このところ、あることを考えていて、今日目標として来年度にがんばってみようか、と思った。
看護師を目指そうかな・・・な訳はなく、それは長男に任せるとして、やまとだけの看護師を目指してみようか、と思った次第。
それはどういうことかと言うと、私もやまとの吸引をできるようになれば、長女達も今以上に助かるんじゃないかな、と寒くなって調子を崩しやすいやまとの吸引の大変さに想いを強くした。今までしてなかったの?と思われそうだけれど。
吸引ができるのは長女夫婦だけだから、長女達のどちらかが体調をくずしても、変わってやることもできない。ただチューブで痰をすいとってやればいいだけではなく、痰が取れやすくなるように、マッサージをしたり、体の向きを変えたり、ゴロゴロいう音に耳をすませて、痰の多そうな場所に目星をつけて、少しでも楽に吸引してやらなくてはならない。
だから、看護師さんであっても、いきなりだと、うまくできない。
そんな訳で、家族であれば吸引はしてやれるけれど、私はできずにいた。以前やってみようと思ったことがあったけれど、やっとやり方を覚えても、毎日しないと、何日か日にちがあくと、やはりもたもたして元に戻ってやまとに苦しい思いをさせてしまう。そんなことを理由に結局できずにいた。
怖くて逃げていたとも言える(゜゜;)私は昔、舅が脳出血で倒れて亡くなるまでの2週間、意識不明で、やはり喉を切開して痰を吸引しなくてはならなくなった時に、普通にどんどん吸引していた。
舅に意識がないから、苦しんでいない、ということもあるけれど、恐怖心もなく、一生懸命していた。自分ではうまくできていると思いながら。
でも、今思うと、舅への思いと孫のやまとへの思いの違いを感じる。やはり、親身さが違う。舅では、平気だったのだ。当時は自分では、一生懸命介護しているつもりでいたけれど、いざ、幼い孫の細い喉に開けられた穴にチューブを入れて吸引することが、恐ろしかった。
傷つけないだろうか、うまくできているだろうか、苦しくないだろうか、と。舅の時には考えもしなかった。ひどい嫁なのかな(>_<)でもそれが正直な私の思いと行動の違いだ。
でも、親たちはそんなことは言っていられない。命がかかっているのだから。でも、結局私は、たまにしたってやまとが苦しいだけだから、ということを言い訳に今までしてこなかった。
今私ができることをしよう、と思って、うたの子守りや、家事手伝いをしてきて、それはそれで長女達には随分助かることなのだけれど、時々であっても、私がやまとの吸引ができたなら、長女達のどちらかが疲れて具合を悪くしても、ゆっくり休ませてやれる。
今はどんなに具合が悪くても、長女夫婦の二人きりしか吸引できないから、休むこともできない。
うたを出産する時ですら、やまとも特別に小児科に入院させてもらって、やまとのとーさんが、やまとに付き添い、長女は出産後、うたにおっぱいを飲ませながら、やまとが心配で、産婦人科から、小児科病棟まで行って吸引していたくらいだ。慣れない看護師さんでは、不安だと言いながら。
二人の手が、三人になったら、ずいぶん違うことは目に見えている。ずっと吸引してやれずにいた私がこんなことを再び思ったのは、少し前に母の施設に言った時に、母は自力で呼吸をするし、喉を切開もしていないけれど、やはり痰がからんで、ゴロゴロと苦しそうにすることが増えたと言われて、吸引器が置かれていた。
その時、やまとに比べて、やはりたまにしか吸引してもらえない母のゴロゴロいう音にたまらなくなり、自分で母の口から吸引してみた。
やはりなかなかうまくいかないけれど、その時、母からのメッセージのように感じた。やまとにも、してやれば?やればできるよ。
やまとには両親がしっかりついていて、ひっきりなしに吸引していて、それを当たり前だと思っていた。人口呼吸器だから尚更ではあるけれど。
でも、あんなにこまめに吸引している長女夫婦を改めてすごいと感心して、その大変さも、やはりわかっているつもりで本当にはわかってなかったんだ、と思えた。
今まで、そんな長女達だから、やまとのことは二人に任せてもいたのだけれど、母からの後押し?もあって、今のままじゃ、二人がもたない、私も吸引してやりたい、そんなことを、来年は目標としてやってみよう、とクリスマスイブに決意!した。
これ以上さらに忙しくなりそうな道を進もうとしている私、ほんとに大丈夫か!?と思うけれど、なんとな~く、サンタさんからプレゼントされた私へのお仕事なのかな、とも思う。
こんなプレゼントもありなのかな(゜゜;)ともあれ、メリークリスマス(*´∀`)