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ものづくり。

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・ぼくは、なにかを作ることというのは、

誰もが、好きなんだと思うんです。

オトナになって、

時間がないかな?とか、

自分には無理かな?とか、

そういうところが、阻害して、

なかなかできないけれど、

思い返せば、みんな、昔は学校で

絵をかいたり、粘土をいじったり、そういうことが楽しいんですよね。



・ぼくは、漫画が好きになれば、漫画雑誌を作り、

小説が面白いと小説をかいたり、

ゲームが面白いとおもえば、ゲームをプログラムしました。

音楽がすきなら、バンドを組みました(胸をはれては、いえないのですが…。)



・面白い事をつくる、それって、豊かですよね。

やはり、制約はあるのですが、

みんなに共通していることではないかなぁ。

多くの人に評価されるより、身近な人に、

「いいやん。」といわれることも、

また、モチベーションをあげますよね。



ぼくは、「ものづくり」は個人的には、最高の遊びだと思っています。



きょうも、あしたも、ていねいに。




筆跡イケメン。

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・時々、患者さんのお気持ちを考えた上で、

コミニュケーションをしていく上で、

病に対するお気持ちが、ぼくの認識と、ズレが生じます。

もしかして、ぼくは患者さんのお気持ちを、

理解して、受容することができなかったのか…、

悔やむ事もあります。



・当事者と、当事者でないものの、差異は、少なからずもあります。

どんなことだって、そうです、

実際に体験していないことは、想像力で、埋めていく事になるのだから、

至らない部分が、ぼくにあるんだと思います。

そのためには、病や薬の知識や、

人それぞれが違うところで、生きているという、

多様性を受容していかなければいけません。

それは、とても、とても、大切にしたきたことです。

学ぶ、感じる事、想像すること、伝え方、

ほんとに、すべてがうまく、機能しての、共感だと感じます。



・さて、12月に入るにあたって、

ぼくが、思う事は、

すごく単純なことですが、字を奇麗に書けるようになりたいと思う事です。

メールや、パソコンで文章を作ることに、なれてしまった時代、

ぼくの字は、学生時代より、ひどいものとなりました。

筆跡は、いわば、その人をあらわします。

1年の中でなにかと、年賀状や、手紙など、

いろんな人に、自筆の文を書く時期。

すこしでも、感謝の気持ちをていねいにあらわしたいと、おもうこのごろです。

「筆跡イケメン」に、なりたいです。

本人は、ダメダメな男ですが、

筆跡イケメンには、なれるかな?いや、厳しいかな(笑


今日も、明日も、ていねいに。


散歩。

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・走っている時、

ただ、目の前の事に向かって、

進んでいる時、

目に見えるのは、想うのは、ゴールだけかもしれない。

風景は、あくまでも、走るときの背景であり、

重要な事は走る事だ。



・でも、ぼくは、思うのですが、

時には、肩の力をぬいて、

散歩することが、生きる上で必要かなと思う事があります。

走っている時、見逃していた小さな幸せが、

通り過ぎないように、

通り過ぎないように、

急がず、ゆっくりと、感じるのは、大切なのかなぁ、という気がしています。

枯れ葉を拾っているような、そんな、幸せがあります。




・ぼくなんかは、割と、カメラをもって歩いてると、

そんなことを感じる事が多いです。

こんなところに、こんな素敵な風景が、

こんなところに、なかなか味のある、花が咲いていたり、

毎日の忙しさに追われると気付かないんだもの…。



・毎日、ドタバタとした日を過ごしていると、

忘れがちの事を、「散歩みたいな歩み」は気付かせ、

日常を引き立てています。

誰かが、自分の事を、思いやってくれていたことに気付いたり、

誰かを、元気かな?と思いやったり…。

あるいは、自分の中に、「なにか」を、

悪い部分でも、良き部分でも、発見できたりすると思います。

それは、「たいせつなこと」なんだと感じます。


あなたは、走っていますか?

でも、ときには、散歩していますか?

無理せず、歩めたら良いですよね。



今日も、明日もていねいに。



井戸掘り。

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・いよいよ、今年もあとわずかです。

この時期は薬局は忙しい時期で、バタバタとします。

なかなか余裕がなくなり、

そういう時こそ、周りを大切にすることを、

忘れがちになる、自分が怖いときがあります。



・人と人とが、あるいは、男女が、

ほんとうに、わかりあおうと、するならば、

ぼくは、表面上ではなく、

井戸を掘って、井戸を掘って、

水脈を少しでも、つながるようにする作業かなと、

感じる事があります。

ただ、楽しいだけで、終わらないのが、

30代後半の、ぼくの中にばくぜんとした、

価値観です。

掘り下げていった関係は、とても、深い味わいがあります。

老夫婦をみていると、時々、微笑ましいこともよくみますね。

そんなところを、目指していきたいと感じる、ぼくです。



・最近は疲れた時は、観葉植物を眺めるようにしています。

そこには、余計なノイズが、なくて、

ただ、ただ、無に奇麗だなぁと、ホッとしています。

井戸掘りは大変だけれど、もちろん、

やらなくてはならない。

でも、同時に、星を観たり、緑をみたり、猫と遊んだり、下ネタの話とか、

そんなことも、また、井戸掘りから、

少し視野を、広げてくれる気がします。

つまりは、バランスだと、思います。

それぐらい、コミニュケーションって、大切で、大変なことなんだ。

毎回毎回、必死にはなれないけれど、必死でなきゃいけない時もあります。


楽しみながらも、人との井戸掘りを、

していきたいなって、思っています。



今日も、明日も、ていねいに。

ほおずきの花束。

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・温泉につかりながら、ノンビリしていると、

時々、すごくシンプルに物事を考えたりします。



自分が人にしてもらって、嬉しかった事ってなんだろう?

自分が人にされて、嫌だった事ってなんだろう?



その、2つを思い出しながら、

これからいく、方向性をかんがえていくと、

なんとなく大切な事って、わかってくる気がするのです。




・奇麗な事だけで、

物事がなんでも、落ち着くのなら、

誰もが、みんな苦労はしないと思います。

人は、弱いものです、間違いはだれにでもあります。

人は、財産や地位や名誉や、それだけで幸せになれるほど、

単純には、できていない。

かといって、悟る事もできないですよね。

実際、世の中をすごしていると、ぼくの手は真っ赤な血に染まっている、

そんな、気さえすることがあるのです…、たとえだけど。



・それを、踏まえた上で、

ぼくの大切にしている事、

感謝の気持ちや、人を傷つけない事、

想像力を働かす事、人の話をしっかり耳を傾ける事…。

自分の周りの大切な人達、家族、友人、いろんな困っている方、

仕事では、従業員さんや、特に患者さんに、

そんな大切にしていることで、具体的にできることを、イメージしています。



・いまは、薬局は忙しい時期で、

ぼくは、ギリギリでやっていますが、

そんな時こそ、そんな気持ちを忘れないでいきたいと、

ふと、思いました。

忙しい時ほど、人間としての大切な事が、

忘れてしまう気がしてならないのです。

これは、自分への自戒です。



写真は、散歩していたら、奇麗な「ほおずき」をみつけました。

ほおずきの花束という、暖かい短編を思い出しました。

最近は、写真をとる余裕もなかったので、

なんだか嬉しかった♪


風邪がはやっています、みなさんも、気をつけてくださいね。

コーヒーをじっくり抽出するみたいに、丁寧な毎日をすごしていきたいと、思っています。


追記:正直、次の選挙は消去法でしか、決められなさそうですね…。困ったもんだ。

今日もていねいに。

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・昨日は、お休みだったので、

午前はゆっくり、お風呂に入り、

車のオイル交換と、少し買い物をして、

後はゆっくり休みました。

次の日が、仕事だったので、体調を万全にすることを、

心がけました。



・最近、少し、自分の仕事に自信を失い、

なんだか落ち込んでいて、

朝は、身体が重くて、

心も身体も、ちょっとなぁと弱気でした。

街にでたりもしたのですが、

どうやら、ぼくは、疲れている時は、

むしろ、ひとりでいる時間が必要みたいですね。

人がいっぱいいるところは、どうも苦手です…。

毎度、毎度の歯痛ネタなのですが、

また、うずいていたこともあり、

なんだか次の治療がシンパイです。



・ひさびさに、面白い本を見つけました。

「暮らしの手帖」の編集長、松浦弥太郎さんの、

編集後記をまとめた本です。

暮らしの中で、気付く事、感じた事、大事な事が、

本当に、ていねいな、ていねいな、文で書かれています。

向田邦子さんの文章みたいな、感受性が強く、

そして、日常の切り取り方に感激しました。

読み進めていくのが楽しみです。

おすすめです。



文末には、いつも、同じ言葉で締められています。

ぼくの、今日の朝も、そんな気持ちです。

その、言葉は、

「今日も、ていねいに。」

それでは、出勤してきます♪


追記:またまた、植物を購入。砂漠の花と呼ばれているらしいです。
枯らさなきゃいいんですけど(笑

恐竜とネズミと、街の電機屋さん。

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・ものすごく忙しかった木曜の帰り、

楽しみにしている、ミスチルのニューアルバムを予約しました。

ぼくは、音楽に関しては、

クラシック、ジャズはLPレコード、

ロック、ポップスは、iPodで聴きます。

ミスチルだけが、発売日にすぐに、

聴きたいと感じている唯一のアーティストです。




・ぼくが、大学時代、サークルの打ち上げで、みんなで歌った「終りなき旅」。

卒業後、病気で入院したとき、病院で聴いた、「優しい歌」

退院して、世間に復帰するため、リハビリをしている時に励まされた「Any」

再び、国家試験に挑み、今年が最後と、決めて、

その時にリリースされた「HERO」

ぼくの、人生に彼らの歌は、常にどこかにあります。



・で、全然、別の話で…、思ったのですが、

気がつけば、ぼくの近所にはCDを買える所が、

某大型レンタル店しかありません。

書店も、大きいところといえば、それだけ。

確かに、利便性もありますし、じっくり選べるし便利な点も、

多いのですが、

昔はたぶん、あったであろう個人店が、ありません。

店主の、センスで揃えた品揃えと、

本や、音楽のオススメを教えてくれるような、

小学校の図書館の司書の先生みたいな、そんな存在。

そんな、空間…。



・ネット通販や、ダウンロード、大型店の価格競争の中、

どんなことに関しても、

個人店の味、

そんな、あたたかみのある味が、

ぼくは、必要だと考えています。

最近になって、「街の電気屋さん」みたいな存在が、

貴重に感じています。




・そして、医療の世界でも、それは必要である、

そうも、考えています。

巨大化した、恐竜ではなく、

小回りのきく、ネズミみたいな、そんなイメージです。

ちょっと、違うかもしれないけれど。


明日は、仕事です。

がんばろうっと!!

余裕がないときほど、余白を作るのが大切なんだろうね。

タテマエとホンネ。

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・日本人は、わりと、

「タテマエ」と、「ホンネ」の部分が分離しているように思います。

理想論をどんなに、掲げようとも、

あっ、それは、「タテマエ」であって、

実現なんかしないんだよなぁ、なんて多くの人が見ていると思います。



・「タテマエ」で接して、「タテマエ」で対応して、

それを「ホンネ」で、影で、いろいろいったりとか、

で、その「ホンネ」も実は「タテマエ」で…。

誰しもが、そして、ぼくも、

経験あります。



・まぁ、疲れるし、愉快な事では、ないよね。

その分離は、まぁ、社会的には、

仕方ない事なんだろうなぁとは、思います。

人が、集まれば、

そんなもんかな、とも思います。

だから、ぼくは、ぼくの事が、

ぼくのいないところで、しゃべられてる事は、

絶対、聴こうなんて思いません。



・ただ、人生には、時として、

「タテマエ」だけでは、

ごまかせない、貴重な人も、います。

すべて、「ホンネ」ということは、無理でしょうが、

「ホンネ」を少しでも、話せる人がいたら、

それは、なんだか、嬉しくないですか?

どこかに、「タテマエ」が混ざっていても、いいじゃないですか。

ウール100%のセーターが、なかなかないのと、

一緒じゃないかな?

矛盾の海を、今日もクロールだと、思います。

ボールはともだち??

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「ボールは、ともだち。」なんて、

昔のスポーツ漫画にありました。

でも、ぼくは、

ボールとなんかに、なれやしないよ、

なんて、斜めに見ていた気がします。

ひねくれた子供だったんですね。(笑




・ぼくが、運動が苦手だったこともありますが、

ドッチボールなんかは、相手にぶつける為に投げます。

それは、いかに、相手に、効果的に弱い部分をつくかです。

攻撃されるとき、ボールは友達では、ないと思いました。

ボール怖かったもの、面白かったけど(笑

ある種の、悪口や、愚痴なんかはそうかもしれない、八つ当たりなんかも。



・視点をかえて、キャッチボールを想像する。

個々がボールを投げあうときに、

ボールは、相手に取れるものでなければ、ならないかなと。

ボールを投げる前に、どんな形だったら、取れるのかな、

相手の、状態は?体調は?

相手の、気持ちは?

ということを、考え、ボールに反映させる。



・ボールを形作って、

それは球形でなくても、

四角でも、三角でも、良いんだ。

そのときは、ボールは友達かもしれない。

あるいは、投げて、受け取ってくれる人は、

やはり、友達なのだろう。

あるいは、受け取れるように、形作り、投げる事が大切なんだと思う。

そして、丁寧に受け取ることは、さらに大切だと感じます。



・ただ、投げる事だけでなく、ボールを、どんな形で、

どんな風に投げるかは、

どんな風に受け取れるかは。

ある意味、いろんな意味で、

人間関係を示唆しているみたいで、

興味深いなと思っています。

周りの人と、うまく投げあえる関係を作れたらよいなと思います。


・ぼくは、周りの人に、うまく、投げられてるか?

しっかり、受け取れてるか?

正直、自信ないんだよなぁ…。

プライベートでも、仕事でも。

人間だから、しかたないにしても、

でも、少なくとも、努力したいとは思うなぁ。



ことばで表現できないもの。

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・外国の人と、ぼくは、長い時間しゃべった経験も、

ないのですが、学生時代は英語は大好きでした。

小さい頃は、父が、外国の人とペンフレンドを作る(?)サークルに

いれてもらい、父に教えてもらって、返事を書きました。

英会話のクラブにはいったのですが、

やめてしまったことも、今では後悔しています。

外国の言葉を学ぶのは、難解な単語を文法を、

知っているということではなく、

生きた言葉、コミニュケーションを学ぶためのものだという認識に、

当時のぼくは、気付かなかったのですね…。




・もし、今、ぼくが、仮に他の言語を使う人に、

なにかを伝えたい時、

ぼくの、ボキャブラリーで、伝えられるかというと、

たぶん、無理だと思います。

そこで、やはり、重要になるのは、

表情や、しぐさ、声色、等の、言葉ではない部分だと思います。

そういう非言語的コミニュケーションがなければ、通じ合えません。



・同時に、おなじ日本語を使っている人達でも、

言葉だけに、頼っていると、

なかなか理解が進まない部分があるのかなぁと思う事があります。

ほんとうに、相手との理解をすすめるには、

言葉以上の、言葉ではない部分が重要かなぁと感じています。

お薬の説明をする時も、患者さんの表情やしぐさは、

よくみるように心がけています。



・極端な話だけれど、

外国の人に、言葉がなかなか伝わらない時ぐらい、

身近な人、仕事でも、

コミニュケーションに非言語を、重要視することは、

大切なんだと、ぼくは思うんだけど。

同じ日本語でも、他の言葉をしゃべってるくらいに、

通じ合えていない時も、時には、感じます。



・理解と共感は、言葉以上のものを、

必死で、伝えなければ、得られない…、そんな気がします。

スマートフォンや、メール、SNSが、一般化された今、

とても、それは、大切だと思うんです。

ぼくだけかも、しれないけれど。

確かに、便利なんだけどねー。


今日のハタマロ:部屋にグリーンをいれるのは、すごく癒されます。
植物って、面白いなぁ、なんて最近は感じています♪