげしくなってくる。
昨夜のことは、なにひとつおぼえていない、まったく記憶がない、といったけれど、ほんとうは誰よりもはっきりおぼえている。アルコールの力をしこたま借りて、たしかにぼくは、威勢がよかった。
「えいおっさんよ」と、ぼくは組織部長をつかまえていった。いまにして思うと、それがいけなかったのだ。おっさんとはなんだ、おっさんとは、と相手は気分をわるくした。
「おっさんよ」ぼくはかまわずつづけた。
「おっさんは何のために、誰のために、組合の役員をやっているんや」とぼく。まだへべれけには酔っぱらっていなかったけれど、上半身をぐらぐらさせながら、その真似をした。あとに罪がのこらない、と考えたからだった。桜色の相手の顔が、ぱっと散った。目をむいて、こわい顔をして身がまえている。だけどこちらは、恐いものなしだった。
「おっさんは、誰にたのまれて組合をやっているんや。現場の連中がいうとるぞ。あらあ、工場の労務の下請けや、いうて。それに、あんたが口ぐせにいう組織強化は、労務管理や、いうて、みんな、敵はまず労働組合や、いうとるぞ」
「なにっ」と、相手は徳利を振りあげた。図星か、とぼく。なにっ、もういっぺん言うてみい、とこちらに一歩むかってきながら相手。そこへ、賃金対策部長が、まあまあ、まあまあ、といいながら割りこんできた。ぼくはほこ先をかえた。
「いよう賃金。ちんぎん、チンギン、って叫んどったから、あんた、マイホームがもてたがな。よかったのう」
ちょっと度がすぎるということは、自分でもわかっていた。だけど、これが最初で、最後のつもりだった。十五歳で工場の門をくぐり、十八歳で組合に首をつっこんで以来、十年以上がたった。
うた声をひびかせながら工場のトタン屋根にこぶしを突き上げた仲間は、だれ一人いなくなった。いや、あまりにも見事に、みんな自分という人間をつくり変えてしまったのだ。だれがどこで、どんなふうに糸をあやつっているのか知りたくないけれでも、みんなパン喰い競争をしている。
こっちへおいで、こっちへおいで、と誰かが右手へ右手へひっぱっていく。ぴったりみんな足並みをそろえている。ぼくの心の中の赤旗は倒れかかっている。一人の力では支えきれないのだ。いっそ、自分でひき倒し、足で踏んづけてやろうか。
「賃対さんよ、あんたあ、きんたまはあるんか。去勢された豚みたいに、いたずらにぶくぶく肥えちまって。それじゃあ重役やがな、貴族やがな。現場の連中はみんな腹ぺこで、女房をパートにやってもまだ骨と皮に痩せこけとるちゅうのに」
ぼくは噛みついた。だけどしたたかものの賃金対策部長はのってこなかった。あらぬほうをながめてへらへら笑っている。この男に痛いといわせるには、ペンチかドリルを用意しなければならない。