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運命共同体。

学生の頃、これは運命共同体のような体験を、

いくつかしたことがある。

サークル、部活、ともだち、数少ない恋人。

友のためならば、どんなことでも、わかちあう!!

我が事のように想う!!

ある種の、一心同体。



当然のことながら、その共同体は、長くは続かない。

ひとは、いつまでも、一心同体にはなれない。

年齢や、仕事や、いろんな状況で、人は変わる。

学生の頃のような、運命共同体は、

EU並みに、むずかしいのかもしれない。
(経済のことは、よくわからないけれど。)

でも、悲しいことは、ぼくでも、わかる。

共同体の崩壊。

いまでは、その運命共同体は、家族や、会社(会社は、そこまで守ってくれなくても)

に、とってかわったのだろうか?

ぼくらの世代は。。




けれど、そこから、ゆるやかに、ぼくは考えるんだけど、

一時にせよ、小学校、中学校、高校、大学と、

一心同体を感じれた、運命共同体に、

属し、いろんな葛藤や、いろんな感動を、ともだちや、

あるいは、数少ない恋人と味わえたことは、

その、あたたかみは、とても大切に残っている。

あたたかみを、忘れずに、そして、そんなあたたかみを求めていくのかも、

ぼくらは。。。



一方で、建設的に、運命共同体は、壊れるのかもしれない。

家族の自立、発展的解消。

個が弧として、生きていくのには、成長するには、

あるいは、そういうものが必要なのか?

永遠はありえないのか?ぼくのテーマかもしれない。

人が死が当然あるように、終わりはあるのだ。

その、はかなさ、その、あわれ、

失っていく悲しみ、それは、人間が多く感じてきたことではないだろうか?



ぼくは、時々、想う。

ゆるやかな共同体、かたい共同体、

夫婦でも、友人でも、その時々に、あわせて、

変化していくことが大切ではないだろうか。

家族の形、友情の形、恋人の形。

形をかえることができるからこそ、続くのではないだろうか。

人と人との結ぶ糸は、ほんとうに、細いんじゃないかと思う。
(いや、細いからこそ、大切なのだ。。)



運命共同体、生き別れた双子、

ぼくは、そんな人たちを失う(あるいは、僕自身の手で損なった事に。)

ぼくは、心の中に、大きな問題を抱えているような気がする。

それは、誰かが悪いのではなく、運命が悪いのではなく、

ぼく自身の、問題だと感じている。

ぼくの、心の中は、出血しているみたいだ。

絆創膏をいくらはっても、内部に、患部があるような形。

それは、どんな薬でも、治せない。
(浅はかな知識の薬剤師でも、やっぱり、そんな薬は思いつかない。)

逆に、いえば、その運命共同体に、いた人を、

ぼく自身が、決定的に傷つけたことが…しかし、どうにもならない。
(それが、一番大きな問題なのかもしれない。)


治せるのは、ぼく自身、なのかもしれない。

当然のことながら、別の人の心のなかの傷を、完全に消すことは、不可能だ。

ぼくが、新たな、運命共同体を築く(つまり、家庭を作る)

には、心の中の大きな、形のわからない、

その、今までの、運命共同体を失ったことによる、

なんらかの心の問題を自らの手で、納得していかなければならないのかもしれない。

とても、強く、それを感じています。

そうでなければ、おそらく、

ぼくは、一生、運命共同体を築くことはできない、

それは、断言できると、思っています。

豆腐みたいなもの。

「ぼくは、豆腐屋だから、豆腐しかつくれない」

というのは、小津安二郎さんの言葉だけれど、妙に、腑におちる。

幅広い視点が、あって、また遊び心もあると、

面白みは、増すなぁ、とはおもっているのだけれど、

時期というものもあるし、どうしても、優先事項があります。

じぶんの原点は、ひとのお役に立ちたいこと、それにつきる。

もちろん、利益は上げなければならないのは、当然ですが、

それは、後からついてくることであって、

人に役に立てるよう、患者さんの為になるよう、

勉強、行動していこうよ、

ひとつの美学をもっていこうよ、

ということになる。

小津さんの、言葉にあるように、

豆腐屋にカツ丼を、作れと言われても無理だ。

豆腐屋は、豆腐を、一生懸命つくることで、

人を、しあわせにできるし、豆腐以外で、生活できるとは思えない。



時代の流れも、あるのだから、

豆腐への求められ方も、当然、変わるとは、

想像する、いろんな変化があるが、
(たぶん、そこで、変化が必要になるだろうけれど。)

でも、豆腐屋は、豆腐しかつくれない、

というのは、わすれてはいけない、と思う。

大事なのは、豆腐だ。

形は、変えても、豆腐屋なのだと思います。

でも、それは、他の分野の勉強を忘れてはいけない、

ということでは、ないと思っています。

幅広く勉強しながら、ただ豆腐に反映させる。

より多くの感じたことを、シンプルに豆腐に反映させる。



多くの情報、知識がふえると、いろんなことを、やりたくなるけれど、

学んだ分だけ、1つのこと、

豆腐のようなものに、集中してみても良いのでは、ないかなぁ、

と漠然とかんがえている。

ぼくも、やはり、豆腐屋は、豆腐屋、それ以外のことはできないよ、

と感じています。

いろいろやることは、あるんだけど、それは豆腐に反映させる為にある、と思う。       

じぶんにとっての豆腐を、たいせつにしたい。

そう、心から想っている。



生きることって、自分探しでなく、

じぶんにとっての豆腐探し、なんて…。。

雨音を聴きながら。

雨の日は、ぼくは、静かにすごせて、

心地よい。

悪くないなぁ、と思う。



晴天の日も心地よいが、それは「動」の自分があらわれ、

なにかしなきゃ、という、

幾分、せわしない日常が現れる。



一方で、雨の日は、

すこし、なにもしなくてもいいよ、

という許しを、与えられた気がするし、

もの想いに、ふけて、静かに雨音を聞いていると、

その音がなにより、至福に感じます。



「ハレ」と、「アメ」、「クモリ」

天気のように、変化する人生ともいえるが、

雨の日や、曇りの日のような気持ちがある日が当然、あります。

そんな日も、また、楽しむのが、

実際には、楽しむのは、難しいけれど、

人としての奥底を、深めてくれるのでは?

いや、何も変わっちゃいないかもだけど、

そんな日も、必要かなぁ、と感じます。


晴れの日も、雨の日も、1日を丁寧に、生きていきましょう。

そんなことを、雨音を聴きながら思う。

若干、いろんなことに、

がっかりはしているけれど。

雨音を聴くのは、落ち着きますよね。




天気雨は、すごく混乱します、なぜでしょう?

さん八の、ご挨拶。

無事に、38歳を、迎えられたのを、

嬉しく思います。

健康で、ぼくも、まわりも、

いろんなことは、あるけれど、

嘘や、矛盾や、不条理や、争いや、悪口や、非難や、裏切りや、

ネガティブな要素に、満ちている世の中だとは、思うんだけれど…。。
(そして、ぼくも、そんな闇をもっていると思う。)



でもねー、

小さくてもハッピーで。

そんなふうに、特別な日でなくとも、

小さな灯火、みたいな幸せが、あればいいですよね。

そして、お互いに、みんなが、

その火を、つけれたり、つけてもらったり、

その日を、大切にしたりとか、

そんなふうに、生活をしていければ、

なによりだなぁ…、と個人的には、思っています。

そういうのが、なにより、

ですよね?

そんなことを、思うようになっています。



ぼくは、思うのだけれど、

ぼくらは、日々、いろんなものを、目にするけれど、

その中で、真に、正しいもの、うつくしいもの、
(それは、見せかけだけではなく、形なきもの。)

をみつけ、大切にしなければならない。

五感を使って、感じなければならない。

なにより、そういう探すことで、みつかんなくても、

探すこと、一生懸命に打ち込めるように、ガンバラネバ。

ぼくも、いや、みんなが、自分という物語の主人公なのだと思います。



死ぬ前に、じぶんの、物語が、

あー、おもしろかった、(いろいろ、あったけど。。)

って、なれればいいよねー。

お互いに、がんばりましょう!!

と、なんだか、抽象的なご挨拶。
雨の日も、風の日も、そして、ハレの日も、
読んでくれてありがとうございます。

札幌の、歌うたい。

大学3年の時、つらいことがあって、

夏休みに、北海道を放浪した。

札幌駅の前で、新聞紙をひいて寝たり、

富良野で、ラーイダーズハウスで、寝たりと、

青春18切符を、つかって、とにかく、

なにも、考えないように、考えないように、務めた。



夏の北海道は、本土と違って、

夜は冬のように寒かった。

ぼくは、その寒さを、直に感じながら、

そして、耐えるように、受け入れた。

必要なことだと思った。



ススキノで、歌を流している歌うたいの女の子が、いた。

名も知れぬ、歌うたい。

槇原敬之の「どんなときも。」

ぼくが、受験のたびに、聞いていたから、

それは、まるで、リクエストが、神様に届いたようだった。



どんなときも、どんなときも、ぼくが、ぼくらしくあるために。

当時、頭が混乱して、まとまらない状態だった。

ただ、その「どんなときも。」は、

いまでも、鮮明に覚えている。



名も知れぬ、歌うたいの、「どんなときも。」

ぼくも、いま、そんな状態かもしれない。

ぼくの、普段することで、仕事で、

札幌の歌うたいの、「どんなときも。」

みたいに、誰かの役に立てたら、どんなに良いかと時々、思う。

とても、しんどくてもね。

その時は。



どんなときも、ぼくは、やはり、ぼくは、ぼくらしくありたい。

ぼくが、救いはなくとも、

ぼくは、救いに、価する人間でありたい。

心から、そう思います。


あなたの大切にしてることは、なんですか?

あなたの、大切にしてることはなんですか?

ということを、けっこう、いろんな人に聴いている。

大切にしていることが、わかれば、

その人の、しごとや、人生に対する姿勢が、わかるし、

大切にしていることが、同じであれば、

お互いに、Happyになれる。



恋愛でも、しごとでも、家族でも、

それは、おなじではないかな。

おたがいに、大切なことを、大切にしている、

会社や、カップルや、家族をみると、微笑ましい。

ぼくは、たいせつなことを、共有できる仲間と、いたいし、

はたらきたい、そして、愛したい。



少ない、読者に、

アンケートをとります。

「あなたの大切にしてることは、なんですか?」

kyouritsu.pha@lemon.plala.or.jpまで、メールください。

よかったら。

送ってくれた方には、hatamarogグッズ贈呈(冗談です。)

赤。

学生時代、赤色が、すごく好きで、

赤いマフラー、赤いコート、赤いメガネと、

真っ赤だった。

そう、ぼくの学生時代は真っ赤でした。

でも、まぁ、真っ赤な嘘は、ついていないので、

こころは、いちおう純粋だった(と勝手に。)思っているんだけど。



いまは、差し色にこのんで赤を使っています。

メガネは、プライベートは、赤のチェック(気に入ったので、4本同じのがある)

時々、赤が入った、靴下も履いている。

赤は、ぼくからいえば、粋な色です。

いってみれば、ぼくは粋な、シンプルな、ものが好きなのだと思います。

赤を、さりげなく、粋につかえるのは、

ぼくの、理想です。



小津安次郎さんの映画が、好きなのですが、

小津さんの、所有物をみていると、

実に、鮮やかに、シンプルに、赤が使われている。

素敵だなぁ、と見とれてしまいます。

小津さんの作品は、ほんとうに、綺麗なデザインが、ほどこされた、

アングルで作品が撮られている。

綺麗な世界の、なかに余白があり、そして粋なのだ。

登場人物の服装も、シンプルながら粋。

店などの看板も粋。

どこか、ぼくも、そんな粋な人になりたいなぁ、

と思うんですが、なかなか難しいですね。



松本で、クラフトフェアがあります。

人が多いのは、好きではありませんが、

クラフトを見るのは、大好き。

ものづくりが、もともと好きなので、いってみたいなぁ。

と、なんだか、今日は余白が埋まりません。

だから、短めに、余白を残します。



きょうも、読んでくれてありがとうございます。

赤いちゃんちゃんこを着れたら、赤い服は、コンプリートかも。

風の音。 

風の音が、聞こえる。

きもちが良い。


きもちの、良い時は、どんなときだろう?

自然に触れる、入浴、泳いだ時、

なにかを達成したとき、エクスタシー。

もちろん、いろいろ、あると思います。



逆に、きもちよくないことは?

だれかを、モノを、大切にしないこと。

つまり、愛情をもって、なにかをしないことだ。

つまり、真心を、こめて生きていったり、

真心をこめて、仕事をしていない時ともいえるなぁ。

ぼくも、自信がないのですが、至らないので。



「患者さんが、もし、じぶんの家族だったら、どういう気持ちになるか?

患者さんを家族のように思って考えること、薬を作ることが、大切だよ。」

という、先輩の言葉は、今でも、しっかり残っていて、

折に、ふれて、思い出しています。

根本は、そういうところになります。

それが、「できない」とき、気持ちがよくない。

とても、くやしい。

チームとしても、個人としても。



つまり、まぁ、良いか、

というように、ごまかしたりすること、甘えること、

いいかえれば、じぶんに嘘をつくこと、

が、生理的にきもちよくない、のではないかと思う。

じぶんに、嘘をつくと、だれかに、嘘をついたことになり、

そして、それは、じぶんの力の無力さを感じることになると思うのです。

いいかえれば、ドラッカーの組織としては、

「知りながら、害をなすな。」だろうか。



もう、一度、耳をすましてみよう。

風の音をきいてみよう。

その中に、大切なものがあり、

なぜ、その風は、気持ちが良いのかなぁ、

と考える。

ぼくは、思う。

その風は、じぶんに、嘘をついていない。

ぼくも、そうなりたい。


今日のハタマロ:カラマーゾフの兄弟を、読み進めています。

ゼロ。

今年の6月10日に、38歳になるのだけれど、

毎年、誕生日には、ご褒美というより、

じぶんの、あらたな可能性を、

探せるものを購入しています。



30の誕生日に、はじめた、

カメラ(GRDEGITAL2)の趣味は、最近は…

ですけれど、すごく楽しい時間をすごせましたし、

もともと、このブログは、写真と文章の融合も、

コンセプトにあったものですから、

すごく生きています。



ぼくは、今年は、まだ迷ってるのですが、

釣りをはじめたいなぁ、と前々から思っていました。

ゼロになるのに、これほどいいものは、

ないんじゃないか、と。

不器用ですし、右も左もわからないものにとっては、

ハードル高めですが、

釣り道具と、野外でコーヒーを作れるガスバーナーがあればなぁ、

と考えています。

休日は、しばらく、水泳と釣りで、ゼロになれればなぁ、

と限りなくゼロにね。



なにかを、ゼロにすると、

新しい芽吹きが、新芽がでてくるんじゃないかと想像しています。

いまは、新芽がでるように、とことん、ゼロにする、

それがいいなぁ、と考えています。



今日も、読んでくださって、ありがとうございます。

実は、ゼロにしたら、やりたいこと、

けっこう、あるのだけれど、時期がきたら。

ミエルカ。

おしゃれでも、なんでもないんだけれど、

ぼくの服装は、

シンプルということにつきます。

今の時期ならば、白のスニーカーに、白シャツにジーンズ。

ハンドメイドの時計、赤いメガネ、

靴下はカラフルにしているけれど。

まぁ、それで、とくに着るものには、悩んだりはしない。

疲れがみえてきたら、同じものを追加する。



「見える化」というのを、仕事上よくきくんだけど、

食べ物は、もちろん、服も、作り手が見えるものが好きです。

とくに、国産の小さな工場で、作られて、

見た目の派手さとかではなくて、仕立ての良いものが好きです。

で、そういう丁寧に作っている工場を思うと、

また、いいもの作ってください、

と、ぼくは、投票する気持ちで、

買っている。

良い店、良い会社のものを、かうことは、

街をよくして、好きな会社を成長させることになると思う。



薬局に関しても、同じことが言える。

医療は、誰より、患者さんのためにある。

そして、患者さんのために、していることが、

見える化して、地域に受け入れられていけば、

薬局、薬剤師の未来も明るくなるのかもしれない。

今の、閉塞感から、そう想起する。