連作小説「神への道」 | 作家 福元早夫のブログ

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人生とは自然と目前の現実の、絶え間ない自己観照であるから、
つねに精神を高揚させて、自分が理想とする生き方を具体化させることである

連作小説 「神への道」

第一部 「少年記」

第三十四作

うそぬきの滝近郊の作物

「カブの仲間」

 

 祖母が千枚漬けを皿にもって食卓においた。近所に京都から里帰りした人があって、分けてもらってきたという。祖父が晩酌の焼酎をまえにおいて、千枚漬けにハシをのばしてからいった。

「……京に田舎ありとことわざにあるが、にぎやかな土地にも、田舎っぽい場所や風俗が残っているものなんじゃ。東京にも武蔵野があるらしいからな」

 

「……京の着たおれ大阪の食いたおれともありますな。京都の人は、衣服に金をかけるそうで、大阪の人は、飲食に金をかけるふうがあるそうなんですな」

 祖母がご飯に千枚漬けをのせてからいった。祖父がこういった。

 

「……そげなような言いかたは、どこへいってもあるもんで、地方の名をおきかえた似たような言葉が、あちこちにたくさんあるそうなんじゃ」

 

 南九州のこの地を、タケルがはじめて遠く離れたのは、小学校の六年生の冬休みだった。祖父とふたりで、鹿児島駅から急行列車に乗って、名古屋へむかったのだった。

 

 列車が走り出して、母親が手づくりした弁当を広げた。高菜の漬け物の葉で丸めたにぎりめしである。カブラの漬け物がそえてあった。

 祖父は焼酎のお湯割りを飲む。アルミ製の水筒に入れてきた。フタに注ぐ。列車が揺れる。フタから液がこぼれそうになる。あわてて祖父は口づけをする。

 

「うんまかね、よか旅じゃ。タケルがいっしょじゃっで安心じや」

こういって、祖父の土色に焼けた顔は、シワがのびている。うまか、うまかといって、にぎりめしにかぶりついた。おいしいとタケルも思った。

 

 車窓が暗くなって、腹がふくれて眠くなってしまった。目がさめたとき、車窓に太陽が見えて、列車と一緒に走って行く。置去りにされていく風景が、明々としている。広島を過ぎていた。

 

 岡山をすぎてから、やがて神戸へむかって走って行く。タケルは車窓から目を放すことができないでいた。これが阪神工業地帯である。社会の教科書の実物が目の前にある。高い煙突から、黒い煙りがもうもうと立ちのぼっていた。

 

 神戸の港が見えて、大型の船が行き来している。日本は動いている、と感じさせた。工業や化学の現場を、遠景でタケルは目にした。初めての経験だった。興奮する。社会の教科が好きだった。だから、実物から目をそらすことができなかった。

 

「名古屋は遠かね、どこまで行けば、名古屋があるのじゃろかね……」

 鹿児島駅をはなれてから、二十時間ちかくたっていた。祖父はひとり言をいってから、焼酎で顔を赤くして、うたた寝をはじめた。

 

急行列車は京都の大きな寺や、大文字山を置去りにした。中京工業地帯へと突進していった。名古屋駅へ滑りこんで、ブレーキをけたたましくきしませた。

 

「お父ちゃーん、お父ちゃーん。こっち、こっち。ここや、ここや」

 人ごみの駅のホームで、手を高く振って、大声で叫ぶ人物がいた。

 

「おお,兄ちゃんじゃ。よかった、よかった。やっとのことで、名古屋を目にした……」

 祖父の顔のシワがまたのびた。

 

 名古屋は生まれて初めてタケルが足を踏み入れた大都会だった。自動車がおそろしい。つぎからつぎへやってくる。信号が恐い。横断歩道など渡ったことはない。テレビ塔へ連れて行かれたときのことであった。

 

 昼食は御馳走だった。肉やサラダなどの洋食である。運送会社で働く兄ちゃんの、精いっぱいの親孝行だった。父親が手を出さない。もじもじいている。

 

「すまんけど、手もとはなかか、どっかで、手もとを見つけてきてくれんか。手で食うわけにいかんがね」

 

 こういって、困ったときの顔をしている。銀色に輝くナイフやフォークは、刃物である。きっと飾り物である。祖父はこう思ったらしいのである。あわてて兄ちゃんが謝った。

 

「すまん、すまん、お父ちゃんが言うとおりじゃった。気がつかんじゃった」

 

 洋食を目にすると、タケルは祖父と兄ちゃんと食事をしたときの光景が、いまでも生き生きと動きはじめる。兄ちゃんの幸福そうな目が輝いていたのを忘れない。

 

 小学校の六年生でこの地をはなれて名古屋へいったことは、タケルの心に大きな変化をあたえた。汽車の窓からながめた神戸や大阪や京都は、たえず動いていて別世界だった。

 

 名古屋もそうだった。学校の教科書には見られないものばかりだった。一週間ほどの都会での生活で、タケルは社会の現場を実地に学んだ気がしたのだった。

 

 夕食をすませたタケルは、作物図鑑に目をとおしていった。千枚漬けにハシをのばしながら、祖父と祖母はお茶をのんでいた。

 

「ショウゴインカブはアブラナ科で、関西地方で作られているカブの系統である。晩生(おくて)の品種である。根は白くて、直径が20センチにもなる。寒さに強く、スが入るのが遅く、味も良い。千枚漬けや煮物に使われている。8月ごろに種まきをして、12月に収穫されている」

 

「カナマチコカブは小カブの系統である。東京を中心に作られている。根は白い。やわらかくて、甘い。葉ごと利用されている。2月から10月に種をまいて、4月から12月にかけて、数回にわたって収穫ができる早とり栽培が行なわれている」

 

「カブはカブラの別称である。アブラナ科の一年草である。野菜として広く栽培されている。葉はアブラナ(菜の花)に似て大きい。植物学のうえでは、アブラナの一変種とされている。品種が多い。茎の下から根にかけて、球形になった部分は、多肉で多汁である。白色や紅色など、品種による差異が大きい。葉も根も食用にされている」