「コンパートメント No.6」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

寝台列車の6号室でたまたま居合わせた見知らぬ男女は、紆余曲折を経て何を感じ取るのか。理想と現実、陳腐な言葉だが、虚栄やトレンドで彩らないふたりの親愛がテーマとして和んでくる。

 

今作で描かれる恋愛は好きな相手を四六時中思い耽る胸キュンなトキメキではなく、普段は互いに粗が見えたり無骨な態度で嫌悪を抱くも時折親密になる瞬間の愛おしさにある。"好き" は100かゼロで見極めるような基本色ではなくグラデーションに織り込まれた鉱物の光沢のようなものなのだ。

 

背景となる厳しい自然もしかり、コントロールできない偶発性に生活の核心が付随している。綿密な予定を組んでいてもハプニングは起きる、準備万端と思っていてもうっかり忘れ物をする、想像していても実際の光景や人物は異なってしまう。その期待や想定の裏切りは決して悪いことではないし、落ち込んでしまっても後日失敗談としてむしろ享受できる。単なるポジティブ思考、楽観的じゃね、と勘ぐってもいい、しかし自然や人物は様々な角度で多様な顔を兼ね備えている。世の中に "絶対" は無い、あり得ない。好きという感情もまた絶対ではない、環境や言葉、振る舞いでいかようにも変化する。

 

だったら何が正しいのか、なんて愚問を捨ててしまおう。結果から振り返って、回り道だとしても決して無駄ではない。効率化は決して得をしていない。ここで主題となる恋愛は数値やデータで判断する言動は皆無で、そこに "快" "不快" が混在する。倫理とは異なる道程が "好き" という感情を抱かせる。少女マンガ的なトキメキも恋愛である、語弊があるかもしれないが、それは洗練されたマニュアルのようですぐに飽きてしまうのではないか。そんな受け身の姿勢ではなく、合理性とは程遠い営みに恋愛という心の豊かさは存在する。

 

その "心の持ちよう" に "成功" や "失敗" というジャッジ、ゲーム感覚を拡張したのが "ねるとん" や "ラブアタック" なる往年のTV番組であった。巷では出会い系を経てマッチングアプリ、まさに虚栄とトレンドのるつぼ。とはいえ、そんなイベント仕様を決して否定しない。恋愛は多様である、"こうでなければならない" は偏見に過ぎない。認めなかったものを認める "寛容" こそ大切である。今作で描く同性愛も、そのカテゴリ分けをしない、その人の感情を重んじる。この同性・異性の垣根を取っ払ったジェンダー意識に賛同する。

 

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