昨日の記事の、補足記事です。


言葉にまつわる親族たちの「あるある」エピソードが多く、収まりきらなかったので、こちらに別途で記載しておきます。プラス、最後に書いた言葉を鋭く自分を傷つけるものとして受け取るタイプについても、補足しておきます。


先に、あるあるエピソードです。



母親が、熱を出してしんどい時に「熱が出ていてしんどいから、夕方まで寝かしてね。起こさないでよ。」と伝えて寝室に入ったとします。


最初にこの説明を聞いただけの子は、ほぼ、


「おかあさん、このパン、食べていい?」


「おかあさん、なんか電話が鳴っているよ」


「おかあさん、絵が上手くかけたの!見てみて!」


「おかあさん、カップヌードル食べたいの。どこにある?」


「おかあさん・・・」



と、夕方までに10数回は、軽く起こしに来るでしょう。これは「あるある」エピソードの筆頭に来る話です。こうならないためには、この子どもの「最初の設定」、つまり、「生まれた時からこの子が当たり前と思って母親のお腹から持ってきた、初期設定」を書き換えておかないと、いつまでも、おそらく成人しても、このままのことをやらかすと思います。


書き換えは、昨日書いたように、「起こさないでね」という意味がもつだろう内容を、小さいころはできるだけ具体的に教えておくのが大事です。言うだけでは理解できないので、絵に書いたり、表にして手渡し、わからなくなった時に確認できるようにしてあげたほうがいいです。


教えておく内容は


「起こさないでね」ということは、こういうことです。


x 「起こさない」以外のことはしてもよい


○ 「起こさない」ような行動をする


○ 「起こしてしまう」声掛け、行動はしない


(下に書いた内容は、表やグラフにして渡します)


・ 話しかけない (話したいことはメモをして、夕方お母さんが起きたら渡す)


・ 質問しない、わからないことをすぐ聞こうとしない(夕方まで待ち、お母さんが起きたら質問します、または、すぐに知りたいなら、お母さん以外の人に質問します)


・ 「~していい?」と許可を求めない。(許可が欲しいときは、寝ているお母さん以外の起きている大人に聞きます)


・ お母さんの寝ている寝室に入りません、近くをうろうろしたり、ぶつかったりしません。


・ お母さんに触ったり、のったりしません。


・ お母さんが寝ている寝室の扉の前で、音を立てたり、歌ったり、大声を出したりしません。


・ 電話がきたり、お客さんが来たら、家にいる他の大人にまかせます。他に大人がいないときは、電話にはでません、お客さんにも会いません。あなたが子どもで小さすぎるので、相手ができないからです。そのまま、知らないふりをしていてください。



次のエピソード。



「8時半までに寝なさい。」の言葉を聞いても、8時半に布団に入ることはありません。


8時半、という具体的な時間を子どもに提示しているのだから、具体的でよい指示だと大人側は考えるかもしれませんが、「初期設定のまま」」ではこれは無理です。「8時半までにねなさい」という指示が有効になるのは、初期設定を何度も「説明」や「経験」で塗り替えて、カスタマイズした後ならできます。


初期設定ではこのような感じです。


8時半になっても寝る様子がない。でも子どもの頭のなかでは「あー、時間が来た。寝る時間だ。」と、寝る時間を意識できた時間として、親の言った条件はもう満たしたという感覚でいます。


子どもにとっては、寝る時間を覚えておく、ということがそもそも大きな課題であり、やった、覚えていた、という達成感もあるので、そこで安心して寝る用意などを忘れるというか、もう言われたことは「脳内でやった」つもりでいる可能性は大です。無意識に、8時半を超えた辺りで「親との約束は果たした」ことになっています。


このようなトンチンカンな結果にならないように、「8時半に寝なさい、というのはどういうことか」を、これも表にしたり、8時半までのスケジュールを作成したりして、「8時半に布団に入れる現実的な策」を提示して上げる必要があります。こんな感じです。


「8時半にねなさい」は、「8時半までに、お布団に入って目を閉じている状態にすることです。8時半までにすることがたくさんあります。例として、スケジュールを提案します。」


8時 歯磨きをする


8時10分 服を脱ぎ、パジャマを着る


8時20分 お布団を用意する


8時30分 お布団の中に入って目を閉じる



等々と、8時半までにしないといけないことを具体的に子どもに知らせます。「8時半までにねなさい(それまでに用事を済ませておきなさい)」の、用事を済ませておく、というのは、発達障害の子どもにとっては、ほぼ言われないとわからない、想像できないことだと思います。


理由は色々ありますが、自分の行動を振り返る力がないと自分の行動を管理する能力が発揮できないのと同じで、自分がどう動いているかを点と点の経験でなら思い出せますが、一つのつながり、時間の流れとして把握していない子には「自然と自分を時間の流れに乗せて考える」ということがまずできません。


そして、自分のボディーイメージが乏しい子も多いので、寝る、という単語と、布団の中に入るというあの感覚が、体に、頭に接点として思い浮かべにくいといのも一つの理由です。


定型の人なら、「寝る」という単語を聞くとともに、寝室や布団、ベッドを感覚的に思い出すのではないでしょうか。それが、子どもたちには難しい。消しゴムやおもちゃと一緒に「頭のなかの言葉の棚」の中に、整理整頓できていない状態、例えるとまさに、片付けられていない時の部屋の状況と全く同じような頭の中に「8時半にねなさい」という言葉カードが放り込まれただけ、の状態なのです。


ですので、子どもが「8時半に寝ましょう」という言葉を聞いた時は、消しゴムやおもちゃに埋もれている子の頭の中に一つ言葉を追加しただけでなの、よけいに煩雑にしてしまってはいますが、わかりやすいわけではないのです。


この煩雑な脳内が生まれつき当たり前になっているのですが、意識をしっかりと集中して頑張れば、発達障害の子でも幼くても指示を聞くことができるように段々となります。それが絵で指示内容を示す、カードを使う、などの「支援ツール」で頑張れるように後押ししているわけです。だから、やりすぎると「頑張らせすぎて」逆にキレてやらなくなってしまったりするわけです。生まれつきの自然の癖を変えていくわけですから、上手く使える左利きを無理やり不器用な右利きにして、しかも日常的に使えるようにするのと同じで本人にはしたくない、しんどい努力であり、大人の都合に合わせて急ぎすぎたり、無理をさせすぎるのは良くないということです。



エピソードに関しての説明のほうが長くなるので、数は多くご紹介できませんでした。ただ、エピソードの内容は異なっても、本質的には同じ根っこがあるということを知っていただければ、お子さんの変わった部分、おかしいなと世間で言われる部分をマイルドにしていってあげることができるとわかっていただけると思います。



年齢によって、こうした具体例に「やめてほしいこと」を増やしていくこともあります。幼稚園や小学校低学年の子は、こうした表を渡しても、理解度そのものが発達年齢がまだ3歳前後だったり、欲求の強さ、我慢ができないストレートさの発達年齢も1歳、2歳、3歳レベルぐらいだったりしますので、丁寧に説明されたところで具体例を示されたところで、できないことも多いです。


ですがこの表を、例えば親が熱を出す度に常に渡される、常に説明されることによって、「何も説明されず、起こさないでねとだけ言われる」よりは、小学校高学年~中学ぐらいでほぼ、このような間違いを起こすことが少なくなります。6年がかりだと思っていても良いかもしれません。



さて、そこで「言葉を刃のように受け取る」タイプの子どもについて、最後に補足しておきたいと思います。


言葉を、単語のまま受け取って、「正しい意味がわからずズレたことをする」のであれば、子どもの行動や言動がおかしくても、本人の精神状態は明るいことも多いです。「またやっちゃったー」とケロっとしている子や、親から小言を言われても、華麗にスルーをしてマイペースな子は多く、そうした子は心身が病んだり心の健康を損なうという所まで発展しないです。

(注:本人がいくら根が明るい性質でも、学校で、その低い能力をからかわれたり、いじめのネタにされれば、自己肯定感が低くなったりいじめから精神状態が悪くなることはあるので要注意です)


一方、気をつけていただきたいのが、「言葉で確認できない部分」を、自分勝手に想像したり思い込んだりして、悪い方へ、悪い方へ思考を持っていくタイプです。


親族の場合は、アスペルガーの子どもにこの傾向が強く見られます。生まれ持った思考の癖が、どうしてもネガティブに転びやすい、かつ、深く自閉して考える癖がある(客観性のない思い込みが深い)、喜怒哀楽のうち、哀と怒の感情が強くでやすい、という特徴がよく見られるため、言葉自体にしがみついて、ありもしない現実を「必ずそうだ」と思い込みやすいのだと思います。


例えば、お友達数人と廊下で傘をちょっとゴルフのパターのように使って、ボールを転がしていた所に同級生が通りかかり、「やめとけよ」と一言、言っただけなのに、この親族の子は「自分に向かって自分にだけ注意した、そんなに悪いことをしていないのに、みんながやっていて、自分だけやっていたわけじゃないのに、自分を攻撃してきた。自分に何か恨みや嫉妬や敵意があるからだ」と思い込んだエピソードがあります。


たまたま、その先の教室に親族の年上の子がいて、この子が「かーっと」した瞬間を目撃していたので、後で親親族に報告してくれました。


親族の親の前で、一通り注意した子への恨みつらみを言わせた後、一部始終を目撃していたと報告してくれた子に、話してもらいました。


年上の親族の子は、


「休み時間だったけど、廊下には少なくない人数が行き来していた。その中で、一人だけ傘でボールをついている子がいるな、通行している子たちがボールを踏んだら転倒するから危ないな、と見ていたら、その傘を持っている子がこいつだった。


注意しようと思っているところに、通りかかった子が注意したみたいだった。それですぐやめておけばいいのに、その注意した子にくってかかってた。


どうみても、廊下の真ん中でボールをゴルフしてたこいつが悪い。自分だけ注意されたっていうけど、あの時に傘を持っていたのはお前だけだろう。他の子は見てただけだから、先に危ない行為をやめさせたいなら、傘を持っているやつに言うのが当然だし。


自分が悪いことをしてるのに、注意されたら怒るってのはおかしい。すなおに『やめろよ』と言われたらやめればいいんだよ。


聞くけど、廊下でボールでゴルフやるのは正しいのか?注意した人間に怒るってことは、自分は正しいって考えている行為だよ。お前、自分は正しいって100%自信あるのか?」


と、この子に辛辣にその状況を伝えました。


言われた子は、「あいつがやめろって俺にだけ言ってきた」という部分が、自分への攻撃、と受け取って激昂していたのであり、その部分を「傘を持ってやっていたのが自分だけだから」という理論で撃破されたので、言い返せなくなりました。


そこで大人の説明の補足で、


「やめとけよ」っていう言葉は短すぎて、あなたにはグサッときて頭にきたのかもしれないけど、その状況だと、


「自分みたいに廊下を歩いている人がボールを踏んだら転倒してけがをするおそれがあるから、危ないので、やめとけよ」っていう意味だね


でもあなたは、相手のやめとけよ、の言葉を「何をやめないといけないか」につなぎあわせて考えるよりも、やめとけよ、と言った相手と、自分だけに言った、という2点だけをつなぎあわせて考えてしまったのよ。


だからバカにされたとか、自分だけ攻撃されたって方に間違って考えたけど、一番に考えないといけなかったのは、やめとけと、言われた状況を、自分が間違っているならやめる、ということ。指摘されたなら、指摘された相手よりも指摘された内容を先に考えること。


という、この子の「考え方の癖」を、本人が理解できるようにメモにしたり、図解したりして説明しました。


本人も、周囲の人がことごとく指摘してくる内容と、自分がこだわっていることの内容のズレ、自分の正当性がそうではなかったことの現実をあわせて、「嫌だけど、でも自分が間違っていた」ということを認めずにいられなくなりました。


自分が間違っていた、ということ認めたくなくて人を言葉で攻撃したり、物を投げたり、泣き叫んだりして回避しようとする子は多いです。ですがその時はクールダウンのために回避させたとしても、必ず「間違っていた点」については、その後も繰り返さないように、こうした話をして、考え方の癖をひもといて、自分には確かに癖がある、と自覚できるところまで持っていくようにしています。


癖は、認識できると改善していけるからです。


「起こさないでね」という言葉の足らない部分を、知らないからと質問しに来たり、お願いしに来たり、いろいろとやってしまう子もいれば、言葉の足らない部分を自分で想像して、ネガティブに被害妄想していく子もいます。


言葉は見えない部分がある、とよく言われますが、見えないのではなく「説明していない部分」が子どもに誤解されている、子どもが持つ「自分の力だけで頑張って解釈した」結果、ずれたり変に歪曲したりしてしまうので、そこが障害特性の凹み部分であるわけです。


障害特性の凹み部分を「凹んでいる」から補うといいよね、と取り組んでいけば、凹み部分が段々となだらかになって平になってきた、というのが親族の成人ぐらいの状況です。


「うちの子、この系統だなぁ」と思い当たるフシがあれば、こつこつと「ずれた」「ひねくれた」機会をネタにして、同じ失敗や思い込みをしないでいいように、経験値をあげる一つのチャンスとして親子で話しのネタにされることをおすすめします。






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