各種産業と政府の功罪 | 日本の構造と世界の最適化

日本の構造と世界の最適化

戦後システムの老朽化といまだ見えぬ「新しい世界」。
古いシステムが自ら自己改革することなどできず、
いっそ「破綻」させ「やむなく転換」させるのが現実的か。

外貨を稼ぐ運命


グローバル化は嫌う声がよくある。

あらゆる資源を有し、必需品を内製でき、食糧が自給できる国は、鎖国してもやっていけるのだろう。


ところが、食糧が自給できない国は、食糧を輸入するための外貨を必ず獲得しないといけない。そうでないと人口を養えない。逆に少ない食糧にあわせて人口も少ない国は、経済帝国を築くに足る軍事力や商圏を維持できない。

*経済覇権をめぐる歴史の中でポルトガル・オランダは台頭するもののイギリスと比べて食糧が自給できず、人口が少なすぎた。


食糧がどうにかなっても、資源のない国は、やはり外貨を獲得しないと輸入できない。日本では食糧の危機よりも、石油危機のほうがより現実味があるだろう。


依存というのはネガティブな言葉だが、輸入は依存であり、そこから国家の弱点も浮かびあがってく
るだろう。ややもすると日本人は「好きなだけ輸入できる」という現状が当たり前だと思っているところがある。終戦直後の日本は、いくら札を刷っても輸入はままならなかったことを忘れている。


外貨を稼ぐ手段


①第一次産品
まず第一次産品といえば農産物・鉱資源だろう。
*石炭から石油への転換である第二次産業革命によって、石油産出国であるアメリカは、これを産出しないイギリスを追い抜いていった。


農産物は独占はしづらい。また希少資源の産出は安定せず、永久でない。しかも、第一次産品は「地の利」に左右されていて人工的に優位性を作り出しにくい。そして国土は移動できないので、第一次産業はもっともナショナルな産業であろう。また穀倉や資源の争奪戦も人類の歴史であった。それはすべての国家に平等に与えられてなどいないからだ。


それに豊作貧乏ということもある。また競争相手が多いと買い叩かれ、コストよりも販売価格のほうが下回ると生産は終わる。日本でも石油を少し産出するが、輸入したほうが安い。資源が少しあってもダメだし、資源獲得コストが大きくてもダメだ。また売り先が確保できなければいくら生産してもムダだ。


先物取引というものは、元来は、現物引渡しを含み、第一次産品の価格リスク(とりわけ仕入側)をヘッジするために生まれた。それだけ第一次産品は不安定ということだ。


第一次産業は、「規模の経営」を実施する上で他産業とも連携する。但馬牛はもともと食用ではなく農耕用の馬力がある牛として畜産され取引されていた。今では農業機械に頼っている。鉱業は建設機械に頼っている。


②加工品(製造品)差別化
その次に加工品(付加価値品)が外貨を稼ぐ手段としてある。


たとえば日本の農業関連事業98兆円のうち、農業生産はわずか10兆円を占めるに過ぎない。それだけ加工・販売の利益は第一次産品より大きい。第一次産品と違って計画どおりの数量を生産できる点で安全だ。さらに加工技術は独占可能で、差別化も可能だ。「秘蔵のレシピ」などあるように。洗練された科学技術となると、さらに独占可能となる。いずれも事業や人材の中にノウハウという形で蓄積されるもので独占力が強い。


マイクロソフトはOSで強者になったが、それはモノの内部・プラットフォームの独占。そしてマイクロソフト配下の自由だけあり、マイクロソフトは競争から逃れて独占的利益を得られる。こうした構造は、製造業の競争が進化し、ライセンスや特許など無体財産権として製造品の内部を支配するような、製造と技術の分離までが起こっているということだ。ITに関しては伝統的なモノづくりの発想ではうまくいかなくなっている。


加工業は国にとって第一次産品の弱さをカバーできる産業だ。


しかし、原材料が入手できなくなれば加工はストップしてしまう。また第一次産品と同じで売り先が確保できなければムダになる。パソコンの売上がにぶればOS売上もにぶる。やはりモノの一部なのだ。


また付加価値品によっては不況下でのダメージは大きい。戦前の日本の外貨を稼いでいた優秀な生糸(第一次産品)・絹製品(加工品)は、上等の絹のハンカチとか嗜好品であったために世界恐慌での財布の引き締めに弱かった。このため外貨を稼げなくなり、資源を輸入できなくなり、工業もまわらなくなるという悪循環に陥った。豊かさは構造的にも失われうる。何が外貨を稼ぎ出していたかが重要だ。

*イギリスは絹や毛織物を捨てて、木綿栽培を植民地でおさえ、綿衣類という大衆の必需品をおさえていた帝国だった


製造業はたいがい多くの安定雇用を生むので、強い製造業は「国富」を増大するが、工場は移動できるものでもある。そこは農業や鉱業と圧倒的に異なる。工場のほとんどが外国にある企業は実質は他国を豊かにしている。グローバル化がすすむと産業空洞化もすすみやすい。賃金やコストの差を埋め合わせるよりも移転したほうが早いからだ。


③仲介業(販売業)価格形成
物品流通の拠点(ハブ)という「中継の利」があることで仲介としての優位性が生まれる。不便な山奥
は商業拠点にはなってこなかった。また交通網や港湾・空港の強さによる中継の強さは人為的に作り上げることも可能である。また集約拠点であるがゆえ、おのずと大量取引という規模の優位性をもつ。

*端的に重要な場所ならば運河を掘るだけで通行料を徴収できる


「中継の利」が物理的になくても、生産地と消費地をつなぐネットワークを人為的におさえることで仲介業は生産者に対して優位に立つこともできる。


販売ネットワーク(需要と供給の接合)を支配するものが価格形成を主導し、第一次・第二次産業の利潤を左右する。ネットワーク支配を支配するものが、第一次産品や付加価値品の生産者を押さえて自らが「供給者」になりうる。量販店などもこれに当てはまる。「消費者主導!」のスローガンは「販売者主導!」というのと同じである。


販売ネットワークの支配力は絶大だ。ハリウッド映画は、巨額予算が投じられた作品がすばらしいというだけでなく、英語圏という巨大市場の興行ネットワークをおさえているから強い。ハリウッド作品がそんなに良いか?しかし売れている。本当に良いものがいつも一番売れるというわけではない。「モノづくり」だけではまだ弱いのだ。

*日本アニメは良いクリエイターはたくさんいるが、世界中へ提供して利益をもたらす仲介者・供給ネットワークを欠いているということなのだ。国営漫画喫茶というハコモノではだめだろう。


優位性ある第一次産品や付加価値品をもつ国が、仲介すなわち販売網まで押さえてしまえば、かなりの独占的利益も得られるだろう。農業が加工や直販に乗り出すとか、販売業者が商品製造に乗り出すとか、それは併せもつことの利益を自分のほうへたぐり寄せようとするものだ。


売り手・仲介者・買い手の間にはその「取り分」をめぐって潜在的対立がある。また価格下落などの不利益をどうやってわけあうか。供給側意図と消費者側意図の食い違い。モノと仲介(販売)が意思が分立していることは、こうした緊張関係を生み出す。そこで端的に中間搾取を排除すればコストも下げられるという。デルやユニクロのモデル(製造と販売)もそう説明されるのだろう。しかし、直売には売れ残りのリスクもある。


しかし新たな販売ルートなど競争があれば、仲介業は独占的地位を保持できない。だからといって既にできあがっている販売ルートに参入し、他の仲介業から顧客を奪うのは容易ではない。そして仲介業の硬直化は、他産業の硬直化をも促しうる。


こうした仲介業(販売業)がさまざまな派生サービス業を生む。物理的に必須である物流業であるとか。また消費者を誘引する広告業であるとか。


仲介業(販売業)は輸入品をもちこみ、かならずしも他産業を強化するわけではない。また製造業に比べてナショナルを捨てるに身軽である。


④金融業
単なる物々交換再生産の経済では金融は発展しない。もともと物々交換を仲立ちするために生まれた
幣・金融であるが、現在でも背後にあるべきは物々交換という尺度ではないか。


物々交換の媒介には、万人・万物にとって中立的な価値であるものが最適で、それが金銀が世界的に使用されてきた理由なのだろう。しかし金銀の産出は安定しておらず管理コストは高い。紙幣のおかげで、取引したいのに仲立ちする貨幣が不足するということは物理的にはなくなった。


また穀物が生存手段を保存するものであるならば、通貨はまた「富という抽象的価値」を保存するものだ。穀物によって人類はその日暮らしでなくなり、通貨によって「労働」というモノ以外の価値すら蓄積することができるようになった。食糧生産に従事しなくても生きられるようになった。それは各種サービス業を第一次産業や第二次産業への隷属から解放しうる。


だがもっとも革命的なものは利子による融資であろう。
金貸しというものは、もともとは仲間の救済にすぎず、返済遅延などへの罰としての違約金などあっただ
けだ。しかし、利子徴収によって金貸しは独自の事業になることができた。さらに担保というもので貸倒リスクを回避できるようになった。こうして金融は、あたかも土地を貸して地代をとるような確固とした事業になった。

*「イスラム金融」は利子がつかないが、元来はムスリム同胞支援という金融であったのだろう



こうした金融というものが富の流動化に貢献し、産業のブレークスルーを可能とした。無から有は生まれない。種籾がないなら稲作はできない筈である。しかし自分が持ってなくても、他人がもっている場合がある。自己資金だけでは起業や事業拡大や設備投資・技術革新などの規模を要するブレークスルーは起こりづらい

*ベンチャー育成政策では、最低資本金でも技術でもなく、既存企業から新興産業への金融のシフト(ブレークスルー)が起こる環境があるかが問題だったのだ


誰も拡大を望まないのなら、カネの借り手がいなくなる。それゆえ経済成長への意欲をもっとも望むのは金融業であろう。


また金融業は「富の蓄積」・「資本の集約」が進まないと発展しない。ただ富は散財されやすく、小資本は堅く握りしめられている。自給自足であれば「富の余剰」は小さい。だから王がかき集めた富・国家間の戦争の賠償金などが歴史の中で、産業発展に大きく寄与してきた。つまり大きな不均衡・独占がまずは規模のある「富の余剰」を生み、蓄積を成し遂げる。なんらかの他人の富をかきあつめる合理的な仕組みがないことには、巨大資本は形成されにくい。銀行や株式や公債や投資ファンドなどはいずれも富をかきあつめる手段であろう。こうした仕組みで、「遊んでいるカネ」が産業のために有効活用される。


そして金融に助けられた資本力は、第一産品・加工業・仲介業(販売業)の優位性に影響を与える。


資本は「損害賠償支払いの準備」という意味で「信用」であるし、すべての事業にからみつく失敗・事故などの恐怖を軽減させ、ポジティブに事業発展をはかることすら可能とする。


しかし、金融による過度の支配は経済を強化する良い側面だけではない。


借金まみれの事業は、拡大ではなく縮小を選択する「経営の自由」を失って、返済や配当のためにも利潤拡大
向かわなくてはならない。売上が伸び悩む場合に利潤をあげるには、人件費を削ってでも利潤を確保しなくてはならない。イノベーションのために更なる借金をして投資するよりも、人件費をけずるほうが手っ取り早いからだ。これではイノベーションも枯渇していくだろう。それは結果的には「国富」の減少であろう。


また借金は「将来の富」を今使うということであり、将来には充分な富を自分が生んでいることが前提となっている。借金があまりに莫大である場合、今を凌げても将来には廃墟が持っていることになる。


また不動産が主要な担保物件であるが、借金を返せなければ不動産を取り上げられる。ならば不動産が生む富を上回る貸付や利子であれば、最初から不動産略奪が目当てである。返済能力がないとわかっていても保証人からとれると目論んで貸すこともある。また払えない利子で貸し付ければ、返済のための借金という形で更なる借金も生まれる。金融は「良き脇役」から逸脱して、救済を名乗りながら「延命」という麻薬を売る破壊者にもなりうる。しかし「延命」を断るのもまた難しい。逆に「貸せ!」というプレッシャーが金貸しにかかるときもある。昨今そうなっている。


「晴れた日に傘を貸し、雨の日にとりあげる」などともいわれ道徳的非難を浴びる。金融屋が貸せるのは、皆が借りる必要がないほどカネあまりのときで、不況下では貸す力が弱まる。金融も、いつでもニーズを満たせる磐石な体制でいるわけではない。好況時には貸しまくってバブルを助長し、不況時には弱っている経済をさらに傷つける。金融も競争があり、経済成長に依存しているため、こうした不幸な構造にもなる。「良き脇役」になれる環境があるわけでもない。雨の日には貸せる傘は少ない


悪循環では、産業の生み出す富は金融業に搾取され、まったく事業者には蓄積されなくなりうる。こうした循環では、金融以外の産業の足腰が弱くなっていってしまう。また金融業は労働集約型ではなく、金融業だけが発達しても「働き口」をそれほど多く確保しないだろう。他産業が人材・設備など妥当で安定した物理的基盤が必須なのに対して、金融はヘッジ・ファンドのようにわずかな物理的基盤で巨額の資金を動かして経済に影響を与えることもできる。また価格下落や衰退・失敗のほうに賭けるギャンブルを行うことで利益を得ることもできる。金融は国の経済基盤を強化するような「国富」を増大するとは限らないということだ。


また、日本の銀行のように損得を抜きにして事業と一体化しているメインバンク制は特異だが、金融業はもっともナショナルでない産業だ。仲介業のような複雑で人的で排他的なネットワークも必要としない。国内でかき集めた富はもっと儲かる外国(成長著しい新興国など)へ投資されるかもしれない。そうした資本流出は他の国内産業の成長を弱体化させるかもしれない。巨大な富の蓄積が国内にあったとしても、必ずしも国内産業をより強くするとは限らない。

*イギリスでは20世紀初頭に新興国への投資ブームなどで資本流出が起こり、かつて世界一であったイギリス産業が劣勢にたっていく原因になった


自由競争と人々の生活


あらゆる産業にとって自由競争とは、実は自由ではなく「独占への意思」である。競争に負ければ、借金を返せなくなり、株主への利息ともいえる配当も払えない。すべてのライバルを排除し独占に成功すれば、あらゆるビジネスの不安や苦境からのがれられ利益も安定する。従業員の賃金をあげることだってできる。しかし完全な独占に到達してしまえば国営化と同じで、イノベーションを減退させ、硬直した支配をもたらすだろう。人々は買いたくないけど代替物がないという状況に陥る。経済は人々の生活を支える交換が原点だろう。それなら、独占はもはや交換とはほど遠い。

*世界の軍需産業はカルテル類似で競争を温存し「完全独占の弊害」を排している


しかし過当競争も、悪しき結果をもたらす。潰しあいで双方が倒れる。人を雇用する企業はあっけらかんと退場できない。競争の程度が自然に調整されればいいが、多すぎる零細オーナー会社は合併したがらないだろう。本当は合併すべきなのは大企業ではなく、無数の零細企業とりわけ零細下請けだと思うのだが。。。会社が倒産する直前、最後のあがきで抵抗しつづけ、怪しげなカネを借りたり、企業犯罪に手を染めたりする。こうしたあがきのために損失はさらに拡大する。しかし誰もが敵地に突撃するよう訓練されるが、撤退は訓練されていないのだ。完全に崩壊するまで止めない。


つまり、自由競争下ではかならずしも合理的経済行動などおこっていない。それゆえ合理的な結果が出てくるわけでもない。独占禁止法や不当競争防止法などあるが、競争もまた管理できるものでもない。ちょうどいい程度の競争状態も作れない。そうすると我々の生活は、集団的な幻想や情念にふりまわされ、一喜一憂し、ムダな努力を続けるものでもありうる。本来はイノベーションへ投資できなくなり、人件費に手をだし、借金か補助金にすがって生き延びようとする企業はもう終わっているのだ。こうした企業を延命させる金融業と政府は、不合理なのだ。


サブプライム・ローンが米国債と同じAAAだというのはおかしいと言える人もまた少なかった。みんな前に出る方法は知っているが、後ろに下がる方法は知らない。サブプライム・ローン盛況で利益拡大中で給料アップの最中に、「儲けるのをやめましょう」というのは想像以上に難しいだろう。合理的経済人像を念頭においた経済の把握はむなしいものだ。ブレーキを踏むことは経営者にとってひどく難しいことを理解しなくてはいけない。


政府は経済を良くし悪くする


王が梃子入れして強勢になった産業もあった。また国家が近代化という産業構造転換を推進・強制した国もあった。政府は、徴税によって民間金融業者ではできない規模の富を集約し、投資することもできる。


だから政府もまた産業にとってブレークスルーを生み出す金融業の役割をも果たせる。それがゼロからスタートする開発型国家ではうまく機能した例もあるだろう。そうではなく政局や利権のしがらみ・官僚殿様商売でうまくいかない場合もあるだろう。官営事業などというものも税金を食いまくるだけかもしれない。そして方向性を誤れば莫大な投資の失敗になる。そうなった場合の損失規模は税金ムダ使いという次元を超えている。


徹底的に自由放任な国家は「夜警国家」などと言われ、警察を養って犯罪を取り締まるだけだ。


しかし政府には大きな弱みがある。普通選挙のある民主主義政府は哲人独裁政府ではない。だから政府は国民の救済にも産業の救済にも向かうことになる。それはマルクス主義ではなく人道主義であろう。


産業の弱体化によって政府が救済に走る場合、やるべきなのは「産業の力」を取り戻すことだ。儲からない原因を解明し、悪循環を止めなければならない。しかし、現状を変革せずに救済金を配るだけなら、政府がかき集めた富は悪循環の中に消えていくだけだろう。ましてや国が借金して救済金を配る場合、将来の税収をいま使ってしのいでいるだけになる。


ダーウィンの進化論のように「弱者よ、滅びよ」と言いいにくいのが政府の弱みなのだ。縮小した経済にあわせて人口も縮小して蒸発してくれればいいが、それはない。企業の倒産続出を放置もできない。さらに困窮した国民の救済は産業の救済よりも拒みにくい。しかし、それが生活費補填や解雇させないためのコスト負担のみにかかわる救済にすぎないなら、時間稼ぎにすぎない。不況が一時的な大波というだけならともかく、構造的なものである場合は、半永久的に救済をつづけなくてはならない。カネが無尽蔵にある政府でないと採れない政策だ。またデフレ体質というのは構造がもたらすものだから、日本経済の構造にはやはり問題があるに違いない。バブル崩壊以降ながいこと議論が続けられてきたが。。


ワーキングプアなどが世界的に言及されているが、人件費を削って利益を出す構造は、削られた人件費政府が穴埋めするような事態を招いている。それは事業者も無意識に甘えているということだ。救済政府など存在しない場合、食えない賃金では本当は人は集められないからだ。救済政府があるおかげで、低賃金が可能となっているようなおかしな依存関係もあるのではないか?また食えない賃金を金融が穴埋めする。そうなると保証人まで食いつぶしていく。


イノベーションによる高付加価値化で利益をあげない限り、競争激化やデフレのあおりを食らうのはやは人件費だ。また、労働人口を吸収するに足る産業拡大や新産業の勃興がないかぎり、失業も減少しない筈だ。失業増大を放置できる民主国家は少ないだろうから、税金で救済しなくてはならない。企業が切り捨てても国が支援に走る。企業が賃金激減させれば、国が控除とかいろんな形でこれに応急処置する。全体的には企業が人件費の負担をのがれてしのいでも「国富」は減少していく。敗者は蒸発して消えるわけではないのだ。誰かが必ず負担する構造がある。政府がやった場合、それは増税か国債増発で国民に戻ってくる。

*明治維新で徴兵制をとって不要になり財政の重荷となった士族(サムライ)を切り捨てた政府は「お前らは不要だ、死ね」と言えた政府であった。テロと内戦になったが。


深刻な不況下でも、ひとり勝ちする企業があるかもしれない。しかし、敗者や弱者の増加に「死ね」と言えない政府は、結局は税金による救済に走るのだから「国富」としては蓄積ではなく、減少に向かい、国家としては衰退していく。遅れた不採算事業が温存され、産業の土台や環境が悪化してますます儲からない国土になるかもしれない。「だったら俺は日本を脱出するさ」と言える人には関係ない話だが。


ところで歴史的に王達の財政を苦しめてきたのは戦費であった。軍事競争やカネのかかる海軍の増強のためには増税だけでは足りなかった。そこで国債が有効な手段となった。国債も戦争の子供だったのだ。国債も借金であり、債務国は、債権国に抵抗できなくなる。国内で国債が消化されると、不思議なことに国家を構成する国民が債権者になる。しかし借金といっても国家は担保も保証人も提供したりはしない。このような国債がデフォルトしても政府が倒れて別の政府に政権交代するだけではないか?国家はなくならないが、将来の税収が莫大である保証はない。


税収もまた経済から生み出されるのだから、現状放置ではどん詰まりになるだけだろう。国家と産業が共倒れになる。または産業も資本も儲けられる海外へ流出し空洞化が起こる。企業が勝って国民が負ける。


救済以外の産業政策が必要ではないか?内需拡大という抽象的な言葉ではもはや足りない。


企業はグローバル化してナショナルを捨てて海外へ行けるが、政府はそういうグローバル化できない。とりわけ、島国で外国との人の移動の歴史が浅い日本では。多くの国民はそう簡単に移住できないだろう。またそう簡単に大量の移住を受け入れる文化もない。だから国民もグローバル化できない。


人々の生活は国内の経済基盤に依存している。だから輸入品によって生活し、海外投資で利益を得る構造では、充分な雇用創出もできず、経済の基盤は痛んでいくだろう。やがてその国土からは売るものがなくなる。外貨を稼げなくなる。国土にない資源を輸入できなくなる。下手をすれば衰退への悪循環がおこっていく。

*ジム・ロジャーズは「イギリスの金融は政府の支えで生きているだけで、北海油田も尽きるから、イギリスにはもう売るものがない」としてポンド投売りをすすめている。


「仕事がないなら、仕事のある外国へ行く?」。

フィリピンなどが出稼ぎ国家として有名である。日本人よりグローバルな国民かもしれない。しかしそれは経済強国ではない。移住できない国民を雇用しつづける強い国内産業が必要なのだ。


新しい民主党政権は「政権交代の衝撃」で大胆な産業政策も可能であるのに、そういった部分が見えない。野党自民党も財政のみ追及して、産業改革の代替案を示せない。


強力な梃子入れなくして、自主努力どこまで雇用拡大や賃金上昇をもたらす企業群が生まれうるだろうか?ばらばらに自己のサバイバルのみを目指す企業経営者に「国富」の強化を期待できるだろうか?借金に追われ業績を気にしている企業経営者に愛国者であることを期待するのか?企業はむしろサバイバルのために海外へ流出していくのではないか?産業も資本もBRICSなど新興国へ流出していくのではないか?こうしたことは本国での悪循環を強めるのではないか?


また紙幣を独占している国家は、政局に負けて紙幣を刷りすぎることもあるし、刷るのを止められないときもある。潤沢な資金供給が経済成長を後押しすると信じられているからだ。金銀との違いは、金銀は産出などの絶対条件の歯止めもあるが、紙幣は簡単に増発できる点だ。さらに国際金融の中でマネーが電子情報で飛び交い、金融商品の売買が秒単位で自動化されると、マネーは極めて把握しづらく管理しにくくなった。

*18世紀にイギリスで金本位制が廃止されたとき、紙幣増発がコントロールできなくなり貨幣インフレがおこった


中央銀行に独立性を与えれば貨幣インフレを抑制できるという建前らしいが、経済危機まで防げるほどの番人ではないようだ。また不況下では人為的インフレをつくりだして経済縮小を挽回しようとするプレッシャーがかかる。それは「インフレ退治」を専業とする中央銀行にとっては矛盾だ。物々交換から考えれば、交換に必要な以上の紙幣は、「空虚な紙切れ」にすぎない。取引したくない人に札束を配ってどうするのだ?またその札束は取引ではなく失敗の穴埋めというブラックホールに消えるかもしれない。


いずれにしても恐慌的事態やデフレに対して、中央銀行の力量だけで突破できるというのは妄信ではないか。経済構に問題があったから崩壊したのであって、ただ元の経済レベルに戻せば、一生活者は安堵できるかもしれないが、さらなる「第二の津波」が襲ってくることもありえる。

*グリーンスパンがITバブル崩壊の低迷救済のために刷りまくったおかげで不動産バブルが発生したともいわれている


米FRBのバーナンキが温存され、悪いのは銀行家だということになったが、彼はバブルを巻き起こしたグリーンスパンの取り巻きであった。改革されなければならないのは、FRBや金融監督行政であって、銀行家のモラルだけではない。銀行家は利潤をめぐる競争で短期的利益を追いかけていただけだ。オバマ政権changeできないのだろうか?


現在の状況ではパニック鎮静化と問題の先延ばしに終わるだけだ。サブプライム崩壊前に戻せばいいのか?今度は環境ビジネスなどをバブルにしてしのぐのか?


そして金融を元に戻すための公金による大判ぶるまいは、まさに「国富」を搾取している。それ自体は元に戻すだけで、問題は別のところにあるはずだ。 ましてや、失敗や赤字を帳消しにしてなかったことにする、これでみな元通りだ!という解決などできないはずだ。


物々交換の媒介を起源とする金融は、他の産業とのバランスがなければ単に搾取装置となり、経済の基盤を食いつぶしたあげく最終的には金融業者も共倒れになる。実体経済の裏づけのない信用の異常な膨張どは、こうした悪しき状況を示していたのではないか。金融がさらに金融へ投資して、産業への投資が弱まる中で、その金融の盛況の土台は、失業者向け住宅ローン商品(サブプライム・ローン)であったという冗談みたいな話である。