中河原こども園「音楽で遊ぼう」・3 | 孤独な音楽家の夢想

中河原こども園「音楽で遊ぼう」・3

(承前)

 

 さて、この難題を終えて、ホッとしているところに、園長から再び依頼がきた——「園児に向けて、今度は、歌を歌ってほしい。だけれども、歌だけではなくて、お話をたくさんしてほしい」、と。僕は正直、困った・・・と思った。それから、園長は笑いながら、僕に簡単に言う——「いつもの感じでやってもらえれば、それで大丈夫です。」・・・「いつもの感じ」と言っても、何度も言うが、園児は経験がない。

 どうやら、これは「音楽で遊ぼう」という企画で、このこども園では、年に3度もやっているそうだ。外部から講師を呼んで、音楽を通じたさまざまな取り組みをしているそうだ。それはひとえに、園長が音楽好きだからであろう。いわゆる情操教育なのかな・・・。どおりで、園児たちはよく歌が歌えていたし、僕のような外部から来た講師にもよく慣れていた。(しかも僕は「歌のお兄さん」ではなく、「歌のおじさん」である。笑)ここから音楽教育を受けた子どもたちが巣立っていって、どのような人生を送って行くのか、本当に楽しみである。・・・このコンサートを聴いて、何か感じるものがあれば最高だ。

 

 ところで、僕はこれまで、園児のためのコンサートなどしたことがない。しかも、お話付き・・・。一体、何を歌って、何をお話すればいいのだろう・・・。流行りの歌など知らない。何が喜ばれるのか・・・。やはり、ディズニーやジブリだろうか・・・。やはり「音楽で遊ぼう」というテーマなのだから、子どもが喜ぶような音楽遊びをやらなければならないだろう・・・。〈おべんとうばこのうた〉や〈大きな栗の木の下で〉のような手遊び歌をやればいいのだろうか・・・。ふうむ・・・。

 すっかり行き詰まってしまった僕は、子どもたちに媚びるのをやめることにした。彼らが喜ぶものではなくて、せっかくならば、僕らしいもの、僕にしか出来ないものがいい・・・と考えたのだ。とするならば、僕が彼らに伝えたいことを大切にしよう、と。・・・では、何を伝えたいのか。そこで思ったのが、「歌はやさしさ、歌はこころ」という指導時のテーマだった。合唱指導の時に、僕が考えていたことを、今度は、僕がみんなに歌いながら伝えてみよう、と思ったのである。

 選曲に取り掛かったが、どうもうまくいかない。そこで、実家に帰った時に、書棚から、子どもの頃に使っていた楽譜『みんなのうた』を取り出して、ホコリを払って、ペラペラめくってみた。どの曲もよく知っていた。僕は少し口ずさんでみた。・・・すると、子どもの頃の記憶が、歌と共に溢れてきたのだ。幼い僕の記憶は、歌と共にあった。・・・これだ。

 僕は幼児教育の専門家ではないし、自分に子どもがいるわけでもない。だから、教育的立場で、コンサートを行うことはできない。そうではなく、みんなと同じ立場で、コンサートを行おう、と。つまり、子どもの頃の僕に戻って、歌を歌ってみよう、と考えたのだ。人生の先輩として、歌と共に生きてきた僕の経験を、懐かしい歌と共にお話することはできる。それを、それぞれが自分のこととして捉えてくれたら、もしかしたら共感することができるかもしれないな、と。

 

 コンサートは、とてもうまくいった。2歳児から5歳児まで。50分間という、長い、長い、コンサートだったにもかかわらず、じっとお座りをして、はじめから最後まで、よく歌とお話を聞いてくれた。知っている曲もたくさんあって、一緒に歌ってくれた。こころを尽くせば、こころに響くのかもしれない。本当にありがとう・・・。

 

 以下は、コンサートの原稿である。そのまま読んだわけではないが、記録として残しておこうと思う。

 

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 みなさん、おはようございます。名前は、初谷敬史と言います。46歳です。みんなのお父さんやお母さんよりも、少し年上かもしれません。生まれたのは、みんなの住んでいる群馬県の隣にある栃木県足利市というところです。音楽の勉強をするために東京に出て、今は、東京で「おうた」を歌う仕事をしています。

 去年は、みんなの「おうた」を聴かせてもらって、本当にありがとうございました。みんなが一生懸命に歌っていたので、とても感動しました。今日は、そのお返しに、僕がみんなに「おうた」を歌いたいと思います。一生懸命に歌うので、よく聴いてくれたら、嬉しいです。

 「おうた」を歌う前に、少し「おはなし」をするので、聞いてください。

 

 僕は、みんなくらいの頃のことを、けっこう覚えています。みんなでストーブを囲んでお弁当を食べたのが美味しかったなぁ・・・とか、お友だちとお庭の隅でケンカしたなぁ・・・とか、同じクラスの高橋和美ちゃんのことが好きだったなぁ・・・桜の咲く木の下でデートしたっけなぁ・・・とか、おふざけして、早川先生に怒られたなぁ・・・とか。僕の行っていた幼稚園では、地下に暗い大きなお部屋があって、そこには怖いお化けが住んでいると、先生に教えられていました。悪いことをすると、そこに入れられてしまうのです。

 春になったら、みんなひとつずつ、「お兄さん」や「お姉さん」になりますね。ですので、今日は、みんなくらいの歳だった僕が、どんな風にお兄さんになっていって、どんな風に大きくなっていったのか・・・、そして、どうして歌手になったのか・・・、をお話したいと思います。

 

 みんなの中で、「おうた」を歌うのが、大好きなお友だちはいますか?

 僕は、みんなと同じくらいの時から、「おうた」を歌うことが大好きでした。どうしてかと言うと、多分、僕の周りに、いつも「おうた」があったからだと思います。みんなのお家では、音楽を聴くのに、「テレビ」とか「YouTube」で音楽が流れていると思いますが、僕のお家では、いつも「レコード」で音楽が流れていました。(レコードの説明。)そして、お父さんやお母さんが、よく「おうた」を歌ってくれました。それで、僕も、お父さんやお母さんと一緒に歌うようになりました。

 今となっては笑い話だけれども、〈花の街〉という「おうた」があります。「♪七色の谷を越えて、流れて行く、風のリボン〜」という素敵な「おうた」です。その続きは、「♪輪になって、輪になって、かけて行ったよ〜」という言葉になります。けれども、ここで何と、お父さんが言葉を間違えて歌っていました。「♪ワニがなって、ワニがなって〜」・・・僕は、想像しました。大きなお口のワニさんが、大きな木に、果物みたいにぶら下がっているのかなぁ・・・って。でも、小さかった僕は、それを間違いだとは思わなかったので、お父さんが歌っていた通り、「♪ワニがなって、ワニがなって〜」と一緒に歌って、すっかり覚えてしまいました。大人になってから、それが違うことに気がつきました。・・・こんな風に、僕のお家は、「おうた」に溢れた、楽しいお家だったのです。

 僕にとって「おうた」は、友だちのようでした。「おうた」は僕に、とてもやさしかったのです。そんな「おうた」と一緒に、僕は大きくなってきたように思います。

 

 それでは、僕が、みんなくらいの時に歌っていた「おうた」を歌いたいと思います。大きなお口のワニさんは出てこないけれど、いろいろな動物が出てくる「おうた」です。(横浜の「野毛山動物園」に行った話。)では、どんな動物が出てくるか、楽しみに聴いてください。

♪ いぬのおまわりさん(作詞:さとうよしみ、作曲:大中恩)

♪ アイ アイ(作詞:相田裕美、作曲:宇野誠一郎)(合いの手をみんなに)

 

 楽しい「おうた」だったね。

 次に歌うのは〈桃太郎〉という「おうた」です。みんな知っているかな?・・・犬と猿とキジが、桃太郎のお供になって、鬼退治に行くお話ですね! 

 みんなの中で、「年少さん」はいますか?

 実は、僕が「年少さん」だった時に、幼稚園の「おゆうぎ会」で、担任の早川先生が僕を、主役の「桃太郎」に選んでくださいました。赤と金色の立派な着物を着て、頭には白いハチマキをしっかり巻いて、腰には大きな刀をぶら下げました。そして、この「おうた」を歌いながら、日の丸の扇子を大きく振って、舞台に出て行ったのをよく覚えています。そんなことが、今に繋がっているのかなぁ・・・と思います。

♪ 桃太郎(作詞:不詳、作曲:岡野貞一)

 

 僕の通っていた幼稚園は、お寺の付属幼稚園でした。毎朝、幼稚園に行くと、はじめにホールの真ん中にいる仏さまに、お数珠を持って手を合わせました。それから、それぞれの教室に入りました。僕は先生に、「みんなは仏さまの子どもだよ」と教わっていました。僕はそれで、いつも幼稚園に行くと、仏さまの優しさに包まれているなぁ・・・と感じていました。それは、僕にとっては、先生の優しさに包まれているなぁ・・・と感じることと同じことだと思っていました。

 幼稚園では色々なお楽しみがあって、3月3日の「ひなまつり」が近づくと、ホールの真ん中にいる仏さまの横に、七段飾りの立派な「おひなさま」が飾られました。僕は、すごいなぁ〜、綺麗だなぁ〜と、「おひなさま」をしげしげと眺めて、〈嬉しい雛まつり〉の「おうた」の言葉の通りだなぁ〜、と思っていました。〈嬉しい雛まつり〉という「おうた」を歌うので、立派な「おひなさま」を思い浮かべながら、聴いてくださいね。

♪ 嬉しい雛まつり(作詞:サトウハチロー、作曲:河村光陽)

 (ここで「新全日本都道府県歌再興委員会」の宣伝。)

 

 さて、みんなの中で、「年長さん」はいますか? もう少しで小学校に上がりますね! おめでとうございます。

 僕も、あの頃の気持ちを良く覚えていますが、ワクワクする楽しい気持ちもあるし、ドキドキする不安な気持ちもありました。でも僕は、上にお兄ちゃんとお姉ちゃんがいたので、どちらかと言うとワクワクする楽しい気持ちの方が大きかったです。お家で、お兄ちゃんやお姉ちゃんから、小学校のいろいろなお話を聞かせてもらっていました。それから、小学校の「校歌」は、もう幼稚園の頃に歌えるようになっていました。お家で、小学校の「校歌」を、家族みんなで歌っていたからです。

 「年長さん」は、もうすぐ卒園になりますね。僕の卒園の時、「卒園アルバム」に、担任の早川静枝先生が書いてくださった言葉を、僕はよく覚えています——「たかしくんの、気持ちよさそうに歌うところが、先生は大好きです」・・・この言葉は、今でも、僕の大切な言葉です。今でも、先生の書いてくださったこの言葉に、僕は導かれている気がします。

♪ 一ねんせいになったら(作詞:まどみちお、作曲:山本直純)

 

 これからは、小学校に入ってからのお話をします。

 僕は小学校に入学しても、変わらずに、「おうた」を歌うことが大好きでした。国語や算数も好きでしたが、音楽の時間が、本当に楽しみでした。そして、小学3年生の時に、担任の小山好子先生が、僕に声をかけてくださいました——「ねぇ! 初谷くん! 街の少年少女合唱団に入ってみない?」・・・僕はびっくりしましたが、「おうた」が好きだったし、楽しそうだったので、オーディションを受けてみることにしました。そこで、勉強が終わった後に、音楽室で、先生が「おうた」の歌い方を教えてくださいました。それが、〈春が来た〉という「おうた」です。オーディションは、先生のおかげで、緊張もせず、伸びやかに歌うことができ、見事に合格することができました。その時の〈春が来た〉を歌いますので、聴いてください。うまく歌えるかな・・・。

♪ 春が来た(作詞:高野辰之、作曲:岡野貞一)

 

 僕はこんな風に、みんなの前でお話をしていますが、実は、おしゃべりすることが、とても苦手です。うまく自分の言いたいことを、その時に言うことができません。学校の先生は、「大人になったら、うまくおしゃべりできるようになるから・・・」と、いつも僕を励ましてくださいました。でも僕には、うまくおしゃべりできない代わりに、「おうた」があったのです。「おうた」なら不思議と、自由に、僕の気持ちを、人に伝えることができるように思えました。「卒園アルバム」に早川先生が書いてくださった言葉——「たかしくんの、気持ちよさそうに歌うところが、先生は大好きです」——の「気持ちよさそうに」というのは、人に僕の気持ちを伝えることができないもどかしさの裏返しです。歌う時は、僕の気持ちが「おうた」に乗っているので、先生には「気持ちよさそう」に感じられたのだと思います。だから僕は、「おうた」をいつも、きれいに歌おう、とは思っていません。言葉にすることのできない僕の気持ちを込めて歌おう、と思っています。

 次に歌うのは、大切な友だちを歌った〈サッちゃん〉という「おうた」です。そして、大切なお母さんを歌った〈おかあさん〉という「おうた」です。

♪ サッちゃん(作詞:阪田寛夫、作曲:大中恩)

♪ おかあさん(作詞:田中ナナ、作曲:中田喜直)

 

 僕は、普通の歌手がやっていないことをやっています。僕は、みんなのお父さんのお父さんの、そのまたお父さんくらいの、たくさんの人たちに向かって、今日のように「おうた」を歌ってくることをしています。でも、その人たちは、さっき〈アイ アイ〉を歌いましたが、お猿さんのいっぱいいる、遠い、遠い、南の島で、死んでしまった人たちです。その人たちは、とても若かったのに、日本が、外国と戦争をしてしまったので、たくさん死んでしまいました。僕たちを守るために、戦ってくださったのです。僕たちは、その人たちから繋がった、大切な命なのだと思います。でも今、その遠い、遠い、南の島に行っても、何もありません。まるで戦争をなかったことにするかのように、深い、深い、ジャングルで、島は覆われてしまっています。でも、僕が、その何もないジャングルに向かって、一生懸命に「おうた」を歌うと、その向こうで、その人たちが、ここにいるみんなと同じように、じっと、僕の「おうた」を聴いてくれているような気がします。

 ・・・「おうた」は不思議だなぁ・・・と思います。きっと、「おうた」にはやさしさがあって、そのやさしさが、人と人の心を結びつけるのかなぁ・・・と思っています。

♪ 大きな古時計(作詞・作曲:Henry Clay Work、訳詞:保富康午、平井堅バージョン)

♪ 手のひらを太陽に(作詞:やなせたかし、作曲:いずみたく)

 

 今日は、僕の「おはなし」と「おうた」をよく聴いてくれて、とても嬉しかったです。春になったら、みんなひとつずつ、「お兄さん」や「お姉さん」になるので、先生にたくさん教えていただいた「おうた」と一緒に、大きくなっていってほしいなぁ・・・と思っています。今日は、ありがとうございました。

 

 

by.初谷敬史