それでも先々週だったかに心つかまれるシーンはあった。主人公夫婦が一時期戦争後に暮らしを立てるためにハンコを作って売っていた。
戦争で全てを失った人は、自分が何者かを証明するものが何もない。そんな人達のために自分が何者かを証明してくれるハンコを作ることを思い付いたのだった。
そんな時にかつて主人公の夫を裏切り濡れ衣を被せてひどい目に合わせて逃げていた男に再会する。その男はすっかり生気を失い自責の念で日陰しか歩けない境遇にいた。
そんな姿を目にして彼を許してその場を去り、後日人を通じてその男にあるものを託した。小さな袋に入れられた物を。
私はお金かな、と一瞬思ったけれど、それはその男の名前が彫られたハンコだった。
そのハンコを見た男は初めてほんとに許され再び生きる力を受け取ったように涙した。
このシーンで私は最初浅はかにお金かと思ったけれど、当然ここはハンコを作っている主人公が渡したものがお金のはずはなかった。
ここでお金を渡していたら、施されたとなり、生涯この男は施される人として生きて立ち直り再び日の当たる道を歩くことはなかっただろう。
でも主人公が与えたものは、施しではなく、自分が自分自身として生きるという尊厳だったのだと思う。彼はその尊厳によっておそらく過去を洗い流し日陰から出て生きていくんだろうな、と想像できた。
このシーンを見ていて10年くらい前に読んだ本のことを思い出した。すでに手元にはなかったので、どうしても再び読んでみたくなり購入した。
今も東京にある山本印店というまるで都市伝説のようなお店の主人が書かれた本だ。不思議な力を持つ方のようだ。
ここでハンコを作ってもらうとどんどん運気が上がる、と言われている人気店だけれど、電話で受付できた人だけしか作ってもらえないらしく、一日数人と限られている。一定の時間帯にしか受付をされていなくて、何回かけても繋がらないらしい。
本当に必要な人にしか繋がらなくて、何度かけても繋がらない人もいれば一度ですぐ繋がる人もいると言う。
で、この店主が言うには、このハンコを作るから変われるのではなくて、変われる時期にきた人がうちのハンコを手にすることになる、と言われている。
私が昔この本を読んだ時、実は私も電話をしてみた。でもやはり電話は繋がらなかった。今思えばそうだろうな、と思う。
私が10年くらい前にこのお店に電話をした時、やまとは2歳くらいで退院はしたものの、先の見えない状況に押し潰されそうになっていた頃だから藁をもつかむ気持ちで電話をしたのだと思う。
当時は今よりずっと弱い人間であの状況からただ逃げ出したくて、すがりたかったのだ。それでも結局電話はつながらないし、逃げることも誰かにすがって助けてもらえることもなく、一日一日をできることをしながら生きてきて、いつの間にか10年が過ぎ、やまとの病気はそのままだけれど、当時からしたら、やまとが小学生になり、妹も誕生し、大変ながらもみな元気で子供達も大きくなり日々笑って過ごしている。
当時は、二度と自分の人生で笑うことなんかないんじゃないかと思っていたのに。
あの頃は、逃げるな、と言われていたのだろうと思う。自分の力でなんとかしろ、と。なんとかなるから、と。そしてほんとになんとかなるものだ。
もしかしたら、今なら電話がつながるかも、という気がするけれど、今の私にはもう必要ないな、と思っている。
ハンコは、自分を証明する大切なものだから何か不思議な要素があるのかもしれないと思う。
朝ドラのシーンも、ずっと苦しんで自分を失ってきた男が、苦しみの中で後悔し懺悔してきたからこそ、許される時が訪れて、ハンコという形で、ほんとの自分を取り戻し再び生き直す力が与えられたのだろうと思う。
ハンコは大切なものだし、開運グッズと言われるものも世には溢れているけれど、発想は逆なのかもしれない。
開運グッズを持つから幸せになれる、のではなくて、幸せのために目に見えない努力を重ねてきて、コップに水が溜まるように、最後の一滴で水が溢れるように運が溢れて動き出すのだろう。努力という水がたまっていなければ、開運グッズも開運ハンコも手助けはできないのかもしれない。
この10年でそんな風に感じられるようになった。あの時電話が繋がらなくて私にはむしろラッキーだったのだ。
でも、あと一滴で水が溢れるかのように努力の水がたまっている人には電話はつながり、ハンコがさらに幸せに導いてくれるのかもしれないよ。