「ありふれた教室」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

ある中学校に赴任した若手教師のカーラは、生徒たちとの交流を順調に育んでいた。校内で相次ぐ盗難事件、校長や同僚教師の強引な調査はカーラの教え子に容疑がかかってくる。ゼロ-トラレンス(寛容さよりも厳密に処罰する方式)な教育方針に反発を抱くカーラは、単独で犯人探しを始めて職員室で隠し撮りを仕掛ける。するとその動画にカーラの財布の中身を盗む瞬間が記録されていた。映像では腕しか映らない服装の特徴からある人物だと判断して詰問するカーラは逆に窮地に追いやられる…

 

教育現場における学校側の偏見や保身は、子供たちに不審を抱かせる。平等や尊厳はいかに多難な行動なのかを痛感する。やっかいな事に、偏見や保身は感情から派生するもので、発する当人に自覚が乏しい。気付かないうちに相手が傷ついたり心病んでしまう。そんなつもりは無いのに、という言い訳は相手に是非の判断を半強制的に促すきらいもある。矢継ぎ早に選択を迫られるカーラの苦悩は、本心をいかに相手に伝えられるか、大胆かつ繊細なスキルが求められる。

 

理想はある。しかし教師であれど短所は必ずある。他者を糾弾するのではなく人として優しさを育む過程に教育のあり方がある。舞台となる学校の指針 "ゼロ-トレランス" は正しい選択なのだろうか。追及よりも寛容、厳しさよりも対話からの理解が抜け落ちると、一人ひとりの尊厳は容易く崩壊する。指針によって受けた心の傷は果たして "しつけ" なのだろうか。

 

子供は大人の行動を見ている。最近の若い者は…とぼやく大人の方が青臭い。立派であれ、とは言わない。だって私も至らない面が多い、そして老いのせいか負の面が増えているかも知れぬと自省の日々となる。とはいえ、不祥事を起こしても隠す・逃げる・白を切る大人たちがのさばる社会はどうよ。この国の為政者こそゼロ-トレランスが必要なのではないか、と嘆く私は青臭い。

 

-----------------


ここまで読んで下さってありがとうございます。ブログランキングに参加しています。

もしよろしければ、↓下をクリックしてください。よろしくお願いします。

にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村