どっちが先か | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

新朝ドラが始まってもう二ヶ月近くなる。ブギウギもらんまんとはまた違いこれもまた今のところ文句なしに面白い。趣里さんがほんとにうまくて素晴らしい。水谷豊さんと伊藤蘭さんの血を見事にひいている女優さんで、親の七光りなどではなく御本人が輝いている。

そんな今朝の朝ドラは、母ツヤさんの命が消えかかりゆく姿と、弟六郎の出征で、やはり命を深く感じさせる場面が描かれ思わず涙した。

鈍くさく、そして心優しく、大きな声が嫌いな六郎は戦地に行く前からさぞや酷い目に合うに違いない、と容易に想像もつく。母ツヤさんは自分の命が尽きるまでそんな六郎のこと、そして娘スズ子のこと、残してゆく夫のことをずっと気にかけて逝くのだろうな、と思う。どんなに気にかけ助けたくても、消えゆく命に抗うことはできない。

先日は孫との楽しいやり取りの数々の記事で未来のある子との会話は気持が弾むようだけれど、先がさほど長いわけでもない夫婦の会話は絶望的な話題だったりする。

先日もとーさんの警察学校時代の同じ年の同期だった方が病気で亡くなった。みんな現役を無事に退職した人達なのに、老いや病気などに見舞われてゆくような年代になったのだな、と思う。

ふと、数日前から年末調整の用紙を職場から渡されて、まだ職に就いているから記入するのは加入している保険のことくらいなんだけれど、それさえわかりにくくて苦労する。基本的に苦手でもあるし、これで退職したら申告も全部自分でするのか、とぼやいていたら、割にそういうことが得意なとーさんが、まぁとーさんがしてやるで、と言ってきた。

それは親切に有難いことだけれど、とーさんの説明は要領を得なくてさっぱり理解できないのを私の頭が悪いからだと思っているから自分でした方が早いと思ってのことなのだ。

ただ私の思いは、とーさんがぽっくり先に逝った後のことに及んでいるのだ。今は私より元気だけれど、今だに年甲斐もなく無茶ばかりするし、飲むべき薬も途中辞めして健康診断にも行かないようなとーさんだから、その可能性は大いにあるのだ。

まぁさすがにあからさまには言わないけれど、とーさんの方が私より4歳上だし、まだ先だと思うけれど、もし先にポックリなんてことになったら自分で何でもできるようにしておかないとまずいよなぁ、と言うと、なんと、とーさんは全く死なん気がするけどな、と言う。

どこからその自信がくるのだ、と驚く。それに少し前までは、自分が私より絶対に先に死ぬ、と信じて疑わず、老後はなんとかしてくれるだろうと安心している節があった。それがいつの間にか死なない人間の様になっている。

それならそれが何よりだし、私だってあとに残るよりは先に逝った方がいい。それに私も以前は私があとに残るのだ、と思い込んでいたけれど、このところあちこち痛んだり、不具合になるのは私の方で、先に逝くのは私かも、と思うようになった。あれだけ若い頃から無茶や無理を重ね体に悪いことしかしなかったとーさんの方が、なにかと慎重で健康に気を配ってきた私よりもずっと元気なのだから。

とは言うもののそれは実際には誰にもわからないことだ。いくら死なない気がすると言ってもだ。

ふと私はまたたたみかける事を言う。あからさまにではないけれど。いや、あからさまだろうか!?

とーさん、今年の同期会で配られた連絡網、私にもコピーしてくれない!と。なんで?みたいな顔をするから、いや、まぁないだろうけれど、もし仮にとーさんがぽっくり、なんてことになったら連絡しないといけないし。まぁ、念のためよ、念のため!ないだろうけど。

あからさまには言わなかったつもりだけれど💦私が先の場合は、とびきりよく撮れた写真を遺影にする様に残しておくからそれで頼むよ!と私が先の場合も付け足しておいた。

 まぁそんな話で賑わう?夫婦だ。けれどそんなことを言ったことも忘れていた寝る前に、とーさんが連絡網のコピーを渡してきた。覚えていたのか。一応持っとくよ、と受け取った。

そのコピーされた連絡網には去年は載っていたであろう1名の名前はなかった。でもこの連絡網のコピー、私が先に逝ったら必要ないし、ここに載った人達の中でもしかしたら最後の1名はとーさんかもしれない。だったら誰にも連絡はできない。そうなるとやはり必要のない連絡網になる。そうなれば何よりだ。