久しぶりの投稿になってしまったのには
ワケがある。
私が以前から敬愛して止まない方が
先日お亡くなりになり、
喪に服していたからだ。
ここでお名前を言って
いいものかどうか分からないが、
その方とは松阪熊吾(くまご)さん。
南宇和(愛媛県)出身で享年71歳だった。
私が熊吾さんに初めて出会ったのは、
10年ほど前だ。
大阪での生活が長いにもかかわらず、
故郷の伊予弁がいつまでたっても抜けない
豪胆で情に厚い熊吾さんを
私はいっぺんで好きになった…
あ、
これ以上書いてると、
あとで辻褄が合わなくなるので
そろそろ断っておくが、
松阪熊吾とは作家・宮本輝の大河小説
「流転の海」の主人公である。
エヘヘ…。
たかが小説の主人公が死んだぐらいで…
と思われるだろうが、
私にとっては決して大袈裟ではないのだ。
作家・宮本輝のことは
もちろん昔から知っていたが、
私が初めてちゃんと読んだ著作は、
2009年に刊行された「骸骨ビルの庭」。
仕事帰りに立ち寄った
当時横浜駅東口地下街にあった「丸善」で
たまたま見かけたその本の
一風変わったタイトルに、
私の目は釘付けになったのだ。
これは何かある…
私の直感は当たった。
それ以来私は、
宮本輝の本を貪るように読み漁った。
いつしか私は宮本輝を“テル先生”と呼び、
村上春樹の“ハルキスト”よろしく、
自分を“テルリスト”と
勝手に自負するようになったが、
なんだかテロリストみたいなので
“テルラー”に変更した。
どっちでもいいけど…。
自分にとって良い本や作家との
出逢いというのは、
その時の精神レベルや興味や年齢、
それまでの経験や知識や環境によって
かなり左右されるような気がする。
私には宮本輝の作品のどれもが
深く胸に突き刺さり、
人生の指針とさえ感じるようになった。
そんな中でも「流転の海」は特別だった。
世の中にこんなに面白い小説があったのか…
「流転の海」は執筆開始から終了まで
実に36年に及ぶ自伝的長編連作で、
第1部から第9部まで構成された
この物語は、
宮本自身の父をモデルとした
松阪熊吾の後半生が描かれている。
『明治生まれで戦前から自動車部品の輸出業を営み、才覚を発揮した熊吾は時流を読む眼力に長け、人情にもあつい。大阪にある茶屋の仲居として働く苦労人の房枝と結婚し、昭和22年に思いもよらぬ子宝、ひとり息子の伸仁を授かった。この時、熊吾はすでに50歳。あまりに病弱な乳飲み子に対し“お前が二十歳になるまでは絶対に死なんけんのう”と熊吾は誓う。
しかし、一家3人は時代の荒波に容赦なくのみ込まれていく。終戦直後の大阪の闇市、熊吾の故郷である四国、再起をかけた北陸富山、そして再び大阪と、一家は流転を重ねていくが…』
私がこの小説を読み始めた頃は
すでに刊行された作品を
後追いするだけでよかったが、
第6部以降はリアルタイムで
しかも数年に一度刊行されるのを
ひたすら待つのみ…。
最初のうちは次の新刊がいつ出るのか、
楽しみで楽しみでしょうがなかったが、
完結編が近づくうち次第に距離を置き、
あえて新刊情報を遮断するようになった。
それは読むのがもったいないのと、
終わってしまう寂しさを
少しでも先延ばしにしたかったからだ。
あまりに感情移入し過ぎたせいか、
私にとってこの小説は
もはや虚構と現実の境目が曖昧となり、
松阪家族が他人とは思えなくなったのだ。
日常会話の中でも
『そういえば熊吾がさ、
このあいだこんなこと言ってた…』
などと突然言い出す私を、
『クマゴって、誰?…』
と妻はよく気味悪がっていたぐらいだ。
さて、たまたま何かのきっかけで
完結編「野の春~流転の海第9部」が
すでに2018年10月に刊行されていたのを
私が知ったのが先月末のことだった。
実に1年3ヶ月もの先延ばしに
私は成功したことになる。
知ってしまったからにはすぐに読みたい。
一気に読まないことを自分に課し、
毎晩就寝前に少しずつ、少しずつ、
噛み締めるように読むこと2週間…。
さらに熊吾の最期のシーンで放心し、
当然のことながら喪に服して1週間…。
その間、こんな偉大な小説に比して
あまりにもクダラナイ自分のブログを
書く気が全く起こらなかったのは、
自然の成り行きと言えよう…。はあ?
それにしてもこの小説は、
いくら長いとはいえ、
登場人物が1200人を超えるという
(登場動物?を入れるともっとだが…)
前代未聞の物語だが、
その人物像(動物像?も…)を
ほとんど覚えているから
これまた不思議である。
ちょっとしたシーンや
数行だけ出てくる人物でさえ、
記憶に残る描き方が為されているからだ。
そしてたくさんの人生が交錯するわりに
とても分かりやすくて読みやすい。
主人公の松阪熊吾という男は、
決して聖人ではない。
妻に暴力を振るうこともあれば
女グセも悪く、
今の時代なら完全にアウトだ。
しかし、豪胆と我が儘、善意と理不尽、
無邪気と先見性を内包しながら、
人と真剣に向き合うことに長けた
稀にみる魅力を湛えた男だ。
熊吾はとにかくたくさんの人と関わる。
しかも手加減せず関わるから
ある者には思いっ切り裏切られたり、
またある者は一生恩に報いてくれたり…。
そしてどんな不幸や死に直面しても
いつも雄々しく凛々しい。
人が生きていくということは…
そして死ぬということは…
こういうことだと、
さりげなく次々と描かれている。
さらにこの小説の読みどころは、
戦前戦後の昭和における
エポックメイキングな出来事に対する
市井の人々の生活を
生き生きと克明に描いており、
さしずめ昭和の風俗史や経済史の側面も
この小説は持ち合わせている。
そして熊吾の世相への洞察力の鋭さ…。
スゴい。スゴすぎる小説だ。
熊吾の後半生は、
ひとり息子の伸仁への深い愛情が
支えになっていることがヒシヒシと伝わる。
なにがどうなろうと、
たいしたことはありゃせん
自尊心よりも大切なものを持って
生きにゃいけん
お天道さまばかり追いかけるなよ
熊吾が伊予弁で息子を諭す言葉の数々は、
そのまま私自身に投げかけられた
金言でもある。
ところで宮本作品の多くが
ドラマや映画になっているが、
「流転の海」だけはやめて欲しい…
といってもすでに第1部は
森繁久彌主演の映画があるが…。
この作品には、
読者それぞれの思いが詰まっている。
映像化できない小説があっても
それはそれでいいではないか…。
あ~あ、喪が明けたのをいいことに
独りよがりな話を
ダラダラ書いてしまったが、
これは小説ではなくブログだからいいのだ。
エヘヘ…。
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熊吾の後半生は没落の話でもある。
転がる石のように…
でも、それはそれで豊潤な人生なのだ。
「Bob Dylan」
“Like A Rolling Stone”
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メンズビギ 横浜店 GMより
コチラも見てネ❗️

