連載小説・小説集「工場」から
足並みをそろえて
(連載第二回)
グランドを二周して、先頭がホテルの外へむかった。どうやら自動車道へでるみたいだった。青年婦人部長と、文化体育部長が先導していた。二人は旗竿をかついでいた。一人が「鉄鋼労連」を、いまひとりが単組の赤旗を、しがみつくみたいにしっかり抱きしめていた。その後に、二列縦隊が三十列ならんでいることになる。
みんなわっしょいわしょいとかけ声をかけ、足並みをそろえて列をくずさない。ストライキはおろか、デモすらちかごろやらなくなった組合なのだけど、すごく統制がとれているみたいだった。組合長はハンドスピーカーを肩にかついで、用意してあった自転車にまたがった。
「ど、どこまで走っていくんですか」
ぼくはちょっと不安になってきて、息せききりながら組織部長にきいた。グランド二周が精いっぱいだったのだ。これ以上に走りつづけたら、おそからはやかれ、きっとぼくは、担架の世話になるにちがいない。もうだめだ。とてもじゃないが、もう走れない。
「あの自動車道を東にむかって、海へ行くんや。ええでえ、海は。広いし、大きいし、なんともいえんええ気持ちやでえ」
組織部長がいった。相手はすこしも呼吸を乱していない。乱していないどころか、ますます快調といった態で、全身をバネにしはじめた。製鋼工場の鋼塊みたいにたくましい。ぼくは気分がわるくなってきて、目のまえがうすらぼんやりしてきはじた。あんなに、浴びるほど飲むんじゃなかった、といまさら後悔したところではじまらなかった。
「海岸へいって、砂浜を、一人ひとり、全力疾走する計画になっている」
組織部長はストップウオッチをみせながらきびしい口調でいった。「これも、大事な、組合活動の一環や」
うひゃあ、とぼくはこころの中で悲鳴をあげた。三どばかり舌うちをつづけてから、思わず知らず、拷問や、と大げさなことばをつぶやいてしまった。砂浜を全力疾走するなんて、いまのぼくには、とうてい考えられないことだった。
ただ、ふつうに走っているだけでも頭の芯がズキンズキンとひびき、足や腰に重い錘をぶらさげているみたいなのだ。もう、これ以上の、肉体的な苦痛はどこにもないように思えた。
「き、きみは……」と、相手はとがめるような口調になって、じろっとこちらを睨みつけた。
「きみは、昨夜の、宴会のときは、えらい快調やったやないか。快調の度がすぎて、幹部のだれもが、きみに噛みつかれて、えらい迷惑しとった。そうやのに、今朝の、その態度ときたら、なんやそれは……」
「あ、あれは」と、ぼくは相手のことばを払いのけるようないいかたで「あれは、酒の席でのできごとじゃないですか。それに、さっきから、何回もいっているように、記憶がないんですよ。なんにもおぼえていないんですよ。ほんとに」
「宴会は得意中の得意で、われとわが身を忘れて、全力疾走するが、早朝ランニングのほうは、苦手やいうんか」
「そ、そんなこといってませんよ。だれが、そんな勝手なことを、言うもんですか」
「ぼくなんか、昨夜、きみに噛みつかれて、まだ、あちこち痛むわい」
「し、しつこいなあ、あんたも。おぼえていない、きおくがない、といっているじゃありませんか。信じてやってくださいよ」
ぼくはむっとなって、すこし声をあらげた。
「まあいい」相手は前方を見つめてきびしい顔つきになった。
「まあいい、だけど、言っとくけどなあ、きみ。宴会も、早朝ランニングも、どちらも、組合活動やで。執行委員会で議決されたんや。だから、まじめに活動してもらわなあかん。足並みをそろえてもらわんといかん。きみ一人だけを脱線させるわけにはいかん。同じ路線で走ってもらわなあかんのや」
組織部長はおさえつけるようないいかたになった。ぼくは黙った。頭がいたい。まもなく割れてしまいそうだった。