旬に逆らわないという身体性の保ち方 | ES地域プロデューサー奮闘記 ホーピー君の「よそ者、ばか者、若者」まちづくりブログ

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「企業基点のまちづくり」をプロデュースする"ES地域プロデューサー"となるべく修行中。地域とつながり、楽しく、誇りをもって幸せにはたらく人を地域に、日本に、世界に増やす。

菜の花が美味しい季節になりました。

カブはあまり見なくなりました。

 

 

季節の変わり目は、温かさや

風の向き、木々の色付きで感じますが、

野菜もその一つだと思っています。

 

栽培技術や品種改良、流通の技術が

進化したいま、本来は食べられなかった

季節に、食べたい野菜が手に入る時代です。

だから、恥ずかしながら、

旬を聞かれても答えられない野菜がいっぱい。

 

季節を感じることができないというのは

なんとも風情に欠けますね。

 

野菜の旬がわからない。

それは単に季節感を失うだけでなく、

「食べる」ことで季節を感じるという

「身体性」を失っているのです。

 

私たちの先祖が農耕をはじめてから

10,000年以上が経ちます。

しかし、150年前の産業革命以降、

農耕は私たちの暮らしから切り離され、

「食べる」ことのみが農耕とのつながりでした。

 

しかし、その「食べる」ことすら

ある意味機械的な、工業的な野菜が

対象になってしまい、

とうとう、私たちの暮らしと農耕は、

絶対的に乖離してしまいました。

 

いまはまだ、棚田の美しい景色や、

黄金の揺れる稲穂、緑々とエネルギッシュな畑、

太陽をふんだんに吸った土の匂いに触れると、

「懐かしい」という感覚があります。

 

別に、過去にそのような環境で暮らしたことは

無いのにも関わらず、間違いなく、

その感情は「懐かしい」なのです。

そのことを不思議に思ったこともありました。

 

きっとこれは、遺伝子、DNAレベルで、

農耕の記憶があるからなのでしょう。

 

でも、果たしてこれは何代先まで続くのか。

あの景色や匂いに触れても、

「懐かしい」と思わなくなってしまったら、

きっとその景色を、匂いを、

守りたいという感情も持てなくなってしまうだろう。

 

そんな危機感があります。

 

だから、私たちは、田心マルシェで、

なるべく旬のものを扱おうと決めています。

 

これからの季節は、美味しいものが増えますよ。

私たちもたのしみです。