連載小説 「ソフトボール」 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

連載小説・小説集「工場」から

ソフトボール

(連載第四回)

 

 夜中、夜勤でぼくが仕事にでていくまえ、寝かせつけていってほしい、と由美子は暗にぼくをもとめる。そんなとき非常に困ってしまう。だけどぼくはあえて一喝し、ただでさえ夜勤はエライのに、そんなことをしてったら、工場の機械にまきこまれて死んでまうわ、と、胸をつまらせながら素っ気ないふりをしていう。

 ネグリジェ姿の由美子の股間を、なるべく見ないようにこころがける。それがずっと長くつづくと、あんた、どっかに女がいるんとちがうか、と、由美子はひきつった顔でいう。ああ、とぼくはひとり嘆くしかない。どこにそんな、ヒマとカネがあるというのだ。どうしょうもないぼくのこの気持ち、誰かわってほしいと思うのだ。

 

「……自家発電のゆるされるおまえらはええよ、マスやさかいな、慰めはええよ。みじめな罪悪感さえ目をつむってがまんすれば、それも孤独な青春よ」

 郷田が馬場と犬飼にビールをすすめながらいった。ふたりはうつむいてわらった。

 休日といってもぼくらは四組三交替制だから、世間一般のカレンダーの日曜や祭日や祝日とは縁がない。会社がつくったカレンダーで、一年間の勤務の予定がはっきりと決められているのだ。

 

 たとえば、今年は勤労感謝の日と日曜が連休だから、たまにはどこか近くでいいから、旅行しょうよ、と由美子がいう。するとぼくは、四組三交替カレンダーなる名刺型の勤務予定表をにらむ。あっ、あかんわ、ちょうど夜勤の二日目と三日目や、と一月の段階で即座にこたえることができる。

 会社は工場の設備や機械を休ませない。一日の二十四時間も一年の三百六十五日も仕事にこき使う。すると機械がぼくらを酷使してくるのだった。労働組合が勝ち取ったと自慢するサンデーホリデープレミアムなど、ぼくらはいらない。

 

「……われわれの現在の労働条件下では、女房の下の口をくわせてやる元気どころか、下手をすると上の口もままならん」

 郷田がいった。われわれということばが好きでよくつかう。郷田は会社の技能訓練所のぼくの二年先輩である。中学をでて三年間の教育をうけて現場へ配属された。頭もよくて仕事もできるのだけど、馬場とちょっと似ていて態度やことばづかいがひどく傲慢で、なにかにつけていちいち理屈をこねまわす。

「労使協調路線、会社あっての労働者。作業長がゆうとったど、会社は神様やて……」

 ゲプッと郷田が喉をならした。それからぼくにいった。

「なあ、支部委員、おまえもそう思とんのやろが」

 ぼくはわらった。支部委員といっても名ばかりなのだ。

 

 ふとぼくは野島のことをおもった。あいつは去年の組合選挙で負けた。それまでの野島は労使対等を主張して、正義感のつよい戦闘的でもっとも信頼のあつい役員だった。野島を落とせ、とぼくらは作業長にいわれた。

 ぼくたちのボスである作業長だって組合員なのだけど、職場では会社の尖兵で、二重人格者たちなのだ。正体がつかめないから非常に恐いという気がする。選挙の日、投票するぼくの頭上にでっかい鏡がおいてあった。尖兵である選管が、鏡のなかのぼくの投票用紙のうえをはしる鉛筆のうごきを、じっとのぞきこんでいたような気がする。

 あれ以来、ぼくたちにとってまじめな活動家は、ことごとく姿を消してしまった。支部委員といってもぼくは名ばかりになってしまったのだ。

 

「問題は深刻やで……」

 馬場がひとりごとのようにいってから、犬飼の肩を肩でこづいた。

「おまえのペアーのエプロンも、ユメでおわるかもしれん」

 ぼくは犬飼にひやかすようないいかたをした。

「ああ、ああ……」

 犬飼が大袈裟になげいてからいった。

「ぼくのささやかな夢をなぜうばう、高校をでてきょうまでのぼくの青春をうばっといて、それでもまだうばいたりないといのか。ああ、ああ……」

 犬飼はことばに力をこめ、だれかに訴えるように両手を前にさしだし、目をとじてしきりに頭をふった。ビールが犬飼を悲劇役者にかえてしまった。

「ソフトボールに行こう……」

 ぼくがいった。