中河原こども園「音楽で遊ぼう」・2 | 孤独な音楽家の夢想
2024-02-28 05:39:06

中河原こども園「音楽で遊ぼう」・2

テーマ:ブログ

(承前)

 

 そこで、僕がヒントにしたのは、甥っ子である。今4歳なので、ちょうど「年中さん」である。そんなに頻繁に会っているわけではないが、彼をイメージすれば、おおよそ、園児の想像がつく。彼よりもちょっと小さいのが「年少さん」であり、彼よりもちょっと大きいのが「年長さん」だ。けれども、相手がひとりではない・・・というのが厄介なことである。ひとりならまだしも、大勢・・・。あのくらいの子どもたちが、集まったらどうなるのか・・・。・・・僕は、本当に恐れていた。しかも、百戦錬磨の先生たちが見守る中である。僕は幼児教育の専門家ではないし、自分に子どもがいるわけでもない。なぜ、園長は僕に頼んだのか・・・、不思議でならなかった。園長は笑いながら、僕に簡単に言う——「いつもの感じでやってもらえれば、それで大丈夫です。」(園長は、「新町歌劇団」の団長である。)・・・「いつもの感じ」と言っても、何度も言うが、園児は経験がない。僕が歌うならまだしも、教えるのである。僕からの「一方通行」でなく、「やり取り」をしなければならないのだ。しかも、ひとりではなく、大勢と・・・。

 けれども、これは経験がないので、考えても仕方のないことだ。だから、僕は現場主義に徹することにした。・・・これまでの積み重ねが、僕にはある。自信を持って臨めば、現場判断でどうにかなるだろう・・・と、高を括ることにしたのだ。

 ただし、そうは言っても、保険として、おおよその予想を立てていた。幼稚園の先生は、園児たちの声が出ていないといけないので、まず、元気に歌わせることを目標としているだろう、と。・・・もちろん、子どもなのだから、元気に歌えれば、それでいい、という考え方があろう。そして、発表会に出るのに、みんなが覚えていないといけないので、何度も歌わせて、身体に覚えこませているだろう、と。・・・発表会となると、父兄も来るわけで、なるべく、自分の子どもが、みんなと同じことが出来ているといい。よく教育されていることに安心し、よく育っている姿を見られることは、父兄にとって何よりの喜びとなるだろう。・・・こうした過程において、歌にとって大切なことが抜け落ちている可能性があるのではないか・・・。それならば、そこを中心に教えればいいのではないか・・・、と考えたのである。そこで、僕はテーマを、自分の中で決めていくことにした。それが「歌はやさしさ、歌はこころ」である。

 

 実際に行ってみると、僕の予想を遥かに越えて、園児たちは、よくしつけられていた。園長と一緒に教室に入っていくと、既に整列していて、「気をつけ」の姿勢で待っていた。そして、先生のピアノに合わせてお辞儀をした。園長が僕を紹介して、すぐに授業となった。

 僕はまず、普段練習している通りに歌ってもらうことにした。難しい曲に取り組んでいることに驚いた。年少さんの「すみれ組」(3歳児)は〈なかま〉(作詞・作曲:山口たかし、編曲:大友剛)、年中さんの「ひまわり組」(4歳児)は〈地球の歌〉(作詞・作曲:坂田修一、編曲:池毅、ピアノ編曲:武永京子)、年長さんの「さくら組」(5歳児)は〈地球が一枚の板だったら〉(作詞・作曲:傘村トータ LIVE LAB.、編曲:小松一也、ピアノ編曲:谷口尚久)に取り組んでいた。どれもとても難しかったが、先生の教えが良いのだろう、みんな、とてもよく歌えていた。特に、年長さんの歌っている〈地球が一枚の板だったら〉は、初見で歌うことが出来ないほど難しい。

 僕がみんなの歌を聴いて、やはり、発声法を教えるのがいいと感じた。歌の基本だからである。幼稚園の先生は、普段、そういうことは教えていないだろう。せっかく専門家が来たのだから、専門的なテクニックを教わった方がいい。この中で、長い人生、声楽の専門家に、正しい発声法を教わることが一度も経験しない子がいるかもしれない。小さい時に本物を知ることは、良いことだ。・・・そのように考えたら、なるべく正しいものが身につくように伝えたい、と思った。そこで、取り組んだのが、「腹式呼吸」である。「腹式呼吸」を正しく行うことで、「しゃべり声」や「どなり声」ではない「うた声」に変わるのだ。同時にこれは、「音高」や「音の長さ」の基本を教えることにも繋がる。「しゃべり声」や「どなり声」では、「音高」を正しく取ることが難しいし、「音の長さ」、つまり「リズム」も崩れてしまう。ソルフェージュの分野であるそうしたことが、「うた声」のテクニックとして、しっかりと捉えることができるのである。歌を歌うのであれば、それぞれを別でやらない方がいい、というのは僕の持論である。「音高」や「音の長さ」は、音楽にとって、とても大事な要素である。そして、それが一体となったものが「メロディ」である。そこに「歌詞」がついて、歌い手の「こころ」が乗る。これが「歌」である。「合唱」の醍醐味は、みんなで「同じこと」に取り組んで、「同じ空間」で「呼吸」や「こころ」を合わせることであろう。そこには、生きていく上で、最も重要な「社会性」が必要となる。それを僕は「やさしさ」と捉えている。「こころ」と「こころ」が結び合う時、僕たちは最高の喜びを感じることができるのだ。

 ・・・僕が彼らに、一体何を教えてきたのか。・・・それは正しい「腹式呼吸」だったのではなかったかと思う。

 

・・・つづく・・・

 

by.初谷敬史

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