好きなことを仕事にしたい。

でも、 その環境が

「苦痛」だったら?

先日、娘が「言葉にならない」と涙を流した理由が、

時間が経ってわかりました。

 どうやら、自分の将来について

深く考えさせられる動画や出来事があったようです。

 

彼女が目指しているのは、演劇やミュージカルの世界。

それは、彼女が心から「やりたい」と願い、

そのために

技術を磨き続けてきた道です。

 

しかし、その道を究めようとすればするほど、

大きな壁が立ちはだかります。

ドーーーん、と大きな壁

 

 演劇やミュージカルは、多くの人々と関わり、

コミュニケーションを重ねながら、

一つの作品を創り上げていく共同作業です。

 

そして予定変更の嵐も吹き荒れます。

ゴーーーー!!!

 

それは、彼女にとって「苦手」という言葉では足りない、

ほとんど「苦痛」に近い環境。

え?この先どうなるの?が襲います。


 

ここに、魚と友達になりたいと願う青虫くんがいるとします。

でも青虫くんは水の中に入ったら溺れます。。

青虫くん。

 

そんな感じなのだと思います。

人は大好き、色々な方と知り合いになりたい。

だけど、、、

定型発達の人が何気なくつかっているスキルが彼女の中にない。

 

それほど定型発達の人々は自然に「とけこむ」「なかよくなる」

「共通項を何気なく探す」

を行っているわけです。

 

意識をせずに交わしている他愛のないやり取り。

「やあ」「ああ、どうしてた??」

なんて会話。

 

この技術を何気なく使っている我々は

実はすごいことをしているということです。

 

あちらにもこちらにも目を配り

耳をそばに立てて

適材適所に

コメントを残し合いの手を入れていく

ASDにとっては、魔法のようにみえるのだと思います。

 

あ、ちょっと話題がそれました。

さて、

娘が行きたい道は、自分が耐えられる環境とは

あまりにも大きく外れている——。 

そのどうしようもない事実に、彼女は改めて気づかされ、

心が大きく揺れたのでした。

 

青虫くんのやりたいことは、池の底にある。。

 

この話をすると、

「それなら、もっと向いている仕事を選べばいいのに」

と言う人もいらっしゃるかもしれません。

 

もし、娘が私と同じように、

一人で完結できる仕事(作曲など)を

「好き」になっていたなら。

もしかしたら、今のような苦しみを味わうことは

なかったのかもしれません。

 

でも、人の「好き」という気持ちは、

そんなに都合よくできてはいません。

 

その「好き」という圧倒的な衝動と、

「人と関わるのは好きだけど、

関わり方を考えて疲労してしまう」という現実。

 

 その板挟みで、彼女はもがいています。

 

彼女は、ミュージカルを愛してやまない。

そして劇中では、何を話そうか?と迷わなくてもいい

という安心が待っています。

セリフがきまっている!

なんて言おう、、って思わなくてもいいのです。

だから、劇中で、普段我々がしているような

コミュニケーションを楽しめるのですね。


「好きなことを仕事にする」という言葉は、

とても輝いて聞こえます。

 

でも、その好きなことを続けるために、

自分の魂を削るような苦痛を乗り越えなければ

ならないとしたら。

 

一番近いのは鶴の恩返しの鶴、、、そんな気がします。

自分の羽をもいで、美しい織物にする。

 

今はミュージカルのナンバーを、

理解あるウィーンで勉学を共にした友人と

理解あるピアニストと共に

コンサート形式でご披露しています。

 

英語とドイツ語で、そこは

耳の過敏さを武器にして母国語のように

海外で聴けるような言語でお届けしています。

 

いつか皆様にも聞いていただけたら

彼女にとって励みになると思います。はい!

 

と鶴の母ちゃんはおもうのでした。

鶴の母ちゃんを応援するよという方は

ぜひフォローをお願い致します。

 

 

 

 

 

 

 

「なんて言っていいかわからない」

——食卓で、泣き始めた娘

 

昨日の夕食の時間、Nはとても何か言いたそうにしていました。 でも、なかなか口に出すことができない。

私の手をぎゅっと握り、

「言葉にならないの。なんて言っていいかわからない」

と言いながら、

ただ静かに涙をこぼしていました。

 

これは、彼女が何かを強く経験し、

心が大きく揺さぶられた時に、時々現れる現象です。

 

彼女の頭の中では、感じたことや考えたことが、

まず「映像」として浮かぶのだと、

以前教えてくれました。

 

それは、具体的な風景かもしれないし、

「もやもや」や「キラキラ」といった、

もっと抽象的なイメージかもしれません。 

 

口から言葉として出てくるのは、

その映像を、なんとか言語に「翻訳」できたものだけなのです。

 

 

だから、心が大きく揺れた時、

そのイメージはあまりに複雑で、

豊かで、ぴったり合う言葉が見つからなくなる。

 

私たちも、日常生活で

「ええっと、なんて言ったらいいかな…」と、

言葉に詰まる瞬間はあります。

 

「さびしい」「むなしい」「せつない」——

どれもしっくりこない。 

 

「嬉しい」「楽しい」「ワクワクする」——

そのどれとも、少し違う。

 

でも多くの場合、私たちは会話のテンポを優先して、

一番近い言葉を選んで口にしてしまいます。

あるいは、「ヤバい」とか「すごい」といった、

便利な言葉で

感情を丸めてしまったりもします。

 

 

でも、彼女はそれをしません。

 自分の心の中にある、

あまりに繊細で、複雑な感情のグラデーションを、

ありのままに伝えようとする。

 

だから、ぴったりな言葉が見つからない時、

「言葉にならない」という状態になるのでしょう。

 

それは、感情が「ない」のではなく、

むしろ、ありすぎるほど豊かな感情が、

既存の言葉の器から溢れてしまっている状態ってこと?!

 

 

時が経ち、心の整理がついてから、

「あの時、言葉にならなかったのは、こういうことだったんだ」と、彼女が話してくれることもよくあります。

 その言葉はいつも、

驚くほど的確で、正直です。

 

 

昨夜、彼女の涙の理由を、

私は急かさずに待つことにしました。

言葉にならない思いを抱えながら、

それでも何とか伝えようと、私の手を握る娘。

 

その手から何かつたわってくるのを待ちます。

言葉が発達していく分

「感じる力」が弱くなっていく気がします。

きっと我々は遠くで何かが起きたら

感じることができるセンサー、

人が何かを思っているとわかるセンサーを

今でも持っているのだと思います。

 

宝の持ち腐れになったらもったいない!!

 

 

 

 

「いつか覚えるだろう」の勘違い——

私が今のうちに、教えておきたいこと。

 

私たちが人生を歩む中で、

いつの間にか「何となく」自然に覚えて生きていることは、

一体いくつあるのでしょう。

 

洗濯物がこの量なら、洗剤はこのくらい。

 賞味期限が少し過ぎていても、このぐらいなら大丈夫。

 銀行で口座を開くには、身分証と印鑑がいる。 

アパートを借りるには、保証人と初期費用などが必要になる。

 

 

大小取り混ぜて振り返ってみると、

娘たちに一つ一つを教える機会を、

ずっと先延ばしにしてきた気がします。

 

とほほ。。。

 

シングルマザーとしては、いろいろ大変でありまして……

というのが、私の言い訳であります。

 

そうこうしているうちに

「自然に見て覚えること」

が難しい彼女たちに対して

あれも、これも教えるべきことが目の前に溜まってしまって、

どこから手をつけていいのかわからないところまで

来てしまっている気がします。

 

自分自身が

どうやって生活の知恵を身につけてきたかを振り返ると、

愕然とします。 

 

「そんなに詳しく教えてもらった覚えがない」

——そうなのです。

親の背中を見て、気づいたら「何となくわかっていた」ことが、いかに多かったか。

 

 通用しないとわかっていながらも、

「このぐらいはきっと覚えてくれる」と

甘く見ていたのだと思います。

気づいた時には、教えるべきことが山積みになっていました。

 

それで、「私が元気なうちに、

教えられることは全て教えておこう」

と決心したのですが、現実はなかなか、うまくはいきません。

 

 

凸凹のある彼女たちですから、言い方によっては、

不安を煽りかねません。 

そして、もう一つ大きな理由があります。

 

それは、生活のほとんどが白黒ではなく、

グレーゾーンがあるということ。

 

彼女たちにとって、

規則に則っていることは、何よりの「安心」に繋がるのです。

 逆に言えば、

規則から外れることは「いけないこと」という認識になります。

 

決められた通りにやっている限り、

自分の行動の結果が「予測」できる。

そして少なくとも「悪いこと」にはならない。

その安心感が、

彼女たちには不可欠なのです。

 

いわゆる、自動車のハンドルの「遊び」の部分。

世の中は、その「遊び」や「曖昧さ」で溢れています。

教習所で習った通りに、

寸分違わず運転している人は、ほとんどいないでしょう。 

 

しかし彼女たちにとって、その「遊び」の限度はわかりません。

 

だから「決められた通り」が、

一番わかりやすいのです。

 

さらに、小さい頃に大人から言われた

「善悪」の記憶も、あまりにはっきりしています。

 

「良いこと」と「悪いこと」の二者択一で、

そこにグレーゾーンは一切存在しません。

 

ここに、私の大きな葛藤があります。

もし「洗濯物の量がこれなら、洗剤はキャップ一杯」

と教えたら、

彼女はきっと、どんな時も頑なにその量を守り続けるでしょう。

ちょっとでも多かったり少なかったりしたら、

液を元に戻そうとするのかなあ。。。

 

まあ、このぐらいってことで

良しとしよう、、これはありえません。

 

例外を受け入れることが、極端に難しい。

教えたらきっと、その通りに「のみ」実行することになる。

 

そう思うと、生活の知恵という名の

「曖昧なルール」を教えることに対して、

私はつい、二の足を踏んでしまうのです。

 

自立のために教えたい。でも、

融通のきかないルールで彼女たちを縛ってしまうのが、怖い。

 

親として、どうしたらいいのか。

今日もまた、試行錯誤です。

 

 

 

「私の子、心配だらけ」——口に出せない不安を、歌にのせて

 

🎵いつまでも いつまでも 手を取っていたい🎵

 私の子 私の子 心配だらけ

木の上に 木の上に お家が欲しい 

🎵その中で その中で 隣に座る🎵

 

これは、その昔、私が書いた歌の歌詞です。

今でも歌っています。

 

障害を持つ子どもの親は、将来に対しての尽きない不安を、

常に胸の内に抱えていると思います。

 

障害児のための施設へ演奏に伺うと、

そこにいる誰もが言葉には出さずとも同じことを考えています。

 

  「この子より先に旅立つ親として、一体、何ができるのだろう」

 

 

誰もが思っているけれど、

口にしたら、その重みに押しつぶされてしまいそうで、

言えないこと。 

 

人間は、あまりに悲しく、苦しすぎると、

その感情に蓋をしてしまう生き物なのかもしれません。

 

以前、所属していた事務所の企画で、

東日本大震災の被災地に

ピアノを寄付していた時期がありました。

 

ある保育園にピアノを届けに訪れた時、

園の先生から、あまりにもつらいお話を伺いました。

 

 あの日、津波が来る直前、

園児たちを迎えに来ることができた親たちは、

その子どもたちと共に、津波に流されてしまったのだと。

 

逆に、迎えに来られなかった家庭の子どもたちは、

先生たちが必死で裏山へおんぶして逃げ

、全員が無事だったのです。

 

 

「親御さんに渡すんじゃなかった」

 先生方は、そのことをずっと後悔し続けていました。

そして、、

あまりの出来事に、震災の後一度も泣いたことがなかった、と。

ご自宅にも帰らず子供達を守った先生たち。

でも全員を救いたかったとおっしゃっていました。

 

私はその場で、「返すんじゃなかった」という歌を作り

歌いました。

 

そんな直接的な歌、

一番触れてはいけない

扉の奥にある気持ちを歌うなんてこと

許されるのか?半信半疑でしたが、

「泣けない」ことは

辛いことに違いないと思い

 

先生方の、お気持ちを聞いたまま、

心のありのままを

歌にしました。

 

 歌を聴き終えた時、先生たちは一斉に泣き出しました。そして、こうおっしゃったのです。 「やっと、泣けた」

 

 

封印してしまった心。考えたくないけれど、

考えずにはいられない、大切で、そして怖い気持ち。

 

それは、

『 私たち親がいなくなったら、この子たちはどうなるの?』

 

 子どもより先に旅立つことが、

ほぼ決まっている親としては、

そのどうしようもない不安を抱えながら、

毎日子どもと向き合っています。

 

音楽には、強い意志でコントロールしている心を、

そっとほぐす役割があると、私はいつも信じています。

 

心配ですよ。そりゃ、心配です。

 この子のことを誰よりも理解しているのは、

自分たちだとわかっているから。

 

だからこそ、歌い続けます。

今も、訪問先でこの歌を歌います。

 

うまれたら うまれたら だれもだれでも

 しあわせに しあわせに なれますと神様

 

それならば それならば それを見てみたい

 いますぐと いますぐと いわないけれど

 

もしかして もしかして これがしあわせ 

こころから こころから おもう日もある

 

つかれれば つかれれば 泣く日もあって 

天あおぎ 天あおぎ うさぎに話す

 

あと少し あと少し 楽なじかんを 

のぞんでる のぞんでる 情けない日は

 

私なら 私なら できるからこそ 

いまここに いまここに つかわされたと

 

お日様に お日様に たしかめながら 

ほほ伝う ほほ伝う 涙かわかした

 

 

ASDの子を持つ親の疲れ、わかっちゃいるけど

 

発達障害のある子供と暮らすこと、

わからないことだらけです。

 

だからこそ専門家のサポートが必要なのですが、

24時間そばにいてくださるわけではないので

自分でもあれやこれや振り返って考えることも多くなります。

 

一人と住んでいても簡単ではありませんが、

この一年弱、Nも海外から帰国して二人となりました。

多勢に無勢と考えてもいいですし、

多様性がますます複雑になったとも言えます。

それぞれにしっかり違うので。

 

そして全員アーチスト気質

大変だあ。

 

はい、、、繰り返しますが

発達障害のある子供たちと暮らすこと、

これは自分が疲れないようにすることも大事なことだとわかっていますが、なかなか難しい問題ですね。

 

うまくいかないからこそ、

自分でもあれやこれや振り返って考えることも多くなります。

 

親として、一家のリーダーとして、どうしたらいいのか。

 

ASDの子を持つ親の疲れは、

予測できない出来事や感情の波に

常に備えていることから来ています。

これが心身に慢性的な負担をかけます。

 

雨がいつ降るかわからないから、

常に傘を持ち歩く——そんな毎日です。

 

曖昧な言葉を使わないように、

これも慢性的に気をつけています。

でも、特に仕事の後は、「ASDモードに切り替え」が必要で

その自覚をしないと、抜けてしまいやすく、

一大事になることもあります。

全力で言葉を選び続けることの難しさがあります。


親がどうしたらいいかを調べると、

「自分を責めない」「意識的に休む」「一人の時間を作る」などが出てきます。

わかっちゃいるけど、です。

 

 

ただ、自分を「まだまだ」と思っていると、

だんだん自分も落ち込み不安定になる。

それは彼女たちにもいいことではありません。

 

私が焦れば、彼女たちも焦る——

これは日常のあちこちで起きます。

 

1年ほど前に、うっかりスピード違反で車を止められた時のこと。私自身「うわ、やだなーー」と思っているその横で、

Hはもっと大きく崩れていきます。

 

助手席から降りて飛び跳ねて「どうしようどうしよう」と。

お巡りさんも「車道にでたら危ない」と制してくれますが

自分も動揺しながら、同時に彼女たちを落ち着かせる——

これが親の現実です。

 

何があってもどーんとしているよう、

これはかなり意識して心がけています。

でも

そしてここで忘れてはいけないことがあります。

疲れているのは、私だけではありません。

 

彼女たちも、私の脳に一生懸命合わせながら生きています。

母親のペースや言葉のニュアンスを、毎日毎日読み取ろうと

努力しているのです。

 

お互いに歩み寄りながら、

綱引きをしながら、

それでも一緒に暮らしているところが

きっと難儀なところなのでしょうね

 


私の場合、自分の首を絞めているのは、車を出すこと。

オーディションなど遠くへ行く時など

電車で何かがあったら辿り着けない——

それが十分考えられるので、つい「乗って行きなさい」

と言ってしまいます。

 

自立にはよろしくない。障害がなければ絶対に言いません。

でも、仕事の前の段階で憔悴してしまったら、

得意な分野を人様に見ていただくチャンスがなくなってしまう

 

これは彼女たちの選んだ職業と

ASDの特性が相容れない部分があるということでもあります。

 

やりたいことを見つけて、それで食べて行きたいという

技術を身につけても

本番までのハードルが高い

悩ましい。。。


そして私には、

17歳まで診断を受けずに育ててきたことへの罪悪感があります。

 

「面白い子」だと思って育ててきてしまった。

あの時にわかっていたら、

こんなに大変なことにはなっていなかったのではないか。

その後悔は、今も消えません。

 

その穴埋めをなんとなくしてしまっている気が、

自分でもします。

せめてクルマに乗っていけば、、とね。

 

私も歳を重ねてきて、

自分の時間の使い方をもう一度見直す時に来ています。

でも障害はなくなるわけではなく、

彼女たちも同じく歳を重ねながら、

「同年代なら当たり前にできること」でつまずき続けています。

 

我ら親子、ぶつかりながら進んでおります!!