スイスの州立病院で看護師のフロリアは遅番勤務を受け持つ。人手が足りない職場環境は過酷で、その日はインターンの看護学生の指導も任されることになり、彼女のストレスは極限に達する…
人手不足と重責を担う看護師の姿が描かれる。医療知識や患者へのケアが必須となる反動でメンタルを苛む業務は、行動半径を狭めてしまい偏見が介入する。患者は入院という状況に納得できない。不機嫌が付きまとう人びとの苦しみにどう寄り添えるか、天使ではないひとりの勤務者としてトラブルが生じる度に怒りや悔恨を繰り返す。
偏見は理性ではコントロールできない。感情としてふと湧き上がるもの、でも差別は制御できる。言動というアウトプットを倫理でシャットダウンすればいい。レイシストはその理性が一部欠落している、しかしレイシストではない普通の人もうっかりその言動を止められないことが起きてしまう。"命の選択" はふとした誤った言動で判断を曇らせてしまう。そこにエッセンシャルワーカーの重責がのしかかる。
医療現場の終わりなき激務でも、ほんの少しの安らぎで医療従事者はなんとか明日の勤務に励む。その意は申し分ないが、ラストシーンは幻想的な要素よりもいばらの道を一歩前進する矜持を描いて欲しかった。私たちの命は限りあるゆえ、できる限りの医療はあるべき。終末期医療の是非に伴うアンサーは安易に見出せないが、新たな命、救われる命は見届けられる。共に育むこと、医療の本質がそこに潜んでいる。
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