連作小説 「神への道」
第一部 「少年記」
第三十五作
うそぬきの滝近郊の作物
「ニンジンの仲間」
「……人参で行水とことわざにあるが、朝鮮人参を浴びるほどたくさん飲むことで、あらゆる手当をして、病気の治療をすることなんじゃ」
夕食のときである。晩酌の焼酎の湯割りを手に祖父がいった。祖母がニンジンとダイコンを煮しめて、皿に盛って食卓においた。祖父がことばをつづけた。
「朝鮮人参は、漢方薬では貴重な強壮剤なんじゃ。いつかラジオが語ってきかせたが、1日に1グラムから5グラムを、煎じたり人参エキスにしたりして飲めば、神経衰弱やヒステリーに効くらしか。貧血症や病弱者にもよからしい……」
それを聞いて祖母が口をはさんだ。
「朝鮮人参は,朝鮮だけでつくられるわけではなからしかですな。福島や長野や、島根などでも栽培しておるらしかですな。収穫までには、4年から5年がかかるそうですな。ラジオがそげん言うてましたなあ……」
馬はニンジンが、大好物である。冬の農閑期になると、田んぼや畑の仕事がなくなって、馬はヒマをもてあましている。中学生になったタケルが、馬屋から連れ出して、愛馬を運動につれていくときのことであった。
赤い人参を1本だけ馬に与える。カリカリと音をたてて噛み砕く。おいしそうである。聞いていてその音が気持がいい。にこにこ笑っている。
庭へでていって、馬の背中にむかって、股をひろげて跳び乗る。裸馬である。尻が痛い。口輪につけた二本のタズナを引きしめて、股で馬の背中をしっかりと挟みこむ。馬の歩調にあわせて、尻を上下させていかなければならない。
「……さあ,行くぞ。好きな所へ行けばよか」
タケルが声をかける。パカパカと馬が走りだす。いつも枯草ばかりだから、川原へいって青い草が食べたいのである。わかっている。さらさらと流れる清水も口にしたい。それもタケルは分かっているのだった。
川の流れへ行ったら、注意をおこたってはならない。タケルは用心する。いちどこんなことがあった。タケルがよそ見をしていたのである。
馬が川の水を飲んだ。長い首が滑り台に早変りした。乗っていたタケルは、川の浅瀬に滑り落ちていった。真冬である。ずぶぬれになった。笑うに笑えなかった。
馬は用心深い。全力疾走していても、物かげから子どもがとび出してきたとき、とっさに身をかわす。人に危害を与えないのである。
かわりにタケルが馬から振り落とされて,田んぼに投げ飛ばされてしまった。ついでに、田んぼの土を口にしたことがあったのだった。
でっかい身体をしていて、馬はヘビを恐れる。野道を走っていて、ヘビがニョロニョロと道を横切る。驚いた馬が、後ろ足だけになって跳びあがる。なにごとかとタケルはわけが分からない。ヘビが草むらへ消えていく。尻をふってヘビはいばっていったのである。
「……アオ、さあ、いくぞ」
タケルは愛馬の名をよんで、竹の棒のムチをあてる。アオは田んぼ道を全力疾走する。アオに乗っていてタケルは、地面よりも一段と高いところから、人や家々の暮らしを眺めることができた。それがまったく違ったものに見えたから不思議だった。
アオはタケルの言うことをよく聞きいれた。世話をよくしてくれるからである。アオによってタケルは、目線を高くもつことを教えられたのだった。
夕食のニンジンとダイコンの煮しめを口にしてから、祖父がタケルにいった。
「……馬には乗ってみよ、人には添うてみよとことわざにあるが、食わず嫌いをしたり、用心ばかりしていては、物事は前には進まんのよなあ」
祖母がご飯にハシでニンジンの煮しめをのせてからいった。
「馬の良し悪しは、見ただけではわかりませんわなあ。乗ってみてはじめてわかりますわなあ。人も見かけだけでは、どのような人物かわからなんもんですからな……」
それに応じて祖父がタケルにこういった。
「……見た目が痩せておったから、良い馬を見そこなってしもうた。貧しい暮らしをしておったもんじゃから、立派な人を見そこなってしもうた。そんなことではいかんのよなあ」
夕食をすませたタケルは、囲炉裏端で作物図鑑に目をとおしていった。
「サンズニンジンはセリ科で、根の長さが、9センチくらいのニンジンである。周年栽培も行なわれている。適温期だったら、3ケ月から4ケ月で収穫ができる。収量は少ない」
「ゴスンニンジンは、根の長さが、15センチ位のニンジンである。気候や土にたいする適応性がある。広く全国の各地で栽培されている。主に春から夏に、種をまいている」
「ナガニンジンは、根の長さが,50センチから60センチ位のニンジンである。ロング・オレンジ・国分などの品種がある」
「ニンジン(人参)」は、セリ科の一年草または二年草である。原産地は不明である。中国で古くから栽培されている。葉は根生の複葉である。花は小さな白い色が咲く。根は長い円錐形や、紡錘形をしている。普通は赤色である。白色や黄色や褐色もある。長短さまざまで、品種も多い」
「人参木がある。クマツヅラ科の落葉灌木である。中国が原産で、日本の暖地でしばしば栽植されている。高さがおよそ3メートルで、葉はアサの葉に似ている。手のひらのようで、複数からなっている。8月ごろに,淡い紫色の、唇の形をした花が咲く。花が終わると,玉のような実を結んでいる。果実の液を、痰の薬にしている」