発達障害の双子が

冬季オリンピックの選手だったら、、、

 

普段はあまりスポーツ番組をみませんが、、

今日はめずらしく3人でオリンピックのスピードスケートを

見ておりました。

 

テレビを見ながら、彼女たちは言いました。

「絶対無理だね、私たち。」

 

ここまで聞くと、あんな過酷な練習はできないとか、

運動はあそこまで得意じゃないとか、

そういうことかと思いますが、、

 

全然違うのです。

 

金メダルを取ったスケート選手

戦いを終えて仲間のところへ。

もちろん、みんなハグしたりとびついたり、

頭をたたいたり、、大騒ぎです。

 

それを見て、

勝ったからと言ってあんなに触られたら大変だ、

お願い触らないでって頼まなきゃ

はい、、ーー感覚過敏

 

応援している声や指笛をきいて、

これじゃ、歓声がうるさすぎて競技に専念できない

はい、、ーー聴覚過敏

 

そう考えると、ダメダメがいっぱい。

 

ピチッとしたボディスーツには、きっと、

窮屈ーーー!って叫ぶでしょう、、

ーー閉所は恐怖ーー

 

スタートの電子音には耳を塞ぎ、、

ーーあの手の音は苦手ーー

 

負けたら、

こんなはずじゃなかった、あんなに一生懸命やったのに、

みんな周りの人は大丈夫、勝てるって言ってたのに!

 

ーー人の言うこと、書いてあることを信じるーー

 

そして、、

 

行ったことがない場所だらけ

会ったことのない人だらけ

大勢の観客に

一人になる時間がない

 

 

あげればキリがないほど、向いていないと私も彼女たちに同感。

 

でもよく考えたら

今彼女たちが選んでいる職業も

相当環境としては向いていませんね。

 

選手になってたら、夢中になって、

叩かれても、騒がれても平気なんだろうか。。。

 

知らない場所、人はなんとかなっても

感覚に関しては、、、きっと

無理でしょうねえ

 

「うるさい」「いたい」「さわらないで」

静かに応援?

勝ってもハグしない?

肩もポンポンたたかない?

 

応援がむずかしい。。。

 

 

 

 

 

ASDの娘たちは、、ポジティブになれないのかな。。。

 

「何事も、ついネガティブに考えてしまう…」 

 

あなたのお子さんや、

あなたの周りの大切な人が、

このように「最悪の事態」ばかりを口にして、

不安に苛まれている。。

 

「そんなことないよ、大丈夫っ!」と

励ましたくなる気持ち、ありますよね。

 

でも、本人の「性格」だけの問題ではないのかもしれません。

 

 

◆ポジティブになれない、脳の「仕組み」

 

なぜ、あんなにも未来を楽観的に考えられないんだろう。

 私もずっと不思議だったのですが、

少し調べてみて、ハッとしたことがあります。

 

どうやら、ASD(自閉スペクトラム症)の人が持つ

不安の強さには、「実行機能の弱さ」と

「想像力の偏り」が

関係あるらしいのです。

 

 

もちろん、私はお医者さんではないので、

難しいことは分かりません。 

でも、素人なりに「なるほど!」と思ったのが、

 

「実行機能(じっこうきのう)」と「想像力の偏り」という、

2つのキーワードでした。

 

 

1. 「実行機能」(そう呼ぶらしいです)が弱いらしい

 

これは、何か目標を達成するために、

計画を立てたり、

気持ちを切り替えたりする力のことだそうです。

 

 この力が弱いと、

たくさんの情報の中から「これは大事」「これは、まあ大丈夫」と見極めるのが、苦手になるんですって。

 

 だから、私たちから見れば「万が一」の小さなリスクも、

本人にとっては「いつ起きてもおかしくない」同じ重さの大きなリスクに感じられてしまう、ということのようです。

 

2. そして「想像力」にも、偏りがあるらしい

 

これは「空想が好き」とか、そういう話ではありません。

 むしろ逆で、物事の「全体」をぼんやりと捉えるのが苦手で、

どうしても、

一つひとつの「細かい部分」に

目が行ってしまう傾向のことだそうです。

 

英国のある研究者の方は、

これを「木を見て森を見ず」と表現したそうですが、

まさにそれ。 過去の失敗という一本の「木」が、

あまりにも鮮明に見えすぎて、

未来に広がる「森」全体が、

穏やかで安全かもしれない、とは、どうしても思えない。

 

「性格」ではなく、脳の「仕組み」が、そうさせている。

 そう考えたら、彼らがなぜあれほどまでに不安に苛まれるのか、少しだけ、その理由が見えてくる気がしました。

 

 

◆白線を踏んだだけで、「前科者」になる

 

我が家でも時々おきることですが、

ルール違反の大小が

すべて同じように見えている時があるとおもいます。

 

たとえば

仮に彼女たちが免許をもっていて、

路上の四角い枠の駐車スペースに

車を停めるとします。

 

そのスペースの白線にタイヤが少しだけ

かかった状態でも「ああ、空いててよかった。停められた!」

私だったら、こう考えます。 

 

「まあ、少ーーし先の上から出てるかなあ、

でも大丈夫だろう」

 

しかし、彼女たちの脳は、そうは考えないと思うのです。

 彼女たちの脳内では、瞬時に以下のような思考が、

超高速で駆け巡っている気がします。

  • 「白線を踏んでいるー駐車場の利用規約に違反している」
  • 「規約違反は、罰金の対象になるかもしれない」
  • 「もし、誰かに通報されたら?警察が来たら?」
  • 「これは『不正駐車』だあ」
  • 「一度、記録に残ったら、未来永劫、私は『ルールを守れない人間』としてレッテルを貼られちゃうかも。。」
これは想像の出来事ですが、
こういった不安とよく隣り合わせになります。
 

「規約違反」→「罰金」→「警察」→「前科」

というように、一直線に「最悪のシナリオ(=有罪判決)」へと、直結してしまう。

 

これは、「性格が悲観的」なのではありません。 

彼女たちが、あまりにも「正直」で、「正義感が強い」

 

そして、実行機能が弱く、

想像力に偏りが強い

そして、ネガティブバイアス(悪いことの方が記憶に残る)

のために起こる、必然的な苦悩なんですね。

 

親なら、彼女たちに

99、9パーセント起きない心配と共に

時間を過ごしてほしくないと思うのです。

 

一体私には、何ができるのか、、

「大丈夫!!」

は、全く功を奏しません。

 

どうしたらいいんだろう。。

 

私自身も、まだその完璧な「打開策」を見つけ出せずに、日々、試行錯誤を続けています。

 

でも、どこかに光が見える方法があったら嬉しいですよね。

 

これから、専門家の先生方の知恵を借りたり、

海外の研究を調べたりしながら、

その具体的なヒントを探していくつもりです。

 

そして、もし、どこかに「これだ!」と思える、いい打開策を見つけたら、このブログで、皆さんにご報告しますね。

 

 

発達障害の双子と共に〜「それ、間違ってる」

 


音楽家の秦万里子です。

33歳になるASD(自閉症スペクトラム)の双子の娘たちとの歩みを綴っています。
EテレのハートネットTV出演や「子どもを抱きしめたくなるコンサート」を通じ、障害児をはじめ、育児に寄り添うメッセージを届けています。

 

 

「それ、間違ってる」白黒つけたい娘と、

洋服もグレーが好きな私。

 

 

 

「正しいか、正しくないか」 「合っているか、合っていないか」 「本当か、嘘か」

 

世の中の多くのことを、この二者択一で判断する娘たち。

 一方で、「何事にも誤差はあるし、それこそが人間らしい」

と思って生きてきた、私。

 

この、まるで水と油のような娘たちとの価値観のすり合わせは、なかなかに、骨の折れる作業です。

 

例えば、車の運転中。 

よく助手席に座るHは、「人間交通法規」と化します。 

「今の、ちょっと線、踏んだよ」

 「制限速度、超えてる」

 

もちろん、彼女が正しい。

 

 運転は命に関わることですから、

私も「はい、承知しました」と、素直に受け入れます。

 

しかし、これが「食」のことになると、

少し厄介な問題が起こりがちです。 

 

そう、「賞味期限」の問題です。

 

もともと食に強い興味があるわけではない娘ですが、

もちろん好みはあります。

 彼女が好きそうなものを買っておいても、

期限までに食べきれないことがある。

いや、あることに気づかないことさえあります。

 

 

私にとっては、

「一日ぐらい過ぎても、大丈夫に決まっている」という感覚。

 

 「もったいない」という気持ちも手伝って、

冷蔵庫に残しておきます。 

 

「賞味期限が切れてるって?大丈夫、大丈夫!!

大丈夫でなければ、とっくに私は死んでいます」

というのが、私の長年の主張です。

 

 

しかし、彼女にとっては、

「期限が過ぎたもの=食べてはいけないもの」。 

その白黒は、絶対です。

 

だからといって、彼女がそれを自分で捨てることもしません。

 

相当長く冷蔵庫に残っていたものを

「これ、どうするの?」と彼女に聞くにも、

彼女なりの「質問を受けるタイミング」の見計らいが必要です。

 

 そうこうしているうちに、私が忘れてしまう…。

そんなことが、我が家では日常茶飯事です。

 

これは、あらゆることに通じます。 

仕事の「締切」もそう。 「もうダメだ」と諦める前に、

「少しだけ、相談してみようか」

という発想が、彼女にはありません。

 

「ダメ」と「大丈夫」の境界線が、どこにあるのか。

その見極めが、彼女にとっては、とてつもなく難しいのです。

 

私たち定型発達の人たちが、

経験と感覚で判断している「大丈夫」の範囲。 

 

それは、彼女たちから見れば、あまりに曖昧で、流動的で、

まるで手で水をすくおうとするくらい、

掴みどころのない、不安なもの、

ブラックボックスです。

 

 

その不安と戦いつつ、親はどんぶり勘定。

娘たちは、さぞ生きにくいだろうなとおもいます。

 

 そのことを忘れずに、今日もまた、

我々はお互いと向き合います。

 

「まあ、大丈夫!」この言葉ひとつとっても、

彼女たちには不可解でしょう。

 

「まあ、、って何?」ですよねええ。

 

そんな日常のお話を

また、当事者だからわかること、生でききにいらしてください

発達障害のこと、毎日のこと

超えてきたこと、励ましてくれた歌、ききたい

という方はぜひいらしてください。

 

 

 

 

 

 親の「つい、うっかり」が、

子供のコップの水を溢れさせる時

 

 

「常に寄り添うことが大事」

 頭では、痛いほどわかっているのです。 

それでも、ほんの少しの油断や、

自分の都合を優先してしまった時に、

取り返しのつかないことが起きてしまう。

 

今日は、そんな私の、情けない失敗談を、

自戒を込めて書きます。

 

朝から、

あちこち立ち寄らなければならない用事が、

いくつも重なっていました。

 

 道の混み具合や、駐車場の空き状況、

その時々で効率の良い順番を考えながら、

流動的に動く一日。

私にとっては、ごく当たり前の行為です。

 

 

しかし、ASDの娘たちにとって、

このような「予定の変更」は、

世界が崩れるような混乱(カオス)に繋がります。

 

そのため、彼女たちを車に乗せている時は、

必ず、事前に決めた通りの順番でしか行動しません。

 

だからこそ、今日のような日は、

彼女に家で過ごしてもらうのが、お互いにとって最善でした。

 

 体調が少し優れなかったこともあり、

一人で留守番をしてもらうことにしたのです。

彼女は一人での留守番が苦手です。

凸凹がいっぱいのH

 

こういう時には

小学校4年生の精神状態です。

 

用事や仕事を終えて、私が家に帰り着いた時

 一日中、私のそばにいない環境で過ごした彼女が、

どれだけのストレスを溜めていたか。

 私は、そのことに、

もっと深く思いを馳せるべきでした。

 

はい、水曜日はいつもなら

助手席に乗って都内を一緒に回っている日でした。

だから、彼女にとってイレギュラーな水曜日と

なったわけです。

 

しかし、私自身の心は、まだ外での用事の続き状態でした。

 

 彼女の張り詰めた空気よりも、

自分の「やるべきこと」が、心を占めてしまっておりました。

 

「よく頑張って、一人で留守番をしていたね」

その、たった一言を。 私は、かけるのを忘れていました。

 

その時です。 

テレビから、ごくありふれた、

「さあ、痩せましょう」というメッセージのCMが

流れてきました。

 

それが、引き金でした。

なぜ、CMごときで?と、思われるかもしれません。

 

 彼女は、広告やSNSで流れてくる情報を、

「事実」であり「絶対的なもの」だと、

強く信じてしまいます。

 

 

世の中にあふれる、

一方的な「こうあるべき」というメッセージ。

 多くの人が、何気なく受け流せるその言葉の一つひとつを

彼女は真正面から受け止め、

自分自身と比べてしまうのです。

 

 

あんなことも、こんなことも、

素敵な力をたくさん持っているのに。

 

 彼女は、自分に「足りない」と感じる部分ばかりに目を向け、

その心を、日々少しずつ、すり減らしてしまっている。

 

 

その、ギリギリの状態で張り詰めていた心のコップに、

テレビから流れてきたしつこいメッセージが、

「最後の一滴」として落ちたのです。

 突然の、大きなパニックでした。

 

原因は、私が彼女の頑張りを認めず、

一人で溜め込んだストレスに、

寄り添うことをしなかったからです。

 

 親の「つい、うっかり」が、

子供が必死で保っている心の均衡を、

いとも簡単に崩してしまう。

 

そのことを、またしても、痛感させられた一日でした。

 

皆さんは、ご自身の心に余裕がなくなった時、

どうやってご家族と向き合っていますか。 

もしよろしければ、皆さんの知恵を、

コメントでおしらせいただければ幸いです。

 

 

ASDの娘がお出かけの時の「耳のお守り」

 

 

 最重要任務は「耳」を守ること

彼女たちにとって、外出は、

いつどこで襲ってくるか分からない「音の攻撃」との戦いです。 その戦いに備えるため、

カバンの中には、状況に応じて使い分ける“4つの神器”が、

常に忍ばせてあります。

 

1.有線イヤフォン(最強の相棒)

遮音性が非常に高く、大好きな音楽に没頭できる、

まさに「最強の相棒」。

でも、有線なので、とっさの時にコードが絡まって

間に合わないのが弱点です。

 

2.ヘッドフォン(耳を覆ってくれる守護神) 

ノイズキャンセリング機能が優秀で、

見た目もスタイリッシュ。

でも、メガネのフレームとぶつかってしまい、

コンタクトレンズの日しか使えません。

雨の日もNG。使える日が限られる守護神です。

 

3.ワイヤレスイヤフォン(普段使いのエース) 

本来一番必要な、遮音性に劣りますが、、

、メガネの日でもサッと取り出して使える手軽さが魅力。

 

4.耳栓(最後の切り札) 

見た目はワイヤレスイヤフォンのようですが、

機能はただの「耳栓」。

しかし、その遮音性は抜群。音楽は聴けませんが、

いざという時に

騒音をシャットアウトしてくれる最後の切り札です。

ただ、これをしている時に食事をすると、

自分の咀嚼音が頭に響いて、

それはそれで大変なのだとか。

 

本当は、工事現場の騒音すら防げる「イヤーマフ」も

持ち歩きたい。

 でも、あまりにもかさばるので、

今は「耳栓」がその代わりを務めています。

 安心のための「充電マスト」

問題は、これらの神器を管理することの難しさです。

 ただでさえ、持ち物が一つでも見当たらなくなると

心がザワザワし、

状態がわるいとパニックになりやすい彼女。

 

4つの神器が、それぞれの定位置にないと、

家を出る前に大騒ぎになってしまいます。

それに加えて、

  • 話せなくなった時に意思を伝えるための iPad
  • 手放すことのできない スマートフォン
  • それら全てを支える モバイルバッテリー と、
  • 各種 充電ケーブル
  • 頓服薬と、それをすぐに飲むための お水
  • 体温調整が苦手なので、汗をかいた時のための着替え
  • もう一枚、寒くなった時のための上着
 
  • でも、彼女たちにとって、このたくさんの持ち物は、
  • 外の世界の「不確実性」から自分を守るための、
  • 一つひとつが大切な「お守り」なのです。

そのお守りを、どうすれば効率よく、

そして安全に持ち運べるか。 

そのための最適なバッグを探すことは、

今や、彼女にとって、

少しだけ「楽しみ」なミッションになっているようにも

見えます。

 

たくさんの条件をクリアする、

たった一つの完璧なバッグ。 

「これはどうかな?」「こっちの方がいいかな?」

 そうやって試行錯誤する姿を見ていると、

困難な状況の中でも「楽しみ」をなんとか見つけようとする、

人間の強さを感じずにはいられません。

 

そんな彼女の日常をお話しすることによって

普段の過ごし方から何かヒントをお持ち帰りいただけたら

そして社会との理解をふかめられたら

ご家族の気持ちと寄り添えることができたら

 

そんな気持ちで講演会をいたします。

質疑応答や

彼女をここまで勇気つけてくれた

歌もお届けいたします。

 

会場でお待ちしております。