「ブレードランナー 2049」 | やっぱり映画が好き

やっぱり映画が好き

正統派ではない映画論。
しかし邪道ではなく異端でもない。

【ネタバレ】あります。すみません、気を付けてください。

 

198X年、当時学生であった私は「ブレードランナー」というSF映画に心奪われた。主演のハリソン・フォードはハン・ソロやインディ博士とは違うキャラクターとなるデッカード捜査官という魅力ある役柄として描かれており、彼が活躍する舞台となる2019年のロスは日本文化等が反映された街並みにコレがカッコイイの代名詞として極東島国の島民の端くれとしてなんか誇りに思えたり、流行に乗っていたYMOのメンバー坂本龍一が作曲した「Broadway Boogie Woogie」という曲は実はハリソン・フォードとショーン・ヤングの台詞をサンプリングしたという情報を後に知って "やっぱ教授分かってはるわ〜" とミーハー気分で感心したり、この時代に台頭してきたサイバーパンクという言葉に魅かれて原作のフィリップ・K・ディックを読んで自分もカルチャーの先端に触れてるというこれまた浅はかな錯覚に見舞われていたり、とにかくこの作品が私にもたらした影響力は尋常ではなかったのだ。

 

故に続編がつくられるというニュースを素直に嬉しいというファンとしての歓喜と、否、できればこの企画は頓挫して欲しいなどと排他的な考えを持つ己の器量の狭さを自戒するといった交錯した心境を抱く次第となった私以外の信奉者は少なくないであろうと推測し、その新たなる物語の監督に名作「メッセージ」のドゥニ・ヴィルヌーヴが就任したという知らせは何より安堵感を覚え、かなり期待値を上げて "必ず観るよ" と空に向かって固い契りを交わした様態は第三者から見て "バカかこいつは" と呆れてしまうオメデタイ野郎に映ったことであろう。

 

しっかりと前作をリバイバル上映で復習して勇んで劇場に向かった私は周りとの温度差の有無を確認する術はなかったが、この中にも私と似た境遇の世代もいたに違いないと確信する。

 

ドゥニ監督がインタビューで述懐していた前作の "黒" とは対象に "白" を基調とした映像が冒頭の田園風景からして観客を圧倒する…ここから結構ネタバレするので未見の人は覚悟するよう忠告します。

 

表情を変えない主人公 "K"(ライアン・ゴズリング)は自分をレプリカントだと自覚している捜査官(ブレードランナー)であり、彼が冒頭の農家における場面で机上に置くブラスター(架空の拳銃)の重量感が主人公の身分を説明する映像表現としてグッとさせるのは、まるでファンの一人ひとりにこの世界観を再認識させる目配せのようだ。

 

この調子で書けば物語に沿って語っていく長文は避けられないので割愛する。正直映像として満足いくものであるが脚本としては喝采できない。それは魅力あるキャラクター設定をうまく消化できてない構成、レジスタンス集団やウォレス社の社長の活躍が尻すぼみとなっている。またデッカードの子供は果たしてそこに居て安全なのかい?すぐに素性ばれて周りから狙われへん?なんて疑念が残るラストやったし、前作といい今回もまたしかりデッカードって2回もレプリカントに命助けられて幸運な奴っちゃ、今回は出番少ないのに最後おいしいトコ取り、デッカードオンリーのシーンで締めくくるって、おいおい新たな主人公 "K" が可哀想やん、なんて屈折した同情が芽生えたりする。

 

ともあれ芸達者な役者が揃い、あの世界観を再構築した映像はまさしく続編であることはファンの一人として太鼓判を押すのだが、欲言えば作品の中での日本語の使われ方は "K" が検索するコンピューターのガイダンス音声ではなく、前作で登場した屋台の親父の姿はない食堂エリアにある自販機から「マイドアリ」「コレオマケシトクヨ」「フタツデジュウブンデスヨ」などと屋台の親父の声を模した音声であるべきだ、と少し虚しい気持になる己の過去は…あの80年代に青春を過ごした過去は果たして本物なのか、とサイバーパンクな妄想に浸るだけでもやはりこの作品の鑑賞価値は大いにあると太鼓判を押すのだが… "肯定" と "否定" 思考のループへと彷徨う。

 

---------------------------

ここまで読んで下さってありがとうございます。
ブログランキングに参加しています。もしよろしければ、
↓下をクリックしてください。よろしくお願いします。


にほんブログ村 映画ブログ 映画評論・レビューへ
にほんブログ村