hatamarog -16ページ目

上品なヌード。

寒くなると、あたためることを考える。

それは、ひとを、自分を、お互いに、

そんなことを、ふと、思うこの頃です。



ぼくは、古書マニアであります。

ネットで、マイナーだけど、

興味深い、古い書物が、やすく売られている。

送料込みで、文庫本ぐらいで、幸せになれる。

最近は、落語のまくらだけを、集めた本が面白かった、ほんと。

日本のお茶という文化の研究書も買った。

興味が、いろいろなんだよね。



写真集を眺めるのも好きです。

自然風景も好きだけど、

いわゆるアートのヌード写真集なんかは、

性のあらがいたい、不思議なものを掘り起こされて、

なんだか、不思議な気分になる。

最近、1960年代の、ドイツの写真家が撮った、

DASMODELという、モノクロと色彩の交互な、

ヌード写真集に、見入っています。

それは、女性の美、エロチシズム??なんかが、

凝縮されていて、実に、上品である。

上品だけど、そこには、女性の、なんだか、

得体のしれないものを、感じて、

不思議です。

週刊誌の袋とじが(最近は、よく知らんけど)

いかに、安っぽいかわかる。

でも、いかにアートとはいえども、

エロオヤジなんだろうなぁ、そうなんだけど。



今日は、シンプルに古城そばを、ゆでて、

そば湯を、飲んで、明日は仕事。

スパイスさんに教えてもらったんだけど、

本当に、下手なそば屋さんより美味しいです。

おいしいものを作る人は、おいしいものを、知っているんだね。

泳ぐ事と、考える事、心持ち。

最近、なるべく情報は最低限に、

って思っています。

あるいは、なにかを調べる時は、

やむおえずながらは、仕方ないにしても、

なるべく、自分の力で、想像し、考えをまとめてから、

ひとつの、線が見えてからにします。

あふれる情報に、振り回され、

疑問におもったことは、検索すれば、わかってしまう社会。



でも、大切な事は、

自分の中にあり、自分の中で、

想像し、物事を考える力が、元々、そなわっているはずです。

聞こえが良い、あるいは、多くの顔のみえない、責任をとろうともしない、

雑音は、消すべきだと思うようになりました。

答えは、他人でもなく、googleでもなく、テレビでもなく、

自分の心の声さ。



ぼくは、最近、週3回、1時間、庄内のプールで、

泳いでいます。

肉体を、痛み付け、そして、息つぎをして、

泳ぐ事によって、心と身体が、一体化します。

自分の中に、日々、たまる毒素が、

完全では、ないけれど、

泳ぐ事によって、抜かれていきます。

そして、フォームが崩れると、

自分の不完全さや、煩悩みたいなもんを、考えます。

食欲、物欲、性欲、自己中心、感謝の心への不義理、誰かを傷付けてしまった事。

人とは、なんて、不完全なんだろうと。

でも、その、不完全さを受け入れながら、直していくしか無いじゃない。

それが、人間のありようだもの。




健康の為に、がんばって自分のペースで泳いでいる年配の方を、

みると、ぼくは、微笑んでしまう、素敵だな。

自分の身体と心持ちを大切にしているんだなぁって、ぼくも、そうありたい。

週末も泳ぐ予定です。



寝る前は、iPhoneで落語を聴きます。

テレビは見ません。ネットは、古書調べと、ほぼ日、恵文社、ANOTHERLOUNGE、

Twitterを時々。Facebookは見ません。

泳いで、本を読んで(それは、医療書から、小説、ヌード写真集まで多岐にわたる)

仕事して、おいしいご飯を食べます。

36歳、独身ですが、まぁまぁです。

最近、オヤジギャグが笑ってしまうようになりました。

笑ったのは、

「今夜は射精しNight!!」

そうです、バカなんです(笑

つれづれ。

パンを、まるで本物のように書いた、木版画を予約した。
1つは、あんぱん。
1つは、クロワッサン。
薬局は、パン屋さんでも、カフェでもないけれど、
ふっくらしたお気持ちに、患者さんが、なれればいいなと感じた。
届いたら、待合室に飾る予定です。
イメージは、カラスのパン屋さんならぬ、薬剤師のパン屋さん(笑
カラスの薬局(これは、なんか怖いですね。)


一つは、自分用ですが、
部屋も、気持ちがふっくらすればいいな、との想い。
どちらを、選ぶかは、迷っています。
薬局の理念としては、あんぱん、かな。。
アンパンマンみたいな、薬局…。
自分は、どうかなって思うけどね。


高い出費ですが(車検もあり、携帯もかえたので。)
切り詰めていかねば。。

iPhoneに、したんだけど、
アドレス移行が、うまくいかなくて、
手入力にしたのですが、面倒で、
仕事関係と、家族だけ登録した。
で、なんの不自由もないというか、
まぁ、この歳になれば、電話なんて緊急時で、十分だなって思う。
なにかを、答えるのは、なにかと時間が、かかるものだ。
飛脚に、手紙を運んでもらうくらいが、距離感として、
いいんじゃないかと思ったりもします。

冬の間、母が温かい所で、静養することになりました、
大丈夫よ、
といっていたけれど、
いいいことなのか、良い事なのか。
でも、これだけ、一生懸命、ぼくたち、子供を心配し、育ててくれたんだもの、
羽をのばせば、いいじゃない、なんて答えておきました。
心配ですけどねー。

さて、松明祭り、秋は深まり、
ぼくは、冬物語を、飲みます。
冬が、はじまるよ♪
乾杯です。


どうでもいいことだけれど、
冬物語という漫画が、好きでした。
ハッピーエンドで、良かったんですが、
今、思うと、主人公が自分を見ているみたいで、イライラするんですよね。。
BOOKOFFに、いけば、たぶん、あります。

レベッカ・ブラウンの、「家庭の医学」というノンフィクションは、
母をみとる、親の闘病を、
シンプルに、綴られています。
素晴らしい本です。
この世に死は、さけられない、世の中では、何万分の一でも、
当事者にとっては、それは、一分の一です。
命は、たった、1つです、かけがえのないものだと感じます。

苦み甘み、あわれ。

・人の心を、食品成分表にしたら、どうなるでしょうか。

たぶん、ぼく自身は、歓迎されない、苦みみたいなもの、

本来なら、ないほうがいいもの、

弱さや、矛盾や、卑怯が、かなり含まれています。

そして、その成分も変化して、機嫌が悪くなったり、誰かに迷惑をかけたりします。

いろんな、人を傷つける間違いをしたりします。

多くの人が持っている、業みたいなもの。




・同時に、その中には、もちろん、甘みみたいな、純粋さや、良心や、

思いやりがあります。

どちらも、ヒトであって、そのひとそのものです。

捨てたものではないな、と思います。

でも、キャラメルフラペチーノみたいな、甘みばかりの、

自分になれるほど、ヒトは、甘くない。

大事なのは、自分の中にある、多くの成分の中で、

その「あわれ」さ、

甘み、苦み、時には、辛み、いろんな味を認め、

ヒトとしての悲しさを、

どれだけ、認識し、強くなっていき、

迷惑をかけずに、まっとうに、生きていく事ではないかなと思います。

と、偉そうなことを、いっているけれど、

ぼくは、その「あわれ」さに、

なかなか、打ちのめされながらも、

人生って、だから、色々なのだな…、

と、噛み締めています。

悲しい生き物だよ、ヒトって…。



・大人になって、ビールや、コーヒーのブラックの、苦みを、

おいしい、と思うのは、

やっぱり、「あわれ」みたいな苦みが、

わかるようになったからじゃないかな、

なんて、思ったりしてね。

強くならないとね。


・昨日、庄内のプールに、いきました。

ラーラ松本と違って、泳ぐ事にひたすら集中できました。

読書でいえば、静かな喫茶店で、本を読んでいるのと、

ファミレスでガヤガヤしている中で、本を読んでいるくらいの違い。

そこには、なにか、ワクワクするものがありました。

純粋な泳ぐ楽しみがある。

しばらく、ぼくは、泳ぎ続けようと思います。



追記:熊井明子さんの、「私の部屋のポプリ」
自分が生まれる1年前にでた本です。
もしかすると、自分の親も読んだ事があるかもしれないなぁ。
素敵なエッセイで、まったく、色褪せない♪

喜ばれると利益。

忘備録的に、いくつか書いていきますね。

ぼくは、気に入ったお店の人と、

話すのが好きです。

もちろん、商売ですから、

ある程度の線を引くのはもちろん、なのですが、

基本的にまっとうに、仕事をし、

お客さんに喜んで頂きたいという志を感じるお店、

丁寧なお仕事をされるお店は、

ぼく自身も、心地よい空間ですし、

なにより、自分も、

こういった仕事をしたい、という、刺激になります。

そういうわけで、買う、食べる、もてなされる、

の楽しみは、あるのですが、

元気や、あるいは、仕事への意欲を高められる、

良いインプットになるのです。



生きていく上では、商売というものは、

自分の意に反する事も、やむおえずあるかと思います。

でも、その誘惑にまけず、あるいは、咀嚼して、

まっとうに、丁寧に、やっていき、

そして、利益をあげる、

これは、素晴らしい事です。

喜ばれると、利益をあげるは、相反する事ではなく、

喜ばれるが、利益を生み、

利益が、喜ばれるにも、繫がる。



利益と喜ばれる、どちらもあって、

仕事が循環していくと思うのです。

それは、とても、大変なことですよね。

だから、素敵なお店って、すごい、かっこいいと思うんだ。

だって、利益をあげて、生活を成り立たせ、

なおかつ、人に、喜ばれてるんだもの。

そこしれぬ、苦労と孤独や、頭を抱える事も、多いんだろうけど、

もちろん、ぼくも、そこは追求していきたいです。

お金のことを、話すのは、あまり避ける事ですが、

そういう観点では、この2つは、大切なことですよね。


1つ気付いた事、休みの日、なじみのお店は疲れないのですが、

ぼくは、基本的に、3人以上の、

不特定多数と、しゃべると、

もう、クタクタに疲れてしまいます。

少し、不機嫌にもなります。

まぁ、いけないことなんだけど、

携帯ショップや、いろいろと、いって、

なんだか、昨日は疲れてしまいました。

元々が、社交的ではないのです。



最近は、山へ登りたいと思っています。

仕事用に、丸めがねを買いました、

もう、青年ではないので、素敵なおじさんに、

なりたいと思って、どうなることやら。。

ちょっと、疲れています。

啓示。

ゲリラ的に、書きます。

最近は、仕事に追われる毎日、
家に帰ったら、すぐ寝る。
体調にともかく、気をつける。
それでも、追いつかない事が、いっぱいです。
でも、多くの人がそうして生きている。
その中のわずかな、温かみや光を求めて、
生きている。

少年のような心や、感受性は大切だけれど、
多くは、それは冷凍しています。
感じやすいなぁと、思ったら、
少し、気をつけなければならない。
時に、その感じやすさは、
生きづらくさせるものだ。
クールに、生きていきたいものです。
時々、忘れられたポケットから、
こんにちは、ぐらいがいいのかな?

今日、任天堂の山内前社長が亡くなられた。
ぼくは、任天堂のファンで、
1つの時代の終わりを感じさせた。
現在の岩田社長の、ぼくは、大ファンであり、
理想の会社だと思っている。

ぼくが、人生で1ばんつらい時期、
任天堂はソニーにおされて、迷走していた、
同時に、プロ野球の55本という記録にならぶ選手が現れた。
自分の価値観や存在が、おかしくなっていた時期だった。

今年も、いろいろと、あった。
任天堂は、経営不振。
55本をヤクルトのバレンティンが破ろうとしていた。
それは、11年前を思い起こさせた。
ぼくは、今年は、自分という人間に対して、
信じられないというか、自分不信になっていた。
人間は、申し開きができないと、
逃げ場はない。



でも、もう、55本は破られた。
山内さんも、残念ながら、亡くなられた。

なにかの、啓示、そんな気がします。
1つの、そういう時期を、
抜けていく感じ。
そんな感じを汲み取りながら、
今後の人生を、考えていきたい。
切に、そう願っている。
どう、判断するかは、自分だけれど、
向き合っていきたい。
人は、深い孤独の中で、生き、
傷つけ、傷つけられ、転んで、風邪ひき、頭痛と、
痛みをあたえ、受け、
迷惑をかけ、かけられ、(ぼくは、かけることが多い。)
本当に、弱い存在である。
ぼくは、本当に、いれものとしては、
空っぽな存在だ。
自分の色がない。
ただ、思う。

なんだろう、なにかの啓示じゃないかと、
よく、しっかり考えなさい、
よく、深く考えなさい、
自分のした事、
誰かを傷つけた事、
ご迷惑をおかけした事、
責任という事、
これから、君はどうしたいの?
本当の自分は、どう、思ってるの?
それは、君の1つの、
曲がり角であり、転機なんだから…と。

深く考えたいと思う。
不完全で、考えが足りませんが、
まっとうに、物事を考え、
いろんな、自分のした事、
いいこと、少し。
傷つけた事、たくさん。
ご迷惑をおかけしたこと、たくさん。
それを、考えながら…。
孤独と向き合いながら、ぼくは、考えていく。

こういこと、書くと、
なんか、宗教はいったの?と言われそうですが、
魂というものが、もしあるならば、
自分の魂を大切に、汚れないように、
扱わなければならないし、
つまり、汚れるような生き方は、
たとえ、処世術が良くてもダメだし、
同時に、大切な人の魂も、
大切にしていかなければならない。
そんな風に考えている。
結局、自分は、かわいいんだけれど、
けれど、周りの人って、
大切であり、尊重し、
筋を通さなければなと、思う。



最近は、金曜日は、
山辺の寿司屋、兼スナック?で、ひとりで、飲んでいます。


しばらく、休ませて頂きます。

$hatamarog

hatamaroからの、ご挨拶です。


しばらく更新を、休ませて頂きます。

形を変えて、ブログを続けるか、
あるいは、辞めようかなと、
いろんなことを、考えましたが、
とりあえず、このままの形で、休止することにしました。

思い入れがあり、2011年6月から、
綴っていった、hatamarogですが、
少し、休む時期が、来たようです。

ぼくは、今、自分自身を、しっかり見つめ直してみたいのです。
今、この時間を。
今までは、こんな表現はどうかと、思うんだけど、
書く事で、セックスみたいな、楽しさや、共感がありました。
それが、いつしか、マスターベーションみたいなものに、
なっていることに、気付きました。
それは、書くだけ、書いて、
スッキリしたという、ひとりよがりなもの、
元々、そうだったかもしれないけど、
それが、誰かを傷つけ、あるいは、自己中心的なブログに、
なっているなと、感じたからです。



なにかを、書きたかったら、そこに共感がなければいけません。
あるいは、共感というものを、
ぼく自身、もう、少し考えていきたいと感じているのです。
それは、ぼく自身が、誰かの身になって、立場になって、
考えたり、相手の事を思いやる気持ちが、欠けている事を、
強く、感じたからです。
責任や、思いやりや、そんなものを、
自分の力で、物事を考える力を、想像力を、
もう1度、見直していきたい。
そんな、区切りの時期なのです。



書く事は、本当に楽しい。
だから、また、たぶん戻っては来るんだろうと思います。
どんな形にしても。
だから、もし、ブックマークしている方が、いたら、
そのままに、しておいてもらえたら、嬉しいです。
形としては、残しておきます。
もしかしたら、ふらふらと、書き始める事もあるかもしれないので。
連絡のない、友達のアドレスを、
メモリーに登録しておくと、ふと、
いいことが、あるようになると、いいんだけどな。(笑


Macのキーボードで、文を書き、
そこに、オリンパスペンで、写真を撮って、
推敲して、感じた事、思った事を、
書いて、意識的に、
プライベートは書かないを心情に、エッセイみたいにやってきました。
書く事は、たとえば、サーフィンが好きな先輩にとっての、波乗りみたいなものです。

facebookは、登録していますが、実は、あまり好きではなく、
見ることも、すくなく、Twitterで、連携しているのみです。
今後は、時々、Twitterで、つぶやくと思います。
@hatamaroです。
よろしくです。
よかったら、フォローリクエストくださいね。


では、では、
パワーアップして、戻ってきます。
今より、強く、タフな、大人に。
その時まで。。
元気で!!

I'LL BE BACK.

ただ、音楽はそこにあった。

昔の好きだった歌は、今の自分には、

価値観があわなくて、なかなか共感できないものです。

世の中の、嫌な部分や、多くの悲しみや、現実というものに、

あまりにも、多く接してきたかもしれません。



ふと、中学、高校と大好きだった、

槙原敬之さんを、聴きました。

なぜか、涙がでてしまいました。

それは、共感というものではなく、

ただ、まっすぐだった、自分が、思い返されたからです。



ただ、音楽はそこにあった。


今とは、質の違った、悲しみや、葛藤や、

誰かを想う、まっすぐさ、未来への希望。

思えば、青春の1つに槙原さんは、あった。

昔の歌は、今の失った自分を、思い出すためにあるかもしれません。

下駄箱にいれたラブレター。

元気だった母。

医者になりたいと、遊びもせず、深夜2時まで勉強していた中学時代。

受験の失敗。

いじめを受けていた事を隠していて、親には、見せなかった日々。



ただ、音楽(槙原敬之さんは、)そこにあった。

そこには、ネットも、携帯もない、おおらかな日々だった。

よけいな情報が、ないだけ、心穏やかな日々を過ごせた気がする。

ぼくだけかもだけど。



ただ、音楽はそこにあった。

聴いたとき、風景が浮かぶ。

青い自分、海のような地平線。



人は、変わる。

自分も、周りも変わる。

世の中も変わる。

それは、時の流れ、仕方がないことだと思う。


でも、音楽は形を変えても、

いつも、ぼくを、衣につつみ、変わらない自分も、変わらない風景も、また、

あるいは、思い起こしてくれる。



ぼくの、できる仕事が、できるだけ多くの人に、

ぼくの、行動が、

誰かを、傷つけず、損なう事無く、

そんな、音楽みたいな役割に少しでもなれれば、いいと思う。

心から、そう、思う。

そういう、人間になりたいと思う。

本当に、そう思う。

キューブラ・ロス。

人間は、業の深いものだと思います。

ぼく自身が、業が深く、

たとえ、どんなひとでも、

それを抱えているとしても、

ぼくには、少なくとも、いろんな業があります。



医師キューブラ・ロスの、「死ぬ瞬間」

これは、ずいぶん昔の本なんですが、今、読んでいるところです。

死んでいく人の心のケアについて、

実際に、末期がん患者さんに、触れた事を書いた本で、

医療従事者には、バイブルとなっています。

医療従事者が、向き合う、死というものに対して、興味深く読んでいます。



死の過程において、

ぼくは思うのですが、悔いのないようにするには、

意義深い人生にすることだと思います。

楽しくとも、つらくとも。

それは、他の人達を、助け、思いやる気持ちを持つ事。

他の人達を、傷つけ、迷惑をかけないこと。

それでも、過ちをおかしてしまう、弱い人間なのですが…。

そこは、本当の強さだと思います。

エゴは、いつも、襲って来る。

それに、打ち勝つ、



強くなりたい。



相手を痛みつける、あるいは、勝敗の強さではなく、

本当の強さは、負の感情、思いやりのないこころを、打ち払う強さ。

思いやりのない心、エゴを、一刀両断する強さ。

敵は、相手ではなく、自分の中にあるのだと感じます。




ぼくは、その観点から、いえば、

失格かもしれません。

ただ、ひとつ、その2点を、

常に思いながら、努力をしていくこと。

ひたすら、努力をしていくこと。

矛盾のある人間だけれど、

ぼくも、すこし、まっとうになれるんじゃないかという、

当たり前のことなのですが、

ようやく、そんなことを、考え始めました。




自分の健康。

ぼくらの仕事は、患者さんの健康に、

気遣う仕事なのですが、

自分自身のからだを、大事にしてなかったのかなぁ?

と思う事があります。

しっかり休んで、その方がむしろ、まわりに迷惑をかけません。

ぼくも、30半ばを、すぎて、

立派な中年。

しっかり、からだを、立て直そうと思います。

長期休暇が2度も頂き、

ご迷惑をおかけしました。

打撲、腎盂腎炎と、20代から続く…持病と、

次々と、身体のことについて、考える事がありました。

しっかり、自分のペースを、持っていきたいと思います。



最近は、民藝関連のことが、

面白くなっています。

良いモノ、デザインには、

いろいろと興味があるのですが、

日本、松本と多く関連ある、

民藝に関して、勉強していきたいなぁ、なんて思っています。

今まで、ほっておいた音楽も、

再開したい気持ちもありますが…、難しいかなぁ。。