「Fleabag フリーバッグ」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

AmazonPrimeで配信されているドラマ。2シーズン(各シーズン6話)にて完結。シーズン2は先日の第77回ゴールデングローブ賞においてテレビ部門コメディ・ミュージカル作品賞を受賞。評判通り、群を抜いた完成度。

 

 

順を追ってシーズン1。こじらせ女子が主人公となるドラマは一つのジャンルとして確立されているが、「 GIRLS/ガールズ」のように、ままならぬ人生を他者のせいにする "こじらせ" ではなく、人を見下してしまう迷惑をかけてしまう自己嫌悪と矜持が混在した "こじらせ" を下劣に描いていく。

 

一見無軌道な女性として異性を翻弄する主人公、幸薄い姉 "クレア"、伴侶と死別した父親の後妻、三つ巴で嫌味対決する。仲が良くない家族は妙にリアル、なのに頻度高く会合しトラブルが起きる。付き合う彼氏達も微妙にウザいし、出来事やイベントは決まって厄介な展開へと転がっていく。ほんの少し周りと違えるモノサシだが世間と折り合いをつけようとする主人公に加勢したくなる。

 

共同経営者の友人を失って時折フラッシュバックする日常に奮闘する主人公、その転落と起因を明らかにする最終話のカラクリが見事な構成。全ての辻褄が合致するカタルシス、まさにロック精神を抱く主人公は解放されるのか、ラストシーンで私達は彼女の行く末を見届ける。脚本うまし。

 

 

そしてシーズン2。性に奔放な主人公と新米神父の愛を描く。

 

禁欲を誓う神父との間に立ちはだかる性欲の壁をどう乗り越えるのか、そして視聴者との "お約束事" をそこで乗り越えるのか、前シーズンから続投した企画・脚本・主演のフィービー・ウォーラー=ブリッジにしてやられてしまう。参りました。

 

シーズン2は新キャラの神父が物語の要。結婚式における彼の説法 "愛は恐ろしい、しかし愛する人を見つけた時希望が生まれる" その後のバス停における時間に例えた言葉 "すぐ忘れる"。どちらも説得力がある。欲言うならば、この対極した神父の心情の変化、恋愛よりも神を選択する過程・動機を丁寧に描くべき。これを丸ごとカットした編集のようで戸惑ってしまう。それでもシーズン2のラストは名場面、"これで最後" 主人公の姿が粋である。

 

タイトルの「フリーバッグ」これは "薄汚い格好をした人" "みすぼらしい人" を指している。実は彼女の名前は明かされない。誰も彼女を名前で呼ばない。一方、姉の名前 "クレア" はこれでもかと頻繁に出てくる。多忙なクレアの職場で出会う新たなパートナー男性も同名の "クレア"、最後は息子作曲のタイトル "クレアはどこ?" となるオチがつく。何故主人公は名前を呼ばれないのか?社会不適合気味な主人公は匿名ではなく、それを見ている私達のアナザーサイド、共感する主人公の側面を持っている事の暗示なのかもしれない。

 

卓越した才能の持ち主フィービー・ウォーラー=ブリッジ、春に公開する「007」の新作では脚本チームに参加する事に。「フリーバッグ」のファンだというボンド役のダニエル・クレイグが彼女を推挙した経緯が微笑ましい。フィービーのシニカルな笑いがスパイ映画にどう反映されるか、春公開が待ち遠しいよ。

 

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Fleabag フリーバッグ シーズン1 (字幕版)

 

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