齋藤茂吉の妻 そして齋藤茂太の母  「猛女と呼ばれた淑女」祖母・齋藤輝子の生き方 齋藤由香著 | ほめる・わらう・愛と光と感謝の輪

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「地球ほめ笑い企画」を共同主宰。「ほめカード」「自己紹介ほめトランプ」共同制作。ほめ笑い講座・ラフターヨガ・感謝法伝授・人生の目的を知る講座・マリアヘッドヒーリング伝授・随時開催。

北 杜夫の娘である 齋藤由香が書いた 輝子の自由奔放な生き方がかいてあります。


輝子が体験したこと


   チューリップオレンジ大正12年関東大震災にて被災


   チューリップオレンジ大正13年 ヨーロッパから茂吉と一緒に 船で45日かけて


    日本に帰る途中、船の上で自分の病院が全焼したことを知る


   チューリップオレンジ昭和20年東京大空襲でまたしても全部焼け野原になる


こういう大きな事件や 災害にあっても


冷静 沈着で即座に判断する力を もっていたという。


豪胆たる気質。


「きれいさっぱり焼けて かえってさばさばしたわ」


と空襲のあとに言った。


そのあとも 79歳で南極にいくなど 世界中をまわり


昭和59年輝子は 89歳で波乱に満ちた生涯を閉じた。


激動の 時代ということもあるがたいした方だったと思います。


輝子がよく言っていたということを紹介します。


「茂吉という人は普通の人ではつとまりませんでしたよ。


いつもぴりぴりしていて気の毒でした。


本当の利口な女か本当の馬鹿な女でないかぎり


そばにいるのは無理でした。


文学をやるひとはなかなか一筋縄では


いかないんですよ。


強烈な個性と自我を持たなければ


文学の道で一流になれない。


そういう夫をもった妻は悪妻に


させられずにはすまないんです。


だからおばあさまはわざと 悪妻ぶっていたの。


漱石の場合も 蘆花の場合も 


悪妻のレッテルを貼られたご夫人に


わたしは同情しますね。」


輝子の葬儀が終わり 火葬場でお棺のふたを閉める時


息子である齋藤茂太が


「ママさま、さようなら」と言った。


輝子の人生を 最後の時まで綴ったこの本に


思わず魅せられました。


人生って 終わってみて 初めてわかることが


あるんですね。


悔いのない人生を送ろうと思わせてくれた本でした。