四角い窓の向こうは、本当に四角い? 目標に届かなかった日に考えたこと

 

努力すれば報われる…とは、本当はどんなことなんでしょう。

 

 

4年に一度の舞台。 そこへ向かう人のゴールは、多くの人が

「メダル」を思い浮かべるかもしれません。 

 

「参加することに意義がある」とは言え、

行ったからには…と思うのが人間ですものね。

 

どんなにメダル候補から遠い位置での参加だとしても、

少しでも上へ、と思うのは当然です。

 

私はアスリートではありませんが、

一発勝負に向かう時の、あの独特の感覚は少しだけ分かります。

 

 舞台の上でのパフォーマンス、

時間や予算がない中でのレコーディング…。

 

失敗は許されない現場を何度も経験することで、

慣れてくることもあります。

いまでは、そこも魅力の一つだとおもって

楽しんでいます。

 

それでも

常に「確実」ではない恐ろしさは、そこにありました。

 

ちょっとでも脳裏に「ひっかかり」が生まれると、

途端にそこが自分の脳を引っ張るのです。 

 

「大丈夫か???私」って。

 

この十数日、それを見事に超えてゴールに行き着く人と、

なぜか行けなかった人の姿を見てきて、

思ったことがあります。

 

…四角い窓から見える向こうの景色は、四角い。 

…丸い窓から見える向こうの景色は、丸い。

 …六角形の窓から見える向こうの景色は、六角形。

 

でも、本当に向こう側にある景色は、

四角でも円でも六角形でもない。

 ただ、壮大な景色が広がっている。

 

つまり、自分が見たいと願う「窓の形」を通して見える景色は、その形に切り取られた一部でしかない、

そう感じました。

 

四角いゴールをゲットした人も、丸いゴールをゲットした人も、自分が思っていた形のゴールを取れなかった人も…

 

その向こう側には、大きな大きな景色が待っているんだと

伝えたいのです。

 

いままで生きてきて少しわかったことです。

 

私の娘たちも、それぞれ一つのゴールを目指して

頑張ってきました。 

私も、そのゴールを心から応援してきました。

 

でも、思わぬところでストップせざるを得ないことが

いくつも起きて、まだ着地ができずにいます。

 

そう、NはNの窓から見た景色が、HはHの窓から見た景色が、

そのまま彼女たちの脳裏にあります。

だからこそ、伝えたい。

 

向こう側には、もっと大きな景色もあなたを待っているんだよ、と。 ミラノオリンピックを見て、

改めてそう思った次第です。

 

あなたは今、どんな形の窓から、どんな景色を見ていますか?

 

 

発達障害の双子と共に〜

りくりゅうペアから学んだこと

 

 

『信頼ってなんですか?』

というアナウンサーからの質問に 

りくりゅうペアの三浦選手が答えました。

 

 「『落ちても僕が下敷きになる』、と

木原選手がいっぱい言葉をかけてくれたことが

信頼につながっている」と。

 

 

 信頼をすることの大切さを言語化している、そう思いました。

 

 言わなくてもわかる、、

それが日本の文化のいいところでもあります。

 でも、そんなことはわかってるだろうと、

彼が彼女に伝えていなかったら 

きっとこの絆はできていないと思ったのです。 

 

こんなことを言われたら、安心しますね。

 

 

そう、言語化は時に余計だとおもうこともありますが、

 相手との絆を構築する時には大事です。

 

特に私の場合、娘たちとの間には言葉が大事です。

 

 毎日「大好きだよ」と夫婦で言い合う欧米の文化を見て、

幼い頃、「へええ、、、」と物珍しく

テレビを見ていたことを思い出します。 

 

 

そして、その「あうん」とか「言わなくてもわかりあう」文化は我が娘たちにはないとわかってから、

口に出すこと、それが自然になっています。

まだまだ十分ではありませんが。

 

 彼女たちが自閉スペクトラム症とわかったのは、

17歳の時なので、

その時までは「はあ???」が多く起こっていました。

 

あれから16年がたち、いまではハグや、「大好き」

口に出すことがとても大事。 

言語化することで安心をするのですね。 

 

親子だからそのぐらいわかっているよね、、がない!!

つまり毎日「大好き」と言わないと、

「親は子供が大好き」ということが

心に落ちてこないということです。

 

 今日は好きでも明日は嫌いになっているかもしれない、、

彼女たちはそう思うらしい。

 

 これは1日1日丁寧に生きることにもつながりますね。

丁寧に声掛けをする。 

丁寧に、彼女たちの気持ちを見る。 

 

この気持ちを見ることが我が家ではとても重要です。 

そして、少しでも不安だらけの毎日を「安心」に変えることが

大事だと金メダリストの言葉をきいて思いました。

 

なぜ、彼女は「お片付け」ができなかったのか?「偽りの自分」を脱ぎ捨てた、ある日の会話。

 

「自分の凸凹が、自らを苦しめている」

 娘たちを見ていると、時々、そう感じることがあります。

 

彼女たちの中には、たくさんの「スイッチ」があるようです。 「ここは、こうしないと、自分がもっと辛くなる」

 そう感じた時、彼女たちは、そのスイッチを、切り替えます。

 

ありのまま、と、カモフラージュ

 

耐えられない事態に陥った時、

自分があたかも「耐えられる人」であるかのように、演じる。

 そうやって、窮地を脱するのです。

 

例えはわるいかもしれませんが、

森の、海の生き物が

色や形をかえて

周りから自分を守るみたいに。。。

 

 

親として、その「演技」を、見抜けるものでしょうか。 

おでこに「演技中」と、

サインでも出してくれればいいのですが、

現実は、そうはいきません。

 

 そして、もっと、胸が痛むのは、

彼女たちが、好きなこと、好きなもの、好きな服さえ、

「偽っている」ことがある、と知った時です。

 

 

◆「子供っぽい」という呪い

娘のHは、ずっと「子供っぽい」と言われることに、

深く、悩んできました。

 

「子供のままの心でいることは、素敵だね」

 世の中は、そう言う割には、

みんな、当たり前のように「大人」になっていきます。

 

 興味が変わり、話題が変わり、そして、

「他人の目」を気にして、「年相応」になっていく。

 

「これが好き」という、純粋な気持ちよりも、

 「これは、私に相応しいか?」

 「周りから、素敵に見えるか?」 

という、外部からの評価が、

いつしか、自分の「好み」になっていく。 

それが、多くの人が辿る「自然」な道なのかもしれません。

 

 

しかし、Hは、その「定型発達の自然」な流れの中で、

ずっと、葛藤を繰り返していました。 

 

「私は、これが好き。でも、大人気ない?」 

「似合わないものは、やめた方がいい? 」

「でも、これが、本当の本当は、、好きなんだ」

 

その、出口のない自問自答を、

何年も、何年も、一人で、続けていたらしいのです。

 

 

ある日、私は、彼女に尋ねました。 

「どうして、その、本当に好きな服を着て、外に行かないの?」

 

 

彼女は、ポツリと、こう言いました。 

「子供っぽい服だと、笑われたくないから」

 

人の、何気ない「笑い」は、時に、鋭い刃物のように、

人の心を、深く、傷つけてしまいますね。

 

◆「片付け」という、魔法の言葉

 

私は、彼女に、提案しました。 

「じゃあ、まず、家の中だけで、

思いっきり、好きな服を着てみようよ」 

そして、

「『本当は好きじゃないけど、なんとなく着ている服』に、

一度、さようなら、してみない?」 

 

「身の回りのものも、そうやって、『本当に好きなもの』だけに囲まれてみたらどうかな?」

 

 

彼女は、しばらく、ゆっくりと考えていました。

 そして、顔を上げて、こう言ったのです。

 

「…もしかして、それが、『片付ける』ってこと?」

その瞬間、私は、「そうか。。」

 

片付けるってなんでしょう。。

いきなり、私も考えることとなりました。

 

 

 

(昨日からの続き、、)片付けの意味

 

「子供っぽい」と笑われるのが怖かったH。

彼女が、ついに「お片付け」の意味を、

彼女なりの意味をゲットしたのかも。。。

 

 

昨日の記事では、娘のHが、

ずっと「子供っぽい」と言われることに、

悩み、本当に好きな服を着ることさえ、できずにいた、

というお話をしました。

 

「子供っぽい服だと、笑われたくないから」

その、切実な告白を受け、

私は、彼女に、こう提案したのでした。

 

 「じゃあ、まず、家の中だけで、

思いっきり、好きな服を着てみようよ」 

「そして、『本当は好きじゃないけど、なんとなく着ている服』に、一度、さようなら、してみない?」

 

 

彼女は、しばらく、ゆっくりと考えていました。 

 

「…もしかして、それが、『片付ける』ってこと?」

(そうか…長いこと彼女には

「片付け」の意味がわからなかったんだ…)

 

彼女は、続けます。 

「うん、それなら、わかる。『お片付け』の意味が、わかる」

 

彼女たちは「なぜ?」が多い。

世の中には、彼女たちには納得がいかないことで溢れています。

 

それはジェンダーだったり、国籍だったり

戦争だったり、それによる差別だったり、、

大きな問題もありますし、

 

本音と建前があること

笑って謝ること、同意していないのにうなづくこと

真面目な話の中に入る冗談、、などなどです。

 

幼い頃からずーーーっとそれは変わりません。

どうして?なぜ???

がいっぱいなので、

ずっと続いています。

 

ですから、、きっと「片付け」をなぜするか?に関しても

いままで納得していなかったのだと思います。

 

綺麗な方がきもちがいい

良い「気」がまわる

 

これら、

世の中でいわれている「片付けの意味」は

彼女にはピンと来ていなかったらしい、、

それがわかったことが大きな収穫でした。

 

自分がワクワクしないもの、好きだーって抱きしめることができないもの

これでいいか、、、と妥協するもの

などにさようならしよう

 

取捨選択、もう使わないから捨てる

これでは曖昧すぎた。

 

 

「子供っぽい」と笑われるのが嫌で、自分に嘘をついて、

身につけていた「偽りの鎧(よろい)」たちよ!!

 

バイバイなのだ。

 

これが彼女にとっての片付けの第一歩になったのは

うれしいことでした。

 

「片付け」が長年の、最大の

「苦手案件」ではなくなってたら、いいなあ。

 

一朝一夕には変身しないとおもいますが、

ゼロから1になるのは大事なこと。

 

その一歩には本人の「納得」が常に必要です。

今、彼女の部屋から「偽りの自分」が、消えていくといいな、

そして、それが

彼女自身のカモフラージュを解いていくと

嬉しいとおもっています。

 

長いこと、自分を「こうでならねばならぬ」としばってきて、

どうすることもできなくなり

身体的にも、精神的にも辛くなる、、

 

これは、

彼女たちが幼い時に

発達障害であるということを、私がわからなかったがゆえに

彼女たちの脳に適切な教育や言い方を

提供できなかった私の落ち度でもあります。

 

いま、また、あたらしい扉が開いて、よかったと思っています。

辛い経験から学んでる。

偉い。

 

 

 

 

発達障害の双子が

冬季オリンピックの選手だったら、、、

 

普段はあまりスポーツ番組をみませんが、、

今日はめずらしく3人でオリンピックのスピードスケートを

見ておりました。

 

テレビを見ながら、彼女たちは言いました。

「絶対無理だね、私たち。」

 

ここまで聞くと、あんな過酷な練習はできないとか、

運動はあそこまで得意じゃないとか、

そういうことかと思いますが、、

 

全然違うのです。

 

金メダルを取ったスケート選手

戦いを終えて仲間のところへ。

もちろん、みんなハグしたりとびついたり、

頭をたたいたり、、大騒ぎです。

 

それを見て、

勝ったからと言ってあんなに触られたら大変だ、

お願い触らないでって頼まなきゃ

はい、、ーー感覚過敏

 

応援している声や指笛をきいて、

これじゃ、歓声がうるさすぎて競技に専念できない

はい、、ーー聴覚過敏

 

そう考えると、ダメダメがいっぱい。

 

ピチッとしたボディスーツには、きっと、

窮屈ーーー!って叫ぶでしょう、、

ーー閉所は恐怖ーー

 

スタートの電子音には耳を塞ぎ、、

ーーあの手の音は苦手ーー

 

負けたら、

こんなはずじゃなかった、あんなに一生懸命やったのに、

みんな周りの人は大丈夫、勝てるって言ってたのに!

 

ーー人の言うこと、書いてあることを信じるーー

 

そして、、

 

行ったことがない場所だらけ

会ったことのない人だらけ

大勢の観客に

一人になる時間がない

 

 

あげればキリがないほど、向いていないと私も彼女たちに同感。

 

でもよく考えたら

今彼女たちが選んでいる職業も

相当環境としては向いていませんね。

 

選手になってたら、夢中になって、

叩かれても、騒がれても平気なんだろうか。。。

 

知らない場所、人はなんとかなっても

感覚に関しては、、、きっと

無理でしょうねえ

 

「うるさい」「いたい」「さわらないで」

静かに応援?

勝ってもハグしない?

肩もポンポンたたかない?

 

応援がむずかしい。。。