はたいはるこのこんなところへいってきました

はたいはるこのこんなところへいってきました

自然、山 花 旅行 が好きです

興正寺を中心として築かれた富田林の地内町「じないまち」です。

寺内町と言うのは有力な寺院(御坊)の周辺に建設された町で町全体が寺の境内

と言う扱いになっている宗教自治都市です。京都興正寺の証秀上人がここを訪れ、

「荒芝地」を銭百貫目で購入、近隣四ケ村から有力者8人を集めて町づくりが行われました。

 

 

興正寺の「鐘楼」や「鼓楼」がそびえる風景が寺内町のシンボル的存在となっています。

 

 

 

格子状になった通りに沿って、多くの町家が建ち並びます。江戸時代に建てられた

土壁や堀割のある古民家がいくつも残っています。まるで異世界に来たような気分です。

 

明治時代の銀行を思わせる建物、眼科医院です。

 

 

寺内町の町中にあるさくら食堂にて「牛玉のお重箱」をいただきました。

 

寺内町は、江戸時代に幕府の直轄地となり、近くを流れる石川の水運、東高野街道、千早街道が

交差する陸運に恵まれて、商業の町として大いに発展し、特に酒造業が盛んで51職種

の店が軒を並べていました。文化の町としても発展をとげています。

杉山家は寺内町創設期からの旧家で「杉山長左衛門」を名乗り、富田林8人衆の一人として、

町の経営に関わってきました。代々造り酒屋を営んでいました。

 

 

 

 

 

 

 

 

神戸市立森林植物園は1940年に開館しました。摩耶山の西、再度山の北に位置し

総面積142.6haという広大な樹木植物園です。

 

入り口付近です。メタセコイアやカツラの木々が迎えてくれます。

高い樹木が多くあり、木陰は涼しいです。

 

 

メタセコイアとカツラの葉

 

 

神戸三ノ宮バスターミナルより、植物園行きのバスで40分。

住宅街を抜けるとヘアピンカーブです、どんどん山の中に入っていきます。

周りはモミジの大木が多くあり、紅葉のときにも来て見たいと思いました。

 

 

 

 

 

交野山は低山ですが侮れないアップダウンの多い山でした。

山頂の巨岩の上からは、京都市内から大阪平野まで360度の大パノラマを

楽しめます。まず京阪電車、枚方市駅で私市線に乗り換えて河内森で下車。

獅子窟寺を目指して歩きます。

 

 

急坂の参道を45分かけて獅子窟寺に到着しました。

このお寺は交野市にある高野山真言宗の寺院で役行者(えんのぎょうじゃ)が開山し、

聖武天皇の勅命を受けた行基が金剛般若窟の寺号で創建した歴史のあるお寺です。

本尊の薬師如来像は90㎝あまりの座像。カヤの木の一本造りで平安前期の仏像です。

獅子窟寺の名前の由来は、この付近は巨岩が多くその中に獅子の口に似た洞窟があり、

修行の場となっていたと言う。

 

 

 

野外活動センター内で自然林を歩きます。その中でミズバショウが咲いていました。

ラクウショウの沼です。気根がニョキニョキと酸素を取り入れています。

 

のどかな里山を歩きます。この先より登山道のアップダウンを繰り返して

交野山を目指します。

 

交野山に到着しました。

とってもしんどかったですが、ここに上がれてしんどさが吹っ飛びました。

  

  

帰りは下りのみです。足下に気をつけてゆっくり下ります。

階段に高低差があり、とってもきつかったです。何とかおりっきて織姫寺に到着。

街中を歩き、JR東西線の津田駅に着きました。

お疲れさまでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

今年は寒い日が多く桜の開花が遅れました。31日は殆ど堅い蕾みでした。

かわりに花ももが満開でした。4月5日に再チャレンジです。

まず石清水八幡宮にお参りです。

 

京阪電車にて石清水八幡宮下車。参道ケーブルで八幡宮山上駅へ。

 

 

石清水八幡宮 御社殿

平安初期、貞観元年 清和天皇の時代に行教和尚は豊前国宇佐八幡宮にこもり

日夜熱祷を捧げ、八幡大神より「吾れ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」

との神のお告げをこうむり、同年男山の峯に御神霊を御奉安したのが起源となる。

厄除け開運、家内安全、事業繁栄と「やわたのはちまんさん」として慕う人々の

お参りが絶えない。

 

 

上の三枚は3月31日撮影です。上、花もも と やっと咲きかけた桜

下の桜は4月5日撮影です 満開でした。

 

 

背割堤は京都府八幡市にある堤防で、宇治川と木津川の合流部に1.4㎞にわったて

二つの河川を区切るように桜の木が220本植わっています。

桜のトンネル 圧巻です。

 

 

 

 

いい香りに包まれて梅林の中に入って行きました。1000本もの紅梅、白梅が斜面に

咲き誇っています。ちょうど10時から法会がありました。

 

 

青空の中、梅を通して向こう側には宝塚市内や、六甲連山から甲山がが見渡せます。

 

 

さて、ここから奥の院を目指します。手すりのない橋を渡り、階段を登ります。

 

いつもの丁石を辿る観音道ではなく、右側の山道を登りました。

石ころや、階段は少なく登りやすかったです。

 

2㌔ほどの山道を1時間30分ほどで奥の院に到着しました。

大悲水と厄神誕生

15代応神天皇の御代に疫病が蔓延、応神天皇と政争に敗れた押熊皇子の祟りだと

恐れ、これを鎮めるため押熊皇子の墳墓へ使者を遣わせたところ、一羽の白鳥が

飛び出て来て大岩に降り立つと、そこから清らかな水が湧き出しました。

それ以来、疫病は治り押熊皇子の御霊は厄除神として大岩の窟に祀られ

湧き水は諸疫を祓う清水となり「大悲水」とよびました。日本で最初の厄神さまを

お祀りするようになりました。現在は震災のため清水は出なくなりました。