おっ!意外に・・
さくさくっと。。。
□主人のリクエストのカレー作った
□サイトのアップ
□布団なおし
□Yシャツアイロン(でも1枚だけだった。。(ノ◇≦。) 明日に3枚やるぞ!)
□家計簿計算
□メールコーチングの返事
□セッション&ログ
□買い物
□CDA勉強準備
よくできましたぁ~~~(*^o^*)
リストを作って、
その横に「こんな姿勢で」やってみる!という一言
そして、
ここまでできたら終わり!ってゴールをイメージしてやってみました。
今日はさくさくやることがゴールなので、
そこに照準を合わせてどんどんやってみました。
たった一つでもそれを深く質を目標にする時、
やるということを目標にどんどん数をこなす量を大切にする時、
ちゃんと分けてやると達成感があるね。。
今日の気づきのコトバ
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
量も質も、いい達成感を持つ
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□主人のリクエストのカレー作った
□サイトのアップ
□布団なおし
□Yシャツアイロン(でも1枚だけだった。。(ノ◇≦。) 明日に3枚やるぞ!)
□家計簿計算
□メールコーチングの返事
□セッション&ログ
□買い物
□CDA勉強準備
よくできましたぁ~~~(*^o^*)
リストを作って、
その横に「こんな姿勢で」やってみる!という一言
そして、
ここまでできたら終わり!ってゴールをイメージしてやってみました。
今日はさくさくやることがゴールなので、
そこに照準を合わせてどんどんやってみました。
たった一つでもそれを深く質を目標にする時、
やるということを目標にどんどん数をこなす量を大切にする時、
ちゃんと分けてやると達成感があるね。。
今日の気づきのコトバ
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
量も質も、いい達成感を持つ
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
私は何者~いいきるぞ!( ・д・)/--=≡(((卍
□さぁ、【私は何者か!】いいきるぞ!( ・д・)/--=≡(((卍
今日は少し長くなりますが、
ここで言い切っておきたい!(勇気を持って)
吐き出しておきたい。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
はっとりさちこは”人が集まる木”です。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
人を集めるのではなく、
人”が”集まる木。
イメージは”この~~木何の木氣になる木”♪です。

自分の人生というミチの途中で
この木に来ることを選んで、
人が集まる。
木は
時には、嵐に向かって積極的に枝をはって守る。
時には、ブランコを揺らして楽しむ。
時には、涼しい日陰をつくって迎え入れる。
そして、時にはガンと聳え立ち振り返らせる。
そして、
集まった人は、
来たときよりも力強く笑顔で
自分らしい一歩で
この木から出て行く。
そして、
やっぱり、
木はだたそこにいつもいる。
そんな木です。
一人ひとりのために枝をはって、
一人ひとりのスペースをつくり、
そして、
いつも繁々と葉を拡げ誰よりも太陽を目指し、
いつまでも元気に自生してそこにいる。
そんな私でありたい。
だから、
時には愛あふれる情熱が現れたり、
時には無邪気で楽しそうに見えたり、
時には無関心な距離感を感じたり、
それは集まる人が決めること。
でも、行けばいつでも入れる安心なスペースがあって、
集まった人一人ひとりに
いつも変わらず最高である私でいる。
これが私のビジョン。
セルフイメージです。
□で、
私の生き方とコーチとかかわりとは?
気づいたのです。
私にとってコーチであるとは
「人が集まる木」であるあり方。
そして、
それが私の生き方。
そうです。
私の生き方=コーチであること
あっ、ここで”コーチ”というのは
ビジネスコーチングとか
コーチングコミュニケーションスキルといった
ある領域の中で限定された切り取れる”モノ”ではなくて、
その言葉の語源”馬車”
~大切なものを大切なところに送り届ける~
というあり方の意味です。
言い換えると、
「自分という唯一を自分だけしかいけないところに送り届ける」
ってこと。
□いろんな表現はありますが、
私はこんな風に言われます。
そのいくつかをバラバラと・・・
「気になる人」
「エネルギーのある人」
「変!面白い!楽しい人!」
「いつも元気な人」
「いるだけでうるさい人」
「大きく感じる人」
「眼力のある人」
「キラキラしている人」
なんて。
コトバのトーンはおいといて・・・・
ニュートラルにその本質
「私はいるだけで何かを伝えている人」
という面があるってこと。
そんなコトバを聴くと嬉しぃ、
そして同時に
ぐぐぅ~~っといやな気持ちになる。
『全体の調和を崩してないかな?』
『空気が読めてないかな?』
『気を使ってないガサツさがあるかな?』
『繊細さ・優雅さが無いかな?』
『元気すぎて相手を疲れさせていないかな?』
『私のペースにあわさせていないかな?』
と自分を押さえ込もうとします。
□そのルーツは、
中学のとき、
私はがんばった。
その時
がんばるなんて言葉は
私の内側にこれっぽっちも無く、
ただやりたくて、
苦しくていやになることもあったけど、
でもやりつづけたこと。
だからきっと
外から見れば
がむしゃらで、
無謀で
すごくがんばって見えたことだろう・・・
そして、
それはカタチとなって現れた。
私は
それを素直に喜んだ!
すごく嬉しかった!
すごく楽しかった!
それをそのままに
発散していた・・・
□そしたら。。。
周りとの間に
ギシギシ・・・
ガリガリと
不協和音が起きて、
私は
いらない人になった。
一緒にいてほしくない人になった。
そして。。。
私の中に
「私が私でいることはいけないこと」
って言葉がポツンと残った。
それは今もどこかに残っている。
だから・・・
私は「がんばる」という言葉が嫌い。
でも、本当は好き。
私にとっては
がんばるとは
自分らしくいるって意味なのだ。
でも、上手く使えない。
□そうです。
私は
孤立を恐れています。
一人外れることを怖がっています。
身を隠したくなるのです。
だから、
その不協和音が教えてくれたのです。
繊細さ
場の空気を味わうこと
その全体が創るそこにしか生まれない希少さ
優雅さ
譲り合う配慮
すなわち「調和している感覚」
をとても尊重することを。
そして、それも私の本質と気づく。
それが大切だと知っているから。
どうしてもそれを尊重したいと感じるから。
中学のあのときが、
これに気づくときだったのです。
そう、
あのときはそのための1つの出来事だったのです。
□そして、同時に
やっぱり私は
埋没したくない
無いものを埋めるのではなく、あるものを伸ばしたい
同じでいたくない
違和感があること楽しみたい
のです。
そう、
私は唯一の私でいたいのです。
誰でもない【私】でいたいのです。
□だから、
私は
ありのままで
”いる”という存在を
自然と表現しているのです。
自覚しようがしまいが、
それが本質の私だから
そのエネルギーがあふれ出ちゃうのです。
□私は
「違い」と「調和」の葛藤を生きているのです。
相反するように思っているから、
どっちをとるのかわからなくなって
何をしたい人なのかわからなくなる。
でも、
私はそのどちらもを求める人なのです。
そして、
私はコツコツと
その葛藤の中で
その両方を求めることを続けて
悩み、考え、学び・・・・
その両方を求められる人と場所を
自分で選んでつながりをつくってきた。
私は私らしく生きることを選んできているのです。
□そして、気づくのです。
自分らしさとは怖いものです。
私は自分の図り知れない可能性、
あの中学のときにいた自分がもっともっと大きくなった
”スゴイ”自分になることを恐れていると。
本当に怖い。
怖いです。
□私はこの恐怖とともに生きてきて、
今も生きていて、
これからも生きていく。
それが私だからね・・・(笑)
だから、
私はその生き方に
誰に教えられるでもなく
自然と、本当に自然と
”コーチ”というあり方で臨んできて、
いまもそうで、
これからもそうあるとわかっているのです。
□私は
一人ひとりが一人ひとりで生きていてほしい。
一人ひとりが自分で自分の一番を選んで、
自分で決めて生きてほしいと。
自分で選び、
自分が決めるそこに
可能性があるのです。
必ず。
そして、
一人ひとりのその唯一であって、
全体である責任を果たしてほしいと思うのです。
だって、
私はわかっているのです。
人は一人ひとり違って、
その人がその世界に唯一である重要な存在だから、
この世界にとって重要な存在だから存在しているということを。
そして、
その人の一番の生き方をするとき
それはそれだけでこの世界のためになることができることを。
とても安心して、大丈夫だってわかっているのです。
そして、
その違う人だから、集まると楽しいのだと。
□そして。。。。。
これをそっくりそのまま自分に向けるときがきた。
そうです。
私の生き方のミチをコーチというレーンで歩くということ。
”コーチ”という要素は、
運動能力や分析能力と同じように
人が誰しも持っている能力です。
私はそう思っています。
で、私は自分の中にある能力を
そのままに磨いてずっと生きているということに気づくのです。
私の生き方と”コーチ”のかかわり、
それは、私の生き方なのです。
なんとすばらしいことなのだろう。
私は”コーチ”であることが
私の強み~自然にありのままであること~であって、
私が生きてきたこのすべての時間を
コーチであり続けてきたんだと気づくのです。
□両親が教えてくれた。
身をもって教えてくれたすばらしい存在です。
一人ひとり人は違うということを教えてくれた。
一人ひとり違うすばらしさを持っていることを教えてくれた。
そして、
一人ひとりが自分のすばらしさを
自分で磨いて生きることを教えてくれた。
そして、
その違う輝きを持つ一人ひとりが一緒にいて、
違う新たな輝きを創ることを教えてくれた。
「生きるとは一人で輝けること。
そして、二人で笑って楽しむこと」
ってね。
そんな生き方を教えてくれた。
□だから、私は・・・
人は自分ひとりで輝くから
私はここにじっとしていたいのです。
そんなかかわり方で
一人ひとりの可能性の力を大事にしているのです。
そして、
自分で選んで集まる人と私は深く深くかかわるのです。
□そして、
私は
一人でも多くの私に集まる人のスペースがつくれるように
知識や経験という枝を拡げていく。
いつでもその人が必要なものを手に取れるように。
そして、
自分らしい発見や気づきという葉を茂らせる。
一人ひとりと深くかかわりたいから。
そして、
私はそこにただいるだけだから、
私の周りに届く太陽や雨・風、雪を”いかにも”楽しむのです。
限られたそのときを楽しむのです。
それが
私が元気な笑顔でありつづけるに
必要十分な栄養と知っているから。
いつでも枝を拡げ、
新芽をイキイキとつけるために。
これが私のミッション。
□そう、これがコーチのミッション。
【私が何者なのか?】
はっきりした。
だから、動きたくなってきた!
私は、私の居場所を知らせることをする!
間取りをつけて。
間取りとは、
”どんなスペース”があるのか?
私と”どんなかかわり”があるのか?
そのスペースで”どんな体験”があるのか?
ということ。
あなたが
この”何の木?”に
行くか行かないか選べるように
間取りを伝える。
私は自分の在り方に責任を果たす。
今まで・・・
『売り込みは嫌い』なんてコトバで、
『届いていないから来ないだけ。
私の在り方が必要とされていないというわけじゃない』と、
自分らしく生きることへの恐怖から逃げていたことに気づくのです。
可能性の恐怖とともに生きるとき、
その先に”ビジョン”が見え、
”価値”を握りしめ、
”ミッション”が聴こえる。
今日の気づきのコトバ
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
恐怖はなくならない。
それは可能性のことだから。
だから、恐怖と一緒に生きていく。
━─━─━─━─━─━─━─━─━─━─
最後までご一緒にいてくださって
ありがとうございます。
言い切ったので、
これからはスパッと短く核心の言葉をお届けすることが
できるように思います。
最後までご一緒くださって
ありがとうございます。
あなたがいてくれるから
こうしてつづれました。
そして、
不思議なことに
今日が私の父の生まれた日であることに
何か在り難さを感じます。