明けましておめでとうございます!
今年もよろしくお願いします!
って、もう20日を過ぎてるか…。
それにしても…
緊急事態宣言になってから
お客様のご来店もめっきり減り、
お店は閑散とした毎日が続いている。
ほぼお手上げ状態だ。
このままではいけない…
いま自分たちの手で
何かできることはないだろうか?…
店長の仁田とは空いた時間に
今後の対策を真剣に話し合っている…
というのはウソで、
暇なことをいいことに
一日中クダラナイ話に終始している。
あ、断っておくが、
これは接客の感覚を鈍らせない為の
私たちなりの訓練なのだ…
というのもウソで、
こんな時に気を紛らすには
オシャベリの垂れ流しが一番だ。
「それにしても感染者数減らないな。大体さ、前回の緊急事態宣言に比べて繁華街の人出が多いって言うけどさ、今回はオレたちみたいな店員も出勤してるんだから当たり前だよな」
「もしかしたら渋谷のスクランブル交差点に映ってる人の6割以上は、不要不急の買い物客じゃなくてショップ店員かもしれないっすよ」
「確かにな。テレワークも進んでないから電車もそんなに空いてないしなぁ…って、その中に自分も含まれているこのパラドックス…。飲食店も大変だろうけど、いっそのことウチも休業要請されて協力金貰えた方がマシかもな。このままじゃ蛇の生殺しだよ!」
「いやGM、前回のことを思えばやっぱり働いてる方が幸せですよ」
「・・・」
急にまともなことを言う仁田に
会話の梯子を外された私は、
変化球を投げてみた。
「それにしてもなぜ感染がここまで急拡大したのか? まだ誰も気づいていないオレ独自の説があるんだけど聞きたいか? ま、どっちにしても言うんだけどさ…。これはお前だけにこっそり教えるけど、オレの見立てでは“鬼滅の刃”の大ヒットが関係しているんだよ」
「え? それどういうことですか?」
「だって考えてもみろ。全国各地の映画館が、子供からお年寄りまで連日満員御礼になったらどうなるか? 火を見るより明らかじゃないか!」
「いや… それはどうっすかね…」
あえなく却下されたので、
次は仕事寄りの話題にしてみた。
「そういえば復刻された伝説のスタジャンだけど、せっかく店頭で限定販売できるようになったのに予想よりも勢いないなぁ…」
「そうっすよね。去年クラファンで限定100着の時は、たった一日で完売したのに…。やっぱコロナのせいっすかねぇ…」
「あ!分かった!
それは違うかもしれんぞ!」
その時私は閃いた。
この話をすれば形勢逆転になる…
と確信したのである。
「お前、風の時代って知ってるか?」
「風の時代? なんすか?それ…」
やはり仁田は知らない…。
「風の時代というのはな、いまだに干支と星座の区別がつかないオレにはよう分からんけど、とにかく西洋占星術の世界では2021年は時代の変わり目で、それまでの“地の時代”から“風の時代”の始まりなんだよ。“地”は文字通りモノや形あるもので、経済の象徴であり、“所有”することを求めた時代だ。一方の“風”は情報や知識など形のないもので、“持つ”ことから“知る”ことを求めていく時代で、価値観が大きく変わるんだよ。これはすでに現在のコロナ禍に於ける意識変革に表れているではないか!ウフフ…」
相手の知らないことを
勿体ぶって話す時ほど
気分がいいことはない…。
私の話を聞いて雷に打たれた仁田は、
いきなりタブレットを持ち出し
“風の時代”を検索し始めた。
実際に仁田が見たサイトには
こう書かれていた…
ボクの理想の社会じゃないですか!」
と言う仁田に
ホントかよ!と私は内心思ったが、
もちろん口にはしなかった。
メンドクサイ男の筆頭ともいえる
仁田の心を動かす話ができた自分に
軽く酔いしれながら、
「これからはきっといい時代になるぞ!」
と私は鷹揚に言い放ったのである。
すっかり気をよくした私は、
さらに話題を変えてみた。
「そういえば最近さ、
スゲー面白い雑誌を見つけたんだよ」
「どんな雑誌ですか?」
「“昭和40年男”っていう雑誌なんだけどさ、 昭和40年前後に生まれた男子が子供時代から憧れていたモノを時系列にまとめた雑誌でさ、オレなんか昭和39年生まれだからただ懐かしいだけでなく、当時の物欲を再燃させるんだよ!」
「へぇ、知らないっすね」
トミカビル、サンダーバード秘密基地、パーフェクトボーリング、野球盤、トランシーバー、ラジカセ、切手、デジタルウォッチ、ローラースケート、金属バット、グレコのギター、アディダスのウィンドブレーカーとエナメルバッグ…
いちいち挙げていったらキリがないが、どれもお小遣いでは買えないモノばかりだった。唯一買えたのは、象が踏んでも壊れない“アーム筆入れ”ぐらいだったか…。
特に当時小学生の私の心を鷲掴みにしたのは、「塀際の魔術師」と呼ばれた巨人の名レフト高田 繁選手が使っていたミズノの青いグローブ…
「グローブはまだ分かりますけど、なんなんすか? この自転車は!」
「アホ!お前にはこのカッコ良さが分からないのか!これは菅原文太のデコトラに匹敵するぞ!」
「こんな自転車、恥ずかしくて乗れないっすよ!」
「さすがにオレだって今は乗れないよ。そもそも欲しくても売ってないしな。でもな、当時の男の子からみれば近未来的で垂涎の乗り物だったんだよ。ハンドルにはウインカーと警報音のスイッチが付いててさ、しかも手元には5段変速機のレバーがあって、さらに荷台の後ろには赤やオレンジに光るゴージャスな電装パーツが付いててさ、とにかくクールだったんだよ。当時5万円近くしたんだぜ」
「え!そんなに高かったんすか?」
「そうだよ。当時の貨幣価値からすれば、今の電動アシスト付き自転車より高かったかもな。だから誰でも買える自転車じゃなかったんだよ。オレなんかお母さんに“勉強もするし、お手伝いもするから” と何度も口説いてやっと買ってもらったからな。しかもオレのはオプションでスピードメーターまで付けちゃってブイブイいわせてたんだよ。でもさ、車体がとにかく重くて小学生の脚力だと必死こいて立ち漕ぎしてもせいぜい時速25キロが限界でさ。当時オレは千葉県の流山に住んでたんだけど、一度調子こいて “およげ!たいやきくん” を口ずさみながら、一人で江戸川の土手を走ってたら、いつの間にか松戸まで来ちゃっててさ。どうせなら友達に自慢しようと思って、よせばいいのにそのまま柏まで行っちゃったらもう体力の限界でスゲー心細くなっちゃってさ。交番に駆け込んで自ら保護されようかと本気で迷ったぐらいだよ。あれはオレが人生で初めて味わったスタンド・バイ・ミー体験だな」
「・・・」
「嗚呼、懐かしい!
やっぱ物欲っていいよな!
明日への夢と活力が涌くよ!」
「それって、
完全に“地の時代”じゃないですか!」
「・・・」
あ、そうそう。
この“昭和40年男”という雑誌には、
学生時代に憧れだった
メンズビギのスタジャンも
しっかり掲載されているのだ…。
……………………………………………………………………………
昭和40年男世代が恵まれていたのは、
70年代後半から80年代にかけての
百花繚乱のキラキラ洋楽ポップシーン
とともに過ごせたことでもある…
「M - Pop muzic」
……………………………………………………………………………
コチラも読んでネ❗️

