とうとう小島センセについて書くことになりました。こんな日が来るとは。
予測は出来ても、もう少し後であってほしかった気がします。
以下は、正直言って私ごときが書くのは不遜に過ぎると思います。
しかし、小島センセについて書かないということはあり得ないので、書きます。
不満に思われるならバカにしていただいて結構です。
福岡県民として、小島センセは誇りです。
小島センセがいなかったら、麻雀が今みたいな感じで表に出てきていたかどうかわかりません。
(表に出ているかどうかは多少議論の余地があるにしても、「ゲームとしての麻雀」につながっていった点で)
小島センセがいてくださったことは大きいと思います。
私は11PMに間に合いませんでした。また、P連盟が出来て活動しだした時、私は牌に触れるだけで精一杯でした。
ですから、私から見た小島センセというのは、もはや高齢者となられてからの姿しかわかりません。
一度だけ、今はなき天神の「ピノキオ」(小島武夫プロデュースのお店)で囲んでいただきました。
摸打がゆっくりで、牌を打ってから指で上から牌を押さえて、ぐりっと牌の上下を合わせる小島センセでした。
正直、捨て牌が見にくかったです。
ゲーム内容がわかるレベルでなかった私ですから、どういうゲームだったかはわかりませんし、覚えていません。
結果としては小島センセが勝ちました。
ただ、
あと10年早く対戦したかったなーと思いました。
そんな状態の小島センセが、なおゲストとして飛び回らなければならなかったのが何故なのか、私にはわかりません。
いずれ同じ年齢になったらわかるのかもしれませんが、わかりません。
不満です。
しかし、
小島センセの代わりはいなかったと思います。
その一言に尽きると思います。
麻雀の「プロ」という形を作ってくださった一人だと思います。
だからこそ、
とても複雑な気持ちです。
ともあれ、
小島センセがいてくださって本当によかったと思います。
黄泉の国でもいろいろやっちらかしていただきたいと思います(笑)
小島センセ、ありがとうございました。