彼らに優しい場所は、他の人間にも優しいはず

入口には本日のBGMの曲名と音量が掲示されています。 「本日:ボサノバ、音量1」 でも実際には、聞こえるか聞こえないかぐらいの音量です。 入る前に心の準備ができます。

照明は落とし気味。蛍光灯はありません。

部屋は中学生以上のエリアと、

小学生以下のエリアに分かれています。

 子供の声が苦手な方も、安心して食事ができます。

 

席と席の間には十分な距離があります。 

隣のテーブルの会話は聞こえてきません。

 

食器は木製。カトラリーも木製。

 つまり、音がしません。

 隣のテーブルからも、キッチンからも、

食器の音はほとんど聞こえません。

 

 

コーヒーメーカーなどは別室に設置されています。

 あの蒸気の音は、ここには届きません。

 

メニューは写真付きで、

料理の説明は具体的です。 

「シェフのおすすめ」

とだけ書いてあるメニューは存在しません。

 

 何が入っているか、どんな味か、全部書いてあります。

 

時間がかかる料理には、待ち時間が明記されています。 

「少々お時間をいただきます」ではありません。

「5分」なのか「20分」なのか、はっきり書いてあります。

 

店員さんは、こちらが手を上げるまで来ません。

 急かされることは、ありません。

 

テーブルにはデバイスは置いてありません。 

お会計もテーブルで完結します。 

レジに並ぶ必要はありません。


私がもしも億万長者だったら、

このレストランを開店しているかもしれません。

 

もちろん、美味しいことは必然ですが。

このレストランはASDの人だけのものにはならない気がします。

 

静かな場所が好きで、

電子音が苦手な方には「優しいところ」になるはず。

本を読み、静かに物思いに耽る隠れ家になると思うのです。

 

あの電子音に慣れすぎている私たちですが、もしもなければ

きっととても静かで、穏やかな時間が流れるはずです。

 

彼らに優しい場所は、他の人間にも優しい、

妄想をして、そう思いました

 

 

友達の「よかれ」と、

娘の「さびしい」がすれ違うとき。

 

「なんとなく」友達になる。「なんとなく」親しくなる。

 

多くの人が、人生の中で何気なく経験しているこの行為が、

娘たちにとっては、とても難しいミッションです。

 

先日、Hと車の中で「どうやったら人と仲良くなれるの?」

という話題になり、

私と娘で会話のシミュレーションをしてみました。

 

私:「今日、どうやって渋谷まで来たの?」

 娘:「車」

はい、おしまい。

 

これでは、会話は続きません。

会話はキャッチボールだと言いますが、まさにその通り。

相手にボールを投げ返す

「あなたは?」の一言が出てこないのです。

 

私たちは、相手に深い興味があるかどうかに関わらず、

雑談をします。

それは、犬同士がお互いのお尻をクンクンと嗅ぎ合って

相手を探る、あの行為に似ているのかもしれません。

 

相手がどんなルートで来たか、

その内容自体が重要なのではなく、その話し方や表情、

何に重きを置いて話す人なのか?を、

それとなく観察しているのです。

 

でも、Hにとって、その「それとなく」が一番難しい。

彼女の頭の中では、常に膨大な「かもしれない」が

渦巻いています。

 

相手の返事を予測し、

AからDまでのパターンを準備しておく。

でも、もし相手の答えが、予測していなかった「R」だったら?

その瞬間、頭はフリーズしてしまいます。

 

フランスのドラマ『アストリッドとラファエル』で、

主人公が電話をかける前に、

会話のシミュレーションを紙に書き出すシーンがあります。

 

でも、相手が予想外の返事をすると、パニックになって

電話を切ってしまう。

Hを見ていると、あの姿が重なります。

 

さらに、彼女を疲れさせるのは、

会話の内容だけではありません。

人が発する「音」そのものが、

彼女のエネルギーを奪っていきます。

だから、誰かと一緒にいる時には、こまめな休憩が必要です。

 

 

そして、ここに、切ないすれ違いが生まれます。

休憩中、周りの友人たちは、

きっと「今はそっとしておいてあげるのが優しさだ」

と考えてくれているはずです。

その「よかれ」と思っての気遣いが、

Hには「自分だけ仲間に入れない」という

「さびしい」気持ちに繋がってしまうのです。

 

彼女の心は、

年相応の時と、まるで小学校中学年の女の子のような時とを、

大きく揺れ動きます。

 

友人たちは、しっかり者で魅力的な

「凸」の部分を見て接してくれることが多い。

 

だからHも、その期待に応えようと、

必死に自分をカモフラージュします。

でも、その無理は、とてつもないエネルギーを消費し、

やがて彼女は無表情になり、反応できなくなってしまうのです。

 

 

この振れ幅の大きな彼女と、

軽口を叩き合いながら自然に付き合うのは、

相手にとっても、本当に難しいことだと思います。

 

「じゃあ、N(双子)との話し方を真似してみたらいいかな?」

そう思いついた彼女と、

もう一度シミュレーションをしてみました。

 

すると今度は、あまりにも正直で、

あまりにもストレートな言葉が飛び出してきます。

そんな言い方をされたら、相手はきっと引いてしまうでしょう。

 

 

凸凹も、揺れ動きも、すべて含めて「H」という一人の人間です。

そんな彼女のことを丸ごと見てくれて、

「お休みの日、一緒に過ごしたいな」と思ってくれる人が、

いつか現れたら。親として、それほど嬉しいことはありません。

 

 

 

 

コミュニケーションが苦手な娘が

講演会でお話し出来る訳

 

「コミュニケーションに課題があるのに、

どうして講演会ができるんですか?」

時々、そんな風に尋ねられることがあります。

 

親子で講演会をさせていただく時に

彼女は舞台上でスラスラと話しています。

 

確かに、娘のHにとって、

言葉のキャッチボールは簡単なことではありません。

 

ではなぜ、彼女は多くの人の前で、マイクを握り、

自分の言葉で語り、歌を届けることができるのでしょうか。

 

その答えの一つは、講演会が、

ある意味で「一方通行」だからです。

 

それは、芸術作品の創作に似ています。

彫刻家が誰かと相談しながら彫るでしょうか。

 

作曲家がアドバイスを受けながらメロディーを紡ぐでしょうか?

 

もちろん、そういうプロセスもありますが、

多くの芸術家は、誰とも話さず、

たった一人で山小屋にこもるようにして、

自分の内なる世界と向き合います。

 

Hにとって講演会は、その創作活動に近いのかもしれません。

準備したことを、自分のペースで、一方的に話す。

だから、できるんですね。

 

もちろん、その「一方通行」の舞台に立つまでには、

周到な準備があります。

 

まず、親子で何度か、話し合います。

「今回は、どんなことを伝えたい?」

「どういう言葉なら、Hの気持ちが一番伝わるかな?」と。

 

そして、参加される方々の情報も、できる限り掴んでおきます。私たちの話を何度も聞いてくださっている方なのか、

初めての方なのか。

 

当事者の方なのか、ご家族なのか、

それとも教育や支援の現場にいる方々なのか。

誰に届けたいのかを想像することで、

話す言葉は自ずと変わってきます。

 

そして、講演会で最も大切な時間。

それは、彼女が歌を歌うときです。

 

科学的にも、

歌うことには人の感情を解放する力があると言われています。

 

歌は、脳の記憶や感情を司る部分に直接働きかけ、

セロトニンやオキシトシンといった

「幸せホルモン」の分泌を促すそうです。

 

難しい理屈はわからなくても、私たちはその力を、

何度も目の当たりにしてきました。

 

Hが歌い始めると、会場の空気が変わります。

彼女の歌声は、まるでダムの門を開く鍵のように、

聴いている方々の心の扉をこじ開けていく感じがします。

 

堰を切ったように涙が溢れ出し、

ティッシュをハンドバックから出していらっしゃる方も。

 

それは、歌という非言語のコミュニケーションが、

理屈を超えて、魂を直接揺さぶる瞬間です。

 

講演が終わると、Hはホッとしたように、

ひたすら脱力しています。

 

あれだけのエネルギーを放出したのですから、当然です。

一方で、私はいつも通り。私は用意があってもなくても

大丈夫。

 

終演後は、

会場の出口で、お客様にご挨拶をする時間。

 

感想を直接伺えることは本当に嬉しいのですが、

次から次へと会話が始まるこの時間は、

残りのエネルギーがほとんどない彼女にとって、

とても大きな負担です。

 

でも、お客様に感謝したい。

感想を聞いてみたいという想いはあります。

でも「会話」は苦手なので

電池残量はどんどん減ります。

すべてが終わって車に乗ると、はああああああ

と空気が抜けた風船のような感じになります。

 

 

だから、どんなに小さな公演でも、終わった後は必ず

スタッフと「打ち上げ」をします。

 

そこで「今日の講演、本当に役に立ったね」

「あの歌で泣いている人がいらっしゃった」と、

感想を共有します。

 

自分にまだまだ自信がないHに

(自信を失う事が人生には多かった)

この時間は、ご褒美であり、

「また次もお役に立てたら、」と思える原動力になっています。

 

 

舞台の上も、舞台を降りた後も、

すべてが彼女の人生そのものです。

その姿を、これからも伝え続けていきたいと思います。

 

助けを必要としている人が、

もっと申請しやすいシステムになったらなあ

 

障害手帳をいただくこと、障害年金をいただくこと。

これらは、国が定めた制度であり、

私たちが必要な支援を受けるための大切な権利です。

 

でも、その権利を手にするまでの道のりは、

想像以上に険しいものでした。

 

申請には、膨大な時間と労力がかかります。

書類を集め、何度も窓口に足を運ぶ。ただでさえ日々の生活で手一杯な中、それだけで体力も気力も削られていきます。

 

(大震災が起きた時にも、救済措置を申請するのに

そんな話を耳にしました。)_

 

特に精神的な負担が大きいのは、

過去の記録を掘り起こす作業です。

 

「いつ、どこの病院にかかったのか」 

「その時、どんな状態だったのか」

 

申請のためには、できれば思い出したくもない記憶と向き合い、それを客観的な事実として

書類に書き起こさなければなりません。

 

精神・発達障害のケースでは、

「これは申請が必要な状態だ」

と気づくまでに何年もかかることが多く、

記憶は遠く、曖昧です。

 

 

やっとの思いでたどり着いた病院が、

すでに閉鎖されていたら?診療記録はもう、手に入りません。

 

Hの申請の時のことは、今でも忘れられません。

当時は年金事務所でしか手続きができず、

予約を取るだけで何週間も先になりました。

 

そして、詳細を書類に書き起こす作業の精神的な苦痛は

とても大きく、Hは事務所で2回倒れました。

 

今は、私が住む市では、

市役所でも手続きを扱ってくれるようになり、

本当に助かっています。

 

こうした変化は、確実に前進です。

私たちは、毎日を精一杯生きています。

 

子どものこと、仕事のこと、通院のこと。

それだけで、もう手一杯です。

そこに手続き、、ふううううう、、、

 

だからこそのお願いがあります。

申請の手続きを、もう少し、

私たちが動きやすい形にしていただけたら。

 

市役所での対応のように、身近な窓口で

相談できる場所が増えること。

 

書類の記入を、簡素化して、オンライン面談や

郵送で完結できる手続きが増えること。

 

文句を言いたいわけではありません。

ただ、助けを必要としている人が、

その申請の途中で疲れ果てて諦めてしまうことがないように。

 

そのための工夫を、

ぜひ考えていただけたらと思うのです。

 

ふと気づいたことがあります。

彼女たちがあちこち病院を転々としていた時、

マイナンバーがあって、医療情報と完全に連携されていたら、

申請の時に「いつ、どこの病院に行ったか」を

自分で思い出さなくても済んだのかもしれません。

 

閉鎖されてしまった病院の記録も、残り続けるかもしれない。

 

マイナンバーを提示するだけで、

係の方が代わりに病歴や診察履歴を記入できるようになる日が

来るかもしれない。

 

マイナンバーにはいい噂ばかりではありません。

でも、私たちのような当事者にとっては、

あの苦しかった申請の手間が、

相当省かれることになっていたかもしれない。

そう思うと、少しだけ、希望が見えてくる気がします。

 

制度は、確実に少しずつ変わっています。その変化を信じながら、今日もあーでもない、こーでもない、と

歩いていきたいと思います。

 

 

自分に言っちゃう!『素敵な娘たちを持ったね』

 

 

 

今日、娘のHが、鎌倉の道端にぺたんと座り込んで、

わんわん泣き始めました。

 

目の前に飛んできた虫を咄嗟に払った時、

かけていたメガネが手から滑り落ち、

コンクリートの上にカツン、と音を立ててしまったのです。

 

フレームの端に、ほんの小さな傷。

でも、彼女にとっては、

それが世界の終わりのような出来事でした。

 

頭ではわかっているのです。

物はいつか壊れるし、完璧なままではいられない、と。

でも、大好きなプーさんがついたそのメガネは、

彼女にとって宝物でした。

 

その宝物が、自分のせいで「完璧」ではなくなってしまった。

その事実が、彼女には耐えられなかったのです。

 

家に帰ってきても、Hはずっとメソメソしていました。

その姿を見ながら、

私は、この使い捨ての時代に、

これほど一つのものを大事にできる彼女の心を、

本当に素晴らしいと思いました。

 

完璧でなくなったことが、それだけ悲しい。

その純粋な気持ちは、

生きていく上では不便かもしれないけれど、

私たちが忘れてしまった何かを、思い出させてくれます。

 

 

そして今日、もう一つ、心を揺さぶられる出来事がありました。

Hがパニックになっている間、双子のNが、

静かにこう言ったのです。 

「落ち着くまで、私、待ってるから」と。

 

数年前までの彼女なら、考えられないことでした。

Hのパニックは、N自身のトラウマを呼び覚ます引き金でした。

彼女自身もパニックを起こしますが、

Nのパニックは外からはわかりにくいのです。

 

だから、まわりが「あなたは平気ね」と勘違いしてしまう。

だからHのパニックが顕著であることが

ある意味Nには辛い時期が長かったのです。

 

ですから、Hがパニックを起こした時には

その辛い時期を思い出してしまう。

Hの隣で、フラッシュバックに耐えながら

わざと関係ないそぶりをしていたものでした。

 

そのNが、今日は、ただ静かに、妹が落ち着くのを待っている。

完璧じゃなくなったメガネを抱きしめて泣く娘と、

その隣で静かに待つ娘。

 

素敵な娘たちを持ったな、と心から思います。

大変なことも多いけれど、

こういう日もある。

 

自分の大変と、娘たちの素敵さは

関係がない、、

 

こういう日はわかるのです。

自分がぱつぱつだとわからなくなります。