終盤と始まり | やまとうた響く

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日々の出来事や想いを綴っています。エッセイ風に書けたら素敵なんだけれど。

朝ドラの半分青い、が今週で終わる。半年がほんとうに飛ぶように早い。朝ドラは始まったばかりの時はいつも、今回はイマイチかな、とか思いつつ、見るのよそうかどうしようか、と思いながらつい見ていて、いつの間にかドップリはまる、のが私のいつものパターンだ(゜゜;)

どの朝ドラにも最近は珠玉の名言が所々にちりばめられている。半分青いも感動的な名言はたくさんあった。以前ブログにも書いたけれど、初盤のある言葉にぐっと心を掴まれ、以来欠かさず出勤前の朝のひとときをテレビの前で過ごす。

私が最初に心掴まれた言葉は、私は左耳の聴力をなくした。私の世界は半分になった。私は生き物として弱くなった。両方の耳で音を聴いてる時世界は力強くたくましかった。しっかりそこにあった。今は何の音もか細く頼りない。足元がぐらぐらした。心もとなかった。でも本能が生きようとした。世界を楽しもうとしていた。

この言葉は初盤で語られたけれど、今も心に残る。そして今日は、主人公が親友の死にうちひしがれている時に語られた言葉が静かに心に入ってきた。

私達はみんな生と、死の狭間に生きている。生まれることも死ぬことも特別なことではない。

この言葉を聞いて思い出したのが先日亡くなった樹木希林さんだ。彼女もご自分が癌だと知ってからの人生を生きていくのも日常、死んでいくのも日常、と語られていた。同じだ!なんという同じタイミングでこの言葉を耳にするとは。

私の人生も残り少ないから!?いやいや、確かに残り多くはないから、普通にどんな時も日々を大切に過ごせばいい、ということと受け止めよう。でも、実はまだまだ達観もしていなくて、ジタバタこの世で足掻いて過ごしている私には今日の言葉より、数日前に語られた言葉の方にぐっと引き込まれた。

主人公の小学生の娘のかんちゃん(花野ちゃん)がいじめられていることを知った主人公鈴愛が、かんちゃんに言った言葉だ。別に私も苛められているわけではないけれど、日々をあれこれ奮闘している。むしろまだまだこの世で頑張っている私にはこの言葉がしっくりきた。

かんちゃんに、転校を勧めると、かんちゃんは健気に、かんちゃん弱虫じゃない!?逃げていいの!?と訴える。それに対する母の鈴愛の言葉が素晴らしい!

違うよかんちゃん!あなたは逃げるのではない。正しい場所に行くんです。そしてする必要のない戦いだ。だから場所を変える。その方が手っ取り早い!

苛められている子供達がこの言葉を告げられたらどんなに心が楽になるだろうと思う。キッパリと力強い目で見つめられながら!

辛いことがあっても、そのできごとだけでなく、それにちゃんと対応できない自分に自己嫌悪してしまうことが、辛さを倍増させると思う。

この世の荒波に揉まれながら生き抜くには時にはこんな言葉は人を助ける。そして視点を変えてまた生きる力がわいてくる。もう少々足掻きながら生きていくであろう私はこの言葉を握りしめよう。あと何年かしたら、今日の朝ドラのことばを実感するようになるとは思う(  ̄▽ ̄)

そんな朝ドラもあと二回だ。いつもなら朝ドラロスにしばし陥るのだけれど今回は次の朝ドラも楽しみにしている。

まんぷく、というドラマが始まるけれど内容などは知らないけれど、主役の安藤サクラさんに注目している。彼女は以前観て感動した映画、鎌倉ものがたり、で、なんと死神を演じていた。脇役でありながら、ものすごくいい味で印象に残っていた。その彼女が主役を演じるのだからそれはもう楽しみだ。

彼女は、奥田瑛二さんを父に、安藤和津さんを母に持ち、夫が、榎本佑さん、という個性派俳優一家に囲まれ、ご自身も派手さはないけれど味わいのある才能豊かな女優さんだ。

二世の人といえば樹木希林さんの娘さんの内田也哉子も才能豊かで七光りではない独自の才能を持たれているな、と思う。


後二回の半分青い、そしてそれから始まるまんぷく、なかなか今、私の中では朝ドラが熱い(  ̄▽ ̄)楽しみ~(*^-^*)



かんちゃんに、あつく語る母、鈴愛



右端が安藤サクラさん


まんぷくの主演を今度はどう演じるのだろう(  ̄▽ ̄)