結婚記念日 | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

仕事から帰るとうたの靴が並んでいて一瞬うた!?と思ってしまった。先日来ていたうたを送る時に抱っこで車に乗せたものだから靴をすっかり忘れてしまっていた。


うたはもう帰ったし、いるわけないよな、と、少し寂しくなる。今は老夫婦二人のいつもの日常だ。とはいえ今日はそんな老夫婦の38回目の結婚記念日だ。正確には結婚式を挙げた日で入籍した日ではないから結婚式記念日なわけだけれど。

結婚記念日、とは入籍した日のことだと思うけれど、私達はその日がいつだったか記憶していない(゜゜;)かつては無知で、結婚式の日を結婚記念日だと思っていたから、何十年も今日を結婚記念日だと言ってきたけれど、最近になってそれは違うらしいと知った。

で、正確な結婚記念日は、結婚式から一週間くらいしてからだったようには記憶があるけれど、正確な日にちまではわからない。戸籍抄本だか謄本だかでも見ればわかるのだろうけれど、まぁ、長く9日だと思ってきたのだからそれでいいかな、と思う。

どうせ何をするわけでもないし、あぁ、今日は結婚記念日だな、と思うくらいのことだし。当日すっかり忘れていた年もよくあった。カレンダーにも、ごみの日、とか書いてあるだけだったり(゜゜;)

まぁ、長女一家のように記念日やイベントに重きを置かないし、よくこんなに長く一緒にいたものだ、と38年の歳月が間違いなく私達に刻まれているという事実が目の前にあるんだな、と思うばかりのこと。


それでもこの38年がずいぶん私をたくましく変身させたものだと思う。波乱万丈な結婚生活で安らぎとか言うものがあったかな、と思いながら今に至る。もちろん安らぎも喜びも当然ありはしたけれど、波乱万丈な出来事の方が人の脳裏にはしっかり残るもののようだ。

そんな38年の収穫は、自分のことを割に好きになったことかな、と思う。結婚前の私は呑気にボヤッと生きていたし、それはある意味幸せな暮らしでもあったのだけれど、自分のことを好きだと思ったことがなかった。

自分で自分に何も魅力を感じないし、つまらない人間だと思っていた。だからといって波乱万丈なんて大嫌いだし、安定が一番、嫌なことからはすぐに逃げる、そんな調子なんだから好きになるはずがない。

それが結婚と共に180度違う環境になり、実家とも遠く離れ夫婦二人三脚ならまだしもとーさんも忙しいしで、一人できりきり奮闘する生活になり今から思ってもよく逃げ出しもせずがんばったな、と思う。やはり子供達も誕生し、家族が増え自分の家庭だと言う思いでがんばれたんだろうと思う。

今ではネット以外はなんとなく自分に自信がついてきたと思う。やる気でやればなんとかなるものだ、と言う自信だ。あくまでネット以外(゜゜;)

とーさんと結婚しないで、別の平和な人生を歩める人と結婚していたら、私は何も変わらない人間だったかもしれない。いや、やっぱり苦労して磨かれる人生だったかな?

何にしてもとーさんと38年間暮らしてきたのはとーさんとの縁があったのだろう。

それにしても38年間の収穫が、とーさんをとても好きになった、ということではなくて、自分をとても好きになった、と言うのも呆れた話かもしれないけれど、事実だから仕方ない。

それでも自分を好きで生きていける、というのは一番幸せだと知った。

こんな夫婦だけれど、先日あこがれるブロガーさんの蒔風さんの年に一度、今年で8回目になる企画に応募して、蒔風さんの作品をポストカードに仕上げたものを送って頂いた。

それがまぁほんとに素敵で、あこがれの夫婦の姿を描いたものだ。勝手に結婚記念日のプレゼントと思っている。蒔風さんご夫妻の姿を描かれているんだな、と無理だろうけれど目標にしたい姿だ。


目となり杖となって夫婦旅・春


目となり杖となって夫婦旅・夏





目となり杖となって夫婦旅・秋


目となり杖となって夫婦旅・冬



目となり杖となる、なんて素敵過ぎる(σ≧▽≦)σ

今は秋のものを飾らせて頂いている。もうじき冬、そして一年を通じて飾って眺めてはこうありたいものだ、と心に刻んでこれからまた年月を生きて行きたいと思う。蒔風さん、勝手にお祝いにしてしまいましたが、ありがとうございましたm(__)m


額が相応しくないけれど、作品に合う額を探そうと思う。

年月といえば先日来ていたうたと、どんぐりを拾ったのだけれど、うたがうちの狭い庭のそこかしこに、どんぐりを植えていた。まるでトトロのように、この庭が森になるよ、とうたに話したのだけれど、それまで年を重ねて森になるのを見てみたいな、と思う。


ころんとひとつどんぐりが転がっていた。うたの置き土産(σ≧▽≦)σ