hatamarog -3ページ目

ぼくの、やかん。ぼくの、お皿。

ぼくは、わりとですが、

気のながいほう、なんだけれども、

やかんとしては、大きい方です。

なかなか沸かないけれど、沸くと、なかなか冷めない。

何年も、根にもつタイプだ。(よくないですね。)



ったく、いいかげんにしろよな、

っていうことは、まぁ、生きていれば遭遇するし、

がっかりするものだ。

まぁ、じぶんが、たいしたことはない人間なので、

しょうがないよね、悲しいけれど、まぁ、そんなもんさ、

と変に達観もします。



ぼく自身は、バカなので、

どんなに、非難されたり、バカにされたりするのは、

慣れているので、まぁ、いい気持ちはしないけれど、

まぁ、それもそうかな、とも思います。

いい気持ちは、もちろんしないけれど、その辺の諦めは、

とても、いいです。

ひとつ、スイッチをあげれば、

家族にかかわること。

あるいは、じぶんの職業にかかわること。

あるいは、大切な人たちにかかわること。

身体的なことや、生まれ持ってどうしようもないことを、いう人たちかなぁ。




ある人は、親友だとおもっていたのに、その会社と取引しないならば、

友達としては、会えないと言われた(そういう、ニュアンスだった。)

ある人は、見かけがわるいと、こどもの顔も心配だから、

人間は、顔だよといっていた。(その人は、こどもがいて、ぼくは独身だ。困るよね)

まぁ、仕事も、いろいろいわれたなぁ、でも、

自分自身のしごとを、自分たちがバカにされるのは嫌なのに、

なんで、人の事は、いえるのか、ぼくには、理解できない。



ようは、ここまで書いてきて、じぶんが忌み嫌うものは、

じぶんをお皿にのせていないで、人のことをいうやつかもしれない。

今日は、なんだかイライラしているので、

失礼な文だと思います、

じぶんも、お皿にのせていないのかも。

反省しなくちゃいけないな。。

断捨離。

薬剤師の残薬整理の事が、テレビでやっていました。

ぼくなりに、思うところ、考えるところがあるのですが、

今は、保留して、思案していきます。



残薬整理のように、

ぼくは、人生の断捨離をしたいと思うことがあります。

人、物、情報…、

いったん、ゼロに戻す必要があるのかなぁ、

と思うのです。



多いことが、豊かではなく、

腹八分目、ぼくも、年をへて、

やれることは、限られていますし、

同時に、やれることは、深くやりたいのです。



深くやりたいことは?

それは、これから、仕事や、日々の務めをこなしていくうちに、

みえてくるのでは、と思います。

ならば、それが見えるよう日々を生きて行く、

しいてあげれば、釣りとか、真っ白になれそうなことを、

やりながら、思案していきたいと思います。

服や、本も整理していきたいですし、

つきあいも、極力さけながら、

できること、やれることを、

一度、見直す方向に、きてるんじゃないかと。




今日も、読んでくださってありがとうございます。


たぶん、ぼく(サックス)と、ピアノの方とで、

ユニット(とは、いっても、ぼくが練習しなきゃだけど)

組みます。

で、そこに、

「お話」…小説や、絵本の場面を読んで、

「おはなしと音楽の夕べ」なんて、やってみたいという、

少し、早い、妄想満月ですが。

準備、進めていきます。

楽しきコンサート。 

きょうは、毎年の、ハンディをもつ(表現が難しいのですが)子供達の、

音楽活動の、コンサートにいってきました。

毎年なのですが、そして、ぼくも少しだけ支援しています。

感じたことを、書きます。




・音楽は、心地よかった。

みんな、音楽が大好きなんだと思う。

音を楽しむ、音楽の、本当の喜びを、みんな、

知っているんだ、そう感じた。

すぐに、去年より、演奏がうまくなっているのを感じた。

すげぇなぁ…、ぼくには、とても、こんな難しい演奏はできない。

とても、本人たちも、周りの方々も、がんばってきたのだろう。

和太鼓、JAZZ、ポップス、クラシック。

バラエティに富んだ演奏は、ぼくらの心の中の、

大切な部分に響く。

音符が音に変換され、ぼくの、心に音が入ってくる。

「世界に一つだけの花」は、いい曲だけど、

歌うたいの心がつたわって、

より、すばらしく聞こえる。
この歌の意味がわかる。



・ぼくが、この活動に参加してから、

毎年、この日は、どんなに忙しくても、

コンサートで、なにかをもらっている。

同情ではなく、純粋に音楽を楽しんでいる。

あたたかいものを、体温のある音楽をもらっている。

ぼくに、それほどの、あたたかさを、だれかに、あたえられるだろうか?

いや、自信がない。

でも、せめて、その温かさを、保ちながらもって、

毎日を、過ごそうと思う。



・そして、多くの人が、この活動をしってほしいし、

みんなが、あたたかさを、持ち寄れば、

このような、活動が広がるのを期待している。

ぼくに、できることを、少し、考えている。

小さな一歩から、楽しみながら。

そう、考えている。

形のないもの。




吉祥寺の、愛用している時計作家さんの工房。

素敵な空間、いつか、こんな雰囲気の空間(それがどんな形かは、わからないけれど)

やってみたい気持ちが、ぼくにはあります。




・さて、プロフィールのイラストの話。

ぼくの、大好きなイラストレーターさん、

京都在住の、maccoさんがご好意で、書いてくださった似顔絵です。

とても、気に入っていて、家宝のように、

(デジタルなので、形はないけれど)大切にしています。

村上春樹さんの短編で、主人公が、

「形あるものと、形がないものがあったら、形のないものを選べ。」

と、いっていますが、この似顔絵を、使うことは、

ぼくにとって、いわば、名刺みたいなものなのです。

一生使うでしょう、

たとえ、自分の顔がおじいちゃんに、なっても、使うかな。

形あるものといえば、ぼくの、薬局では、個展「麦とmacco」でヒトメボレした、

「猫ざぶとん」が飾ってあります。

部屋にも、絵を飾りたい、また、個展いけたらなぁ、そう思っています。

村上春樹さんにとっての、安西水丸さんみたいな存在かも。

maccomacは、いつも、ぼくに彩りを与えてくれます。

maccoさん、楽しみに拝見させて頂いています。



・形がないものといえば、

思い出なんかも、形がありませんよね。

でも、形がないからこそ(それゆえに)

思い出の場所が、なくなっても、

生きていくのでしょうね。

そうやって、歳をへると、思い出は、

いろいろと形をかえて、ぼくらの奥底で生きている。

うん、小さい頃の遊んだ思い出も、そして、亡くなった友人も、

別れた恋人も、ケンカ別れした友人も、

ある意味では、いろんな思い出の場所がなくなっても、生きているんだなぁ、

そう感じています。



ぼくらは、そうやって、あたためて生きていかなければならない。

たとえ、困難な人生でも、形なき思い出があたためてくれると、信じて。

あるかたのコメントを読んで、そう思いました。

お返事が、遅くなってすいません、

コメントのお返事かいてありますので、よかったら見ていただければ幸いです。




今日も、よんでくださってありがとございます。

思い出は重いでーが、昨日から離れない。

15年目の命日。

今日は、親友の命日です。

今年で、彼が去ってから、15年経つことになります。



ぼくは、彼が亡くなった時、

どんなことがあっても、忘れないことを

誓いました。

ふだんは、三日坊主の、ぼくなんだけれど、

それだけは、どんなことがあっても、

守ろうと思いました。



正確には、昨日、1日早く、

実家に伺って、お線香をあげられたこと、

彼のかわりに、お母さんにカーネーションをあげられたこと。

そして、気持ちながら、彼のお母さんが、参加している、

ハンディのある方の、音楽活動のNPOに寄付ができたこと。

(音楽が好きで、また、福祉に興味があったので、彼は、喜んでいると想像します。)

それを無事、終えられて、

まぁ、いろいろあるけど…、、がんばってきて、よかったなと。



元気に、この日を、自分が、

むかえられること、

忘れていないよ、

と伝え、近況を報告することが、

できることかな、生きている人たちには…。

って思います。

ほんと、それしかないですよね。

15年前は、どうにもならない気持ちに、苦しみましたが、

そう、思えるようになりました。

2015.5.11 hatamaro

夜は、やさし。

友情が壊れた時は、友情について、考え、本を読み、

お金の問題に、巻き込まれたら、経済や、経営学を読み、考え、

人のこころについて、考えると、臨床心理を読み、考え、

自己主張についてや、父性についてかんがえると、本を読み、考える。

いろんな、専門書で、一次資料を読むのは、楽しいです。

学ぶのは、楽しい。

整理整頓は、苦手だが。



でもね、すべては、

いろんな小説や物語や、音楽に投影され、含まれている。

いまは、「夜はやさし」を読んでいます♩

1年たった。

叔父の一周忌がある。

こどもの頃から、父親のように、

我が子のように、育ててくれた叔父。

思い出は、あふれるばかりだが、

たいせつなことは、忘れない、

ことでは、ないかなと、感じている。



サッカーをしてくれた叔父、山へ連れて行ってくれた叔父、

透析を続けながら、しごとをして、

そして、山や、太鼓や、人生を楽しんできた叔父。



闘病中の、叔父のほんとうの強さについては、

忘れないでいたい。

どんなに、想像を超えた、つらさでも、

だれかに、当たることは一度もなかった。

たった、一度も。



忘れたくないことは、たくさんある。

ぼくは、頭がわるいので、自慢じゃないが、

たいせつなことさえ、忘れていく。



でも、叔父のことは、感謝は生涯、忘れないと思う。

そして、叔父に教えてもらったことが、

ぼくにとって、また、叔父のように、

だれかを、あたためられたら、いいんだけれども。。

って思います。

こころから、そう思う。

貯金箱。


最近、更新も少なくなりましたが、

しばらく、書きたいことも、書いたし、

少し、のんびりと、
(もちろん、いろいろと日々あるわけで、のんびりできそうもありませんが。)

自分でも、充電したいなぁ、

と思いまして、

しばらく、このブログを休ませていただきます。



書きたいことは、フツフツと湧いてくるけれど、

いまは、自分の感じたことを、

すこし、貯金箱に貯めたい、気がするんですね。

いろいろと、やりたいことも、多くなってきましたし。

今の、ネット環境も、
少し前より、ずいぶん、息苦しくなってきて、
まぁ、少し、離れてみようかなぁと。



いまは、いろんなことを、

貯金箱に貯めます。

いっぱいたまったら、いいなぁ♪



きょうの、この日に読んでくれてありがとうございます。

ぼくは、じぶんの大切な友人たちに、共感できる人に、

いつか、また、よんでもらえたら、嬉しいです。



でも、テレビも、ネットも、

となると、ますます、世の中に疎くなります。

セカオワって、なんですか?

教えてくださいね。

hatamaro 拝

過去と未来。

過去にやられたこととか、過去にしたこととか、

最近、過去について考えることが多いです。



ぼく自身で、いえば、

過去に、嫌な思い出のあるひととは、

できれば、会いたくない方です。

それは、また、なんとも小さいじぶんに、悲しくなります。


ぼく自身も、だって、

心ないことを、いったことはあるのです。
(暴力は、1度もありません)

だから、人が、ぼくも、だれかも、

かわることが、あって、

あったら、あっ、懐かしいね、

となれたら、うれしいと思うのです。

それが、未来かな、とも思います。



未来は、過去の許しと反省からはじまるのかな。

これについては、一考ありそうですね。

hatamaro 拝

20年。

・20年経ちました。

いまはなき友人が、神戸で、ボランティアをやっていたことを、

思い出します。

ぼくは、高校生でした。




・昨日は、地下鉄サリン事件の、被害者の方の、

インタビュー(村上春樹 著 アンダーグランド)

を読みかえしました。

あれから、20年です。

東日本大震災もありました。



・忘れないこと、私たちが、そのことについて考え、

身の丈にあった、できることをすることが、

私たちのできること、

なのではなかろうか?

そんなことを、考えています。



・そう、つまり仕事がんばって、元気に働いて、

それが、結果的に、いろんなひとに、

還元できればいいなぁ…、

と、個人的には、思っています。



・自分のことだけ、考えていたら、

やっぱり、ダメになるなぁ、

そう思っています。

まぁ、それを否定しないのも、

人間だけれど。



・道は、ながいけれども。

苦労や、困難や、くらやみが待っていても。

みんなが、ひかりを、感じて。

ひかりを、感じれますように…。