損なったもの。
センシティブな事なのですが、
あの日、3月11日は、大きくいろんなことが、
変わりました。
ぼく、自身もブログを、
それを機に、はじめて、
それは、大きく人生が変わりました。
いまでも。
その1年前は、母が脳出血で倒れたんです。
これも、大きい事でした。
じぶんは、いつも「正しい事」を、
信じていました。
ただ、善意で、やったことでも、
じぶんに、筋肉がともなってなければ、
それは、逆にはねかえり、
そして、決定的に、
じぶんを、損なう事も、また、学びました。
ぼくは、まだ、損なう事に対して、
ひとりで、頑張る事によって、
いつか、その欠けた部分を、
どこかで、補えるのかなぁ、
そう、思っていました。
ひたすら、喪に服す事によって。
損なった、じぶんは、
もう、とりかえせない気がします。
そして、また、
損なったものへの、あいてや、じぶんへの、
回復は、もう、のぞめないのでは、ないか、
そんな、気がするのです。
ネガティブなことばで、失礼です、でも、そう、思っています。
あの日、3月11日は、大きくいろんなことが、
変わりました。
ぼく、自身もブログを、
それを機に、はじめて、
それは、大きく人生が変わりました。
いまでも。
その1年前は、母が脳出血で倒れたんです。
これも、大きい事でした。
じぶんは、いつも「正しい事」を、
信じていました。
ただ、善意で、やったことでも、
じぶんに、筋肉がともなってなければ、
それは、逆にはねかえり、
そして、決定的に、
じぶんを、損なう事も、また、学びました。
ぼくは、まだ、損なう事に対して、
ひとりで、頑張る事によって、
いつか、その欠けた部分を、
どこかで、補えるのかなぁ、
そう、思っていました。
ひたすら、喪に服す事によって。
損なった、じぶんは、
もう、とりかえせない気がします。
そして、また、
損なったものへの、あいてや、じぶんへの、
回復は、もう、のぞめないのでは、ないか、
そんな、気がするのです。
ネガティブなことばで、失礼です、でも、そう、思っています。
普遍性。
・小津監督の「東京物語」を観ていたのですが、
すごく、当たり前なのですが、
その時々で、時代風景や、小道具や、
(たとえば、電報が、いまは、メールだったりだとか。)
そういう違いは、あるのだけれど、
基本的には、にんげんというものは、
にんげんである以上、同じような苦悩や、同じような感覚を、
もって、生きているのだなぁ、
ということです。
たぶん、形は違えども、
むかしの、ぼくの年代や、
いまの、ぼくの年代は、
たぶん、おなじことを考えている人が多いのではないか、
という気がします。
物語を紡いでいく、編んでいく中で、
その素材は、すこしかわるけれど、編み方はおなじなんですよね、
きっと。
・そういう意味では、江戸時代の人も、はたまた狩猟をしていた時代まで、
ひとの営みを感じてしまいます。
「普遍性」、ということは、
そういうことかもしれないですね。
そんな、何万年も普遍的なことが、
形を、かえても、残っているということは、
やはり、意味があって、
そして、大切な感情なのだなぁ、と感じます。
すごく、単純に考えれば、
いろいろと、フクザツに考えて、悩んだり、落ち込んだりするけれど、
なにか、奇をてらう必要は、ないのかな、
いいことも、いやなことも、おもしろいことも、大切な事も、
なにかに向かい合う時、それは、
普遍性をもっていることなのか、
と考えればいいのかな、という気がします。
とても、素直に。
読んでくれて、ありがとうございます。
きょうは、ひたすら、小説と、DVDを観ます。
すごく、当たり前なのですが、
その時々で、時代風景や、小道具や、
(たとえば、電報が、いまは、メールだったりだとか。)
そういう違いは、あるのだけれど、
基本的には、にんげんというものは、
にんげんである以上、同じような苦悩や、同じような感覚を、
もって、生きているのだなぁ、
ということです。
たぶん、形は違えども、
むかしの、ぼくの年代や、
いまの、ぼくの年代は、
たぶん、おなじことを考えている人が多いのではないか、
という気がします。
物語を紡いでいく、編んでいく中で、
その素材は、すこしかわるけれど、編み方はおなじなんですよね、
きっと。
・そういう意味では、江戸時代の人も、はたまた狩猟をしていた時代まで、
ひとの営みを感じてしまいます。
「普遍性」、ということは、
そういうことかもしれないですね。
そんな、何万年も普遍的なことが、
形を、かえても、残っているということは、
やはり、意味があって、
そして、大切な感情なのだなぁ、と感じます。
すごく、単純に考えれば、
いろいろと、フクザツに考えて、悩んだり、落ち込んだりするけれど、
なにか、奇をてらう必要は、ないのかな、
いいことも、いやなことも、おもしろいことも、大切な事も、
なにかに向かい合う時、それは、
普遍性をもっていることなのか、
と考えればいいのかな、という気がします。
とても、素直に。
読んでくれて、ありがとうございます。
きょうは、ひたすら、小説と、DVDを観ます。
小津映画。
・最近、映画監督の、小津安二郎さんの作品をみています。
まだまだ、見た作品は少ないのですが、
説明のないところに、かたちのないものが、
現れているような気がして、
共感しています。
・ぼくは、思うのです、
かたちあるものを選ぶぐらいならば、かたちのないものを選ぶこと。
にんげんとしての、
良い面や、表面的な美しさだけを、求めるのではなく
複雑な側面、悲しみや、人の醜さをふくめて、それを、
のりこえ、ふまえたうえで、見える、
シンプルな、日常の、美しさを感じたいと、ぼくは思う。
それが、たとえ、幻にすぎなくとも、
そこに、なにかるなぁ、
と、ぼくは感じている。
それが、生きている事ではないか、
と、出来の悪い頭で考えている。
深い孤独の上に、それは、成り立っているともいえるし、
なにげない笑顔や、思い出や、あたたかみや、
その過程にあった、じぶんの、残酷さや、人の難しさを、
通り抜けたところ、
それは、いったいなんだろう?
…とも、考えたりします。
一生を、かけてのテーマかもしれません。
・それは、かたちのないものを、信じたらいいんじゃないかと思うのです。
説明は、うまくできないけど、
それは、いろんな自分に含まれている。
小津さんの作品を、みて、
そう、思いました。
ぼくも、歳をとったのかな。
・写真や、絵を描く事もまた、
そういう説明できない、かたちないものを、ごまかさず、だすのかもしれないね。
まだまだ、見た作品は少ないのですが、
説明のないところに、かたちのないものが、
現れているような気がして、
共感しています。
・ぼくは、思うのです、
かたちあるものを選ぶぐらいならば、かたちのないものを選ぶこと。
にんげんとしての、
良い面や、表面的な美しさだけを、求めるのではなく
複雑な側面、悲しみや、人の醜さをふくめて、それを、
のりこえ、ふまえたうえで、見える、
シンプルな、日常の、美しさを感じたいと、ぼくは思う。
それが、たとえ、幻にすぎなくとも、
そこに、なにかるなぁ、
と、ぼくは感じている。
それが、生きている事ではないか、
と、出来の悪い頭で考えている。
深い孤独の上に、それは、成り立っているともいえるし、
なにげない笑顔や、思い出や、あたたかみや、
その過程にあった、じぶんの、残酷さや、人の難しさを、
通り抜けたところ、
それは、いったいなんだろう?
…とも、考えたりします。
一生を、かけてのテーマかもしれません。
・それは、かたちのないものを、信じたらいいんじゃないかと思うのです。
説明は、うまくできないけど、
それは、いろんな自分に含まれている。
小津さんの作品を、みて、
そう、思いました。
ぼくも、歳をとったのかな。
・写真や、絵を描く事もまた、
そういう説明できない、かたちないものを、ごまかさず、だすのかもしれないね。
あくまでも、個人的な感覚。
・歳をとると、ひとは、悪口や、うわさ話だけで、
ひとつの会話が成立するのかなぁと、思う。
自分のいないところで、話される自分のことは、
絶対に聴くなと、いうけれど、
ぼくも、まぁ、それは似た体験を、したことがあります。
構造は、学校でも、集団的な悪口と、
ネットの悪口って、変わんないんだよね。
だけれども、そこで、
うーん、なんか違うよなぁ、それは、まちがってんじゃないか、
そう、思える事は、前進の一歩というか、
自分を持てているのだから、
そういうのを、大切にしている人を、ぼくは、こころから、尊敬する。
で、それが、大事な個性なんだと、ぼくは思います。
・ぼくが、なにが嫌いかといったら、
飲み会などの席で、おとなしい人に、対して、
いいたいことを、全部いって、
気持ちよく飲む人達である。(そういうことが、何度もあった。)
あるいは、集団でいう人である。
(それは、ネット社会にも、すごくいえると思う。)
だから、そういう席には、でないようにしているし、
今後もでることは、ないと思う。
思うに、ぼくが、
いいやすい、怒らない、なんかいっても、大丈夫かな、
と思わせる雰囲気が、あるらしいということだ。
それは、結構、悩んでいます。
親しみでは、あるけれど、
ぼくだって、いい気持ちにはならない。
・そこで、一番重要でできることは、今さらながら、
言う人には、まぁ、
自分の事をしゃべらないのが、一番だな、ということを学んだのかな。
友情というものは、これは、あなたとぼくの関係だから、
これは、いっても、大丈夫ですよ、
というので、成り立ってはいるけれど、
ぼくは、なにをいってもいいとは、違うと思う。
その辺の使い分けは、難しいなぁ、
と思います。
その辺の察しが、うまくできることが、友情かな、
とも、思う。
(でも、それができないのも、世間とは、そういうもんです、
という、あきらめも、あります。)
ぼく自身に、いいきかせています。
そういう関係、築けたらいいな、とは、つくづく、思います。
話したいと思う人だけ、(仕事以外では)話したい。
最近のメディアをみてたら、自分と結びつけて書きました。
あくまでも、ぼく個人の意見なのですが…。
ひとつの会話が成立するのかなぁと、思う。
自分のいないところで、話される自分のことは、
絶対に聴くなと、いうけれど、
ぼくも、まぁ、それは似た体験を、したことがあります。
構造は、学校でも、集団的な悪口と、
ネットの悪口って、変わんないんだよね。
だけれども、そこで、
うーん、なんか違うよなぁ、それは、まちがってんじゃないか、
そう、思える事は、前進の一歩というか、
自分を持てているのだから、
そういうのを、大切にしている人を、ぼくは、こころから、尊敬する。
で、それが、大事な個性なんだと、ぼくは思います。
・ぼくが、なにが嫌いかといったら、
飲み会などの席で、おとなしい人に、対して、
いいたいことを、全部いって、
気持ちよく飲む人達である。(そういうことが、何度もあった。)
あるいは、集団でいう人である。
(それは、ネット社会にも、すごくいえると思う。)
だから、そういう席には、でないようにしているし、
今後もでることは、ないと思う。
思うに、ぼくが、
いいやすい、怒らない、なんかいっても、大丈夫かな、
と思わせる雰囲気が、あるらしいということだ。
それは、結構、悩んでいます。
親しみでは、あるけれど、
ぼくだって、いい気持ちにはならない。
・そこで、一番重要でできることは、今さらながら、
言う人には、まぁ、
自分の事をしゃべらないのが、一番だな、ということを学んだのかな。
友情というものは、これは、あなたとぼくの関係だから、
これは、いっても、大丈夫ですよ、
というので、成り立ってはいるけれど、
ぼくは、なにをいってもいいとは、違うと思う。
その辺の使い分けは、難しいなぁ、
と思います。
その辺の察しが、うまくできることが、友情かな、
とも、思う。
(でも、それができないのも、世間とは、そういうもんです、
という、あきらめも、あります。)
ぼく自身に、いいきかせています。
そういう関係、築けたらいいな、とは、つくづく、思います。
話したいと思う人だけ、(仕事以外では)話したい。
最近のメディアをみてたら、自分と結びつけて書きました。
あくまでも、ぼく個人の意見なのですが…。
雑記7月。
・水泳には、最近、いけていないのですが、
40前に、いろいろ思う所があって、
新潟県、村上市の、
「村上トライアスロン」にでれたらいいなぁ、
と、村上春樹さんの、
「走ることについて、僕の語る事」を読んで思った。
ミーハーで、いえば春樹さんの出場している大会に、
ぼくも、参加し、自分との戦いをしている、
というのは、憧れだが、
なにより、自分に挑戦する、1つの目標として、
かなりのトレーニングは必要だが、挑戦してみたいなぁ、
と考えている。
まぁ、すこし、夢見がちですが、
水泳に、なにか長距離的な(短距離はダメです)目標が必要と考える。
・10月には、大阪で、腎薬物療法学会の学術大会があります。
学会に7月から参加しましたが、
実際に、腎臓病薬物療法認定薬剤師の方々が、
どう、現場で、職能を発揮できているかは、非常に、
興味深いです。
3連休なので、参加しようと思っています。
叔父の、新盆の次の日の月曜日に送られてきた、
会報をみて、おもったこと。
叔父が応援してくれている、気がして、
嬉しかった。
透析患者さんに対して、できること、
を、考えていきたいと思っている。
・最近は、経済学の本を読んで、勉強していますが、
また、その中でも、すこし、違うな、
と思うところもあります。
利益ということについて、気持ちのいい利益について考えている。
ドラッカーの考えが、自分的には、しっくりきている。
「利益は、医療、教育、音楽など、社会的満足や、サービスなどの原資である。」
40前に、いろいろ思う所があって、
新潟県、村上市の、
「村上トライアスロン」にでれたらいいなぁ、
と、村上春樹さんの、
「走ることについて、僕の語る事」を読んで思った。
ミーハーで、いえば春樹さんの出場している大会に、
ぼくも、参加し、自分との戦いをしている、
というのは、憧れだが、
なにより、自分に挑戦する、1つの目標として、
かなりのトレーニングは必要だが、挑戦してみたいなぁ、
と考えている。
まぁ、すこし、夢見がちですが、
水泳に、なにか長距離的な(短距離はダメです)目標が必要と考える。
・10月には、大阪で、腎薬物療法学会の学術大会があります。
学会に7月から参加しましたが、
実際に、腎臓病薬物療法認定薬剤師の方々が、
どう、現場で、職能を発揮できているかは、非常に、
興味深いです。
3連休なので、参加しようと思っています。
叔父の、新盆の次の日の月曜日に送られてきた、
会報をみて、おもったこと。
叔父が応援してくれている、気がして、
嬉しかった。
透析患者さんに対して、できること、
を、考えていきたいと思っている。
・最近は、経済学の本を読んで、勉強していますが、
また、その中でも、すこし、違うな、
と思うところもあります。
利益ということについて、気持ちのいい利益について考えている。
ドラッカーの考えが、自分的には、しっくりきている。
「利益は、医療、教育、音楽など、社会的満足や、サービスなどの原資である。」
待合室の壁。
・いまは、思案の最中で、
まだ、かんがえが、そして具体的には、
動き出していないのですが、
薬局の待ち合い室の壁が、
1つ空いています。
で、いまのところは、薬局からのおしらせの掲示のみに、
なっています。
・考えたのですが、それが、
薬局のある村民の方で、なにかを作ったり、
たとえば、絵や写真、書道など、
発表、展示できる場に、ならないだろうか、
ということを、考え始めました。
もちろん、これが、薬局側の、
地域貢献ですよ、というものみたいな、
アピールにとどまるのではなく、
それが、来る方々の交流や、たのしみや、
趣味を楽しんでいる方の、
発表できる、観てもらえる喜びを感じられる、
ものに、できたら、うれしいなぁ、
そんな、想いからです。
・依頼する側としては、押し付ける形ではなく、
自然に、そして、無理なく、
展示ができたら、それは、嬉しいと考えています。
この壁は、村民の方々の、発表、交流の場ですよ、
となったら、薬局は、あたたかくなるのになぁ、
と思っています。
・そうですね、医療機関は緊張するだけの、
場ではなく、イライラする所ではなく、
より、あたためる場で、あればいいなぁ、と思います。
積極的に、いって楽しい場では、ないだけに、
あたためるが、重要だよなぁ。。
と、いろいろと考える。。
まだ、かんがえが、そして具体的には、
動き出していないのですが、
薬局の待ち合い室の壁が、
1つ空いています。
で、いまのところは、薬局からのおしらせの掲示のみに、
なっています。
・考えたのですが、それが、
薬局のある村民の方で、なにかを作ったり、
たとえば、絵や写真、書道など、
発表、展示できる場に、ならないだろうか、
ということを、考え始めました。
もちろん、これが、薬局側の、
地域貢献ですよ、というものみたいな、
アピールにとどまるのではなく、
それが、来る方々の交流や、たのしみや、
趣味を楽しんでいる方の、
発表できる、観てもらえる喜びを感じられる、
ものに、できたら、うれしいなぁ、
そんな、想いからです。
・依頼する側としては、押し付ける形ではなく、
自然に、そして、無理なく、
展示ができたら、それは、嬉しいと考えています。
この壁は、村民の方々の、発表、交流の場ですよ、
となったら、薬局は、あたたかくなるのになぁ、
と思っています。
・そうですね、医療機関は緊張するだけの、
場ではなく、イライラする所ではなく、
より、あたためる場で、あればいいなぁ、と思います。
積極的に、いって楽しい場では、ないだけに、
あたためるが、重要だよなぁ。。
と、いろいろと考える。。
忘れない方を。
・ぼくは、思うのですが、
ともだちと、いっても、
1つにまとめて、平等ではなくて、
それぞれに、温度差や、役割が、あると思います。
いまの、暑い、日本地図の、天気予報みたいに。
・そうすると、おもうことですが、
じぶんが、おもっていることを、受け入れたり、共感できたりも、
とうぜん、温度差があると思います。
1つのことを、書いたら、思う事は、
ひと、それぞれ。
だから、ぼくは、ある時から、
ともだちは、WEB上の、
表記である、ともだち、との交流は、やめて、
いや、実際に、はなし、共感でき…、
まぁ、そういう「ともだち」との付き合いに、
極めて、限定的にしよう、
これからは、はなしたい、
と思う人とだけ、はなそう、
すくなくとも、プライベートではと感じました。
・もちろん、このひとの言っている事は、
すごく、わかる、という共感も、あります。
それは、すてきな出会いですね、
そういうものは、ほんとうに、たいせつにしたいです。
・だけれども、逆に、ノイズがはいることがあります。
じぶんが、信じたり、大切にしたいこと、反省すべきこと、
集中すること、なおす事、それは、なにか?
そういうことを、しっかり、見つめ直す時期なのかもしれません。
・その信念をゆるがすノイズが、あります。
能動的でも、受動態でも、受け取る事があります。
にんげんは、ぼくは、弱いから、そこで揺れてしまうことが、あります。
その、ノイズに流されて、借り物の考えにのっても、
責任をとるのは、あくまでも、(当然ですが。。)自分ということになります。
そこを、しっかりしないと、と自分でも、いま、問いています。
かんたんに、忘れてはいけない、
ことがあります。
ぼくらは、
忘れる、いきものでもあり、忘れない、いきものでもある。
ぼくは、忘れない生き方を選択していきたい。
嫌なことも、いいことも、だれかを傷つけたことも、大事な記憶も。
ひさしぶりに書きました。
いろいろと、考える。
ともだちと、いっても、
1つにまとめて、平等ではなくて、
それぞれに、温度差や、役割が、あると思います。
いまの、暑い、日本地図の、天気予報みたいに。
・そうすると、おもうことですが、
じぶんが、おもっていることを、受け入れたり、共感できたりも、
とうぜん、温度差があると思います。
1つのことを、書いたら、思う事は、
ひと、それぞれ。
だから、ぼくは、ある時から、
ともだちは、WEB上の、
表記である、ともだち、との交流は、やめて、
いや、実際に、はなし、共感でき…、
まぁ、そういう「ともだち」との付き合いに、
極めて、限定的にしよう、
これからは、はなしたい、
と思う人とだけ、はなそう、
すくなくとも、プライベートではと感じました。
・もちろん、このひとの言っている事は、
すごく、わかる、という共感も、あります。
それは、すてきな出会いですね、
そういうものは、ほんとうに、たいせつにしたいです。
・だけれども、逆に、ノイズがはいることがあります。
じぶんが、信じたり、大切にしたいこと、反省すべきこと、
集中すること、なおす事、それは、なにか?
そういうことを、しっかり、見つめ直す時期なのかもしれません。
・その信念をゆるがすノイズが、あります。
能動的でも、受動態でも、受け取る事があります。
にんげんは、ぼくは、弱いから、そこで揺れてしまうことが、あります。
その、ノイズに流されて、借り物の考えにのっても、
責任をとるのは、あくまでも、(当然ですが。。)自分ということになります。
そこを、しっかりしないと、と自分でも、いま、問いています。
かんたんに、忘れてはいけない、
ことがあります。
ぼくらは、
忘れる、いきものでもあり、忘れない、いきものでもある。
ぼくは、忘れない生き方を選択していきたい。
嫌なことも、いいことも、だれかを傷つけたことも、大事な記憶も。
ひさしぶりに書きました。
いろいろと、考える。
片付け。
・この連休は、部屋を、かたずけている。
1つ1つ、ていねいに、ゆっくりと、かたずけている。
どこかに、遊びに、いこうとも思いましたが、
最小限にしました。
じぶんにとっては、それが、重要なことにおもえたのです。
1つ1つを、ていねいに、引き出しに、
しまっておく…。
プラスも、マイナスも、プラスか、マイナスかは、わからないもの、
そういうものを、しまって、
ただ、ひたすら、前に進んでいけるように。
・繫がっているのか、たんなる偶然なのか、
でも、ぼくには、繫がっているようなそんなことが、
1つ1つあります。
その、繫がりも、1つ1つ、じぶんの中で咀嚼しながら、
1つ1つ、ていねいに。
・村上春樹さんの小説では、
もののあわれ、というか、次々と、ひとが消滅していくことがあります。
大事な人が、大事なものが、
ぼくの中でも、1つ1つ消えていく。
・どうであれ、それは、受け入れていくものだと思います。
それによって、今まで、みえなかったものや、わからなかった気持ちが、
わかるならばね。
ぼくの、これからの時期は年輪を、ふやす時期かとも思います。
寒い中、たえながら、1つ1つ、年輪を増やす。
・あるひとは、コーヒーに大事なのは、
tasteと、soulが、入ってなければいけない、
といっていました。
味をたのしみながら、魂を込めて、
生きていくという事かな、しごとでも、プライベートでも。
まだ、はっきり整理しきれていませんが、
そういうことなのかな、とも思います。
・いろんなことを、整理したいため、
LINE、Facebookを、やめようかな、
とも、思っています。
深い意味は、ありませんが、
なにか、ご連絡があれば、
メールで、ご連絡していただければ、幸いです。
1つ1つ、ていねいに、ゆっくりと、かたずけている。
どこかに、遊びに、いこうとも思いましたが、
最小限にしました。
じぶんにとっては、それが、重要なことにおもえたのです。
1つ1つを、ていねいに、引き出しに、
しまっておく…。
プラスも、マイナスも、プラスか、マイナスかは、わからないもの、
そういうものを、しまって、
ただ、ひたすら、前に進んでいけるように。
・繫がっているのか、たんなる偶然なのか、
でも、ぼくには、繫がっているようなそんなことが、
1つ1つあります。
その、繫がりも、1つ1つ、じぶんの中で咀嚼しながら、
1つ1つ、ていねいに。
・村上春樹さんの小説では、
もののあわれ、というか、次々と、ひとが消滅していくことがあります。
大事な人が、大事なものが、
ぼくの中でも、1つ1つ消えていく。
・どうであれ、それは、受け入れていくものだと思います。
それによって、今まで、みえなかったものや、わからなかった気持ちが、
わかるならばね。
ぼくの、これからの時期は年輪を、ふやす時期かとも思います。
寒い中、たえながら、1つ1つ、年輪を増やす。
・あるひとは、コーヒーに大事なのは、
tasteと、soulが、入ってなければいけない、
といっていました。
味をたのしみながら、魂を込めて、
生きていくという事かな、しごとでも、プライベートでも。
まだ、はっきり整理しきれていませんが、
そういうことなのかな、とも思います。
・いろんなことを、整理したいため、
LINE、Facebookを、やめようかな、
とも、思っています。
深い意味は、ありませんが、
なにか、ご連絡があれば、
メールで、ご連絡していただければ、幸いです。
DOKU-SAW.
・ストレスというものに、ついて考える事が多くなりました。
ストレスなしに、この現実は生きてはいけない。
いや、それだらけだと、思います。
まぁ、いろいろと、大変だからね。
だから、いろんなものがたまるのは、仕方ない。
毒素がたまるようなものだと思います。
・ストレスというと、なんか疲れるので、
毒素と広く、いってしまおう。
河豚みたいなもので、ひとの一部分には、
毒素があり、また、病んでいる。
ぼくも、そのひとりです、たぶん、きっと。
・毒素がたまると、ひとには、誘惑が多くなる、
わるくちを、いうこと、他人のあら探しをすること、
機嫌を悪くして、当たる事。
どうでも、いいや、と、他者への配慮がなくなること。
でも、結果的に、その毒素に、
それは、ある意味、乗っ取られているとも、いえる。
じぶんが、見えなくなっているんじゃないか、
そう、思う。
・月並みだけれど、毒素にとらわれないには、
心に栄養をあたえればいい、
花に水をやるように、
すこしずつ、すこしずつ。
だから、じぶんの心を、花に育てているような、
そんな、気持ちでいきたいなぁ、と感じる。
そういう、シンプルなものなのだと思う。
でも、それは、厳しいことでも、ある。
ミスチルでいうならば。Q&Aの繰り返しだ。
・毒素が、貯まるのは仕方ない、それは、いきていると言う事だと思う。
当たり前だけれど、好きな事をやるのが、いいのかなとも、思います。
そして、清潔に、健康に、笑顔で、丁寧に。
くやしかったら、自分にあたれ、その分、泳げということです、
ぼくに、とっては、すなわち。
・そして、ぼくには、毒素をぬいているようで、
その分、ニコチンという、毒素にとらわれている、自分がいましてね。
匂いも、もちろんですが、灰皿をみると、
じぶんが、毒素をため、また、別の毒素を注入して、
なおかつ、その毒素で、ひとを不快にし、
じぶんの、正確な判断とか、じぶんの肺だけでなく、
灰をだし、それで、なんとか、ある意味、Highになり、
それに、とらわれ、その、毒素で、大切な家を、黄色くして、
それが、わかるんですよね、ほんと。
・ぼくは、じぶんの毒素が、毒素をもとめ、
また、それが、じぶんを蝕んでいき、
毒素に、依存しているということに、なります。
ある意味、おだやかな自分が、そこなわれ、
そして、いろんな部分を失っているなぁ、と感じたのです。
そうかんがえた時、やはり、これは、まずいなぁ、
と感じたわけです。
毒素は、正当な生き方で、たまりながらも、
それを、いろんな好きな事で、中和する、
それで、まっとうな判断が、できる。
毒素が、たまるから、毒素を、いれているようでは、
やはり、いけませんね、
そして、その毒素は、じぶんを弱くして、
じぶんの身体を、蝕む。
いろいろ、考えてみたら、
さいきんは、ひとを悪くみたり、悪口を、いいたくなる自分がいます。
そう、考えたら、ぼくは、やはり、毒素にとらわれ、毒素を、
求めてしまっているのだと。
歴史をみると、悲劇は、1つの毒素が、新たな毒素を、
よんで、そして、それが尊い、命を奪っている。
いまも、そうだと感じる。
ぼくも、自分の中に、そういうものがないとは、
とても、言い切れない。
ぼくにも、やはり、毒素はあるのだ。
毒素については、いろいろ、書きたい事があるけれど、
この辺にしておこう。
・ひとつ、毒素のために、毒素を注入するのは、
やめようと、思いました。
それが、まず、できることです。
さて、毒素を、やめるには、具体的に、
成功しやすいのは、どういう方法か。
一番は、自分自身ですが、
それだけでは、毒素を、ほしがる毒素が、自分の中には、いると思うので、
まずは、具体的に、禁煙外来の門を、たたいてみようと思います。
そして、およぐ、絵を描く、写真をとる、読書する…、
ひとつ、ひとつ、楽しめるよう、
機嫌のいい人になりたいんです、ほんと。
ストレスなしに、この現実は生きてはいけない。
いや、それだらけだと、思います。
まぁ、いろいろと、大変だからね。
だから、いろんなものがたまるのは、仕方ない。
毒素がたまるようなものだと思います。
・ストレスというと、なんか疲れるので、
毒素と広く、いってしまおう。
河豚みたいなもので、ひとの一部分には、
毒素があり、また、病んでいる。
ぼくも、そのひとりです、たぶん、きっと。
・毒素がたまると、ひとには、誘惑が多くなる、
わるくちを、いうこと、他人のあら探しをすること、
機嫌を悪くして、当たる事。
どうでも、いいや、と、他者への配慮がなくなること。
でも、結果的に、その毒素に、
それは、ある意味、乗っ取られているとも、いえる。
じぶんが、見えなくなっているんじゃないか、
そう、思う。
・月並みだけれど、毒素にとらわれないには、
心に栄養をあたえればいい、
花に水をやるように、
すこしずつ、すこしずつ。
だから、じぶんの心を、花に育てているような、
そんな、気持ちでいきたいなぁ、と感じる。
そういう、シンプルなものなのだと思う。
でも、それは、厳しいことでも、ある。
ミスチルでいうならば。Q&Aの繰り返しだ。
・毒素が、貯まるのは仕方ない、それは、いきていると言う事だと思う。
当たり前だけれど、好きな事をやるのが、いいのかなとも、思います。
そして、清潔に、健康に、笑顔で、丁寧に。
くやしかったら、自分にあたれ、その分、泳げということです、
ぼくに、とっては、すなわち。
・そして、ぼくには、毒素をぬいているようで、
その分、ニコチンという、毒素にとらわれている、自分がいましてね。
匂いも、もちろんですが、灰皿をみると、
じぶんが、毒素をため、また、別の毒素を注入して、
なおかつ、その毒素で、ひとを不快にし、
じぶんの、正確な判断とか、じぶんの肺だけでなく、
灰をだし、それで、なんとか、ある意味、Highになり、
それに、とらわれ、その、毒素で、大切な家を、黄色くして、
それが、わかるんですよね、ほんと。
・ぼくは、じぶんの毒素が、毒素をもとめ、
また、それが、じぶんを蝕んでいき、
毒素に、依存しているということに、なります。
ある意味、おだやかな自分が、そこなわれ、
そして、いろんな部分を失っているなぁ、と感じたのです。
そうかんがえた時、やはり、これは、まずいなぁ、
と感じたわけです。
毒素は、正当な生き方で、たまりながらも、
それを、いろんな好きな事で、中和する、
それで、まっとうな判断が、できる。
毒素が、たまるから、毒素を、いれているようでは、
やはり、いけませんね、
そして、その毒素は、じぶんを弱くして、
じぶんの身体を、蝕む。
いろいろ、考えてみたら、
さいきんは、ひとを悪くみたり、悪口を、いいたくなる自分がいます。
そう、考えたら、ぼくは、やはり、毒素にとらわれ、毒素を、
求めてしまっているのだと。
歴史をみると、悲劇は、1つの毒素が、新たな毒素を、
よんで、そして、それが尊い、命を奪っている。
いまも、そうだと感じる。
ぼくも、自分の中に、そういうものがないとは、
とても、言い切れない。
ぼくにも、やはり、毒素はあるのだ。
毒素については、いろいろ、書きたい事があるけれど、
この辺にしておこう。
・ひとつ、毒素のために、毒素を注入するのは、
やめようと、思いました。
それが、まず、できることです。
さて、毒素を、やめるには、具体的に、
成功しやすいのは、どういう方法か。
一番は、自分自身ですが、
それだけでは、毒素を、ほしがる毒素が、自分の中には、いると思うので、
まずは、具体的に、禁煙外来の門を、たたいてみようと思います。
そして、およぐ、絵を描く、写真をとる、読書する…、
ひとつ、ひとつ、楽しめるよう、
機嫌のいい人になりたいんです、ほんと。
