”怒る”と”叱る”の理想型は「お母さん」
出会いと別れの季節もそろそろ落ち着き
期待や不安を胸に、毎日を過ごしている方も
多いことと思います
自分も学生や社会人になったばかりのころは
いい意味でも悪い意味でも「ドキドキ」しながら
毎日をすごしていました。
今でも毎日を新鮮な気持ちで過ごしているつもりではいますが(^_^;)
と、前置きはこのくらいにして
社会人になると、色々な仕事を覚えなくていけません
時には間違ったり、会社やお客様に迷惑をかけてしまうこともあります
人間、完璧な人はいないのでミスは100%は防げません
でもちょっとした確認漏れや伝達漏れなど
「防げるミス」もあります
防げないミスは「ヒューマンエラー」ですが
「防げるミス」をいかに防いでいくことが出来るか
そしてまたミスをしてしまったときに
どのような気持ちで対処していくか、
またそして、どのようにしてミスが起こったかを
冷静に考えられるかどうかによって
以後のミスの「度合い」が変わってきますよね
ミスをすれば当然、「怒られる」か「叱られます」
「怒る」と「叱る」は同じような意味に思えて
全く意味合いが違います
「怒る」は不満や不快な気持ちが募って我慢できずに
自分の感情をただぶつけて自己のストレスを
発散してしまうことです
それに対し、 「叱る」は自分の感情ではなく、
相手の成長を考えながら、
相手がしてしまった失敗を認めさせ
間違いを理解させることです。
つまり「怒る」と違って「愛」があります
自分が注意される場合には
上手に「叱ってくれる」上司に
付いていこうと考えます
頭ごなしに「怒られたら」
反省するよりも、自分も感情的に
捉えてしまうために「不満」が募り
その場しのぎの「謝罪」しかせずに
以後も同様のミスを犯してしまうような気がします
自分が注意する場合には理想型としては
「上手に叱る」ことですが、
つい、事態を収拾する手間などを考えてしまい
一方的に感情をぶつけて「怒って」しまいがちになるので
自分でも反省しなければなと思っています
色々な会社や、今までにあってきた「社会人」としての
「上司」を見てきたとき、ふとあることに気づきました
いい上司はやはり「叱り上手」でその方法は
一つの特徴があるような気がします
「親が子を思うように」叱っていることです
会社の上下関係は言い換えれば
会社という名の血でつながれた
「親子」のようなものです
それなので必然的に、叱り上手の理想型は
身近にいる「親」とも言えるかもしれません
自分の子供が少しでも良い方向へ向いて
生きていって欲しいという
「愛情」を持って「叱る」
自分も親の端くれですが
時には「感情的に怒ってしまう」こともありますが
やはり子供には「諭して叱る」ようにしています
ただ会社の中でそれが実践できているかどうかは
あまり自信がありません
自分は上司には「怒る」より「叱ってほしい」と思っていながら
逆の立場になったときには、感情的になって
「怒って」しまっていることもあることに気づきます
「怒る」と「叱る」
似た言葉のようで全く意味合いが違うこの二つの言葉ですが
違いは仕事やプライベート、上下関係に関わらず
自分が接する人に対して「愛」があるかだというような
シンプルなことだと・・・
分かっていても中々実践できないのがもどかしい気がします・・(^_^;)
自分は「怒られても」人には「叱れる」人になって行きたいと思います
今まで生きてきた中で一番、自分に対して
怒ったり、「叱ってくれたり」したのは
紛れもなく両親です
特に家にいる時間が長く、何でも気軽に話せる
「母親」はその代表といえるかもしれません
数十回、いや数百回の中に一回くらいの
「怒られ」たことが心に残り
なかなか母親に対して素直になれないことが多いですが
一年に一回だけ、体裁などを気にせずに母親に
「ありがとう」といえる日があります
それが「母の日 」かなと思います
本当はいつも「ありがとう」という気持ちを持って
言葉にしたいときに我慢せずに
素直に「ありがとう」と言えればよいのですが
中々いえません(^_^;)
今年こそ、「ありがとう」という気持ちを
ちゃんと伝えてみようかなと思います
私はこんな「愚息」ですが
みなさんは、
お母さんに最近、「ありがとう」って
ちゃんと伝えていますか・・・・
未来を予約する
卒業・入学・退職
出会いと別れの入り混じる
季節となってきました
本当は
「もう、春ですねぇ」と書き出したかったのですが
お店のある前橋は「真冬」並みの気温です
寒いのも暑いのも苦手な私にとっては
春が待ち遠しいです
と、前置きはこのくらいにして
春は入学・入園の季節なので
お子様用のお箸をお求めの方が多いです
保育園や幼稚園・小学校では
自分用のお箸を持参するところも多いので
インターネットからのご注文でも
店頭のご注文でも
ちゃんと自分のお子様のものと分かるように
「彫刻名入れ」をされる方がほとんどです
そんな中、先日、こんな注文がありました
おじいちゃん、おばあちゃんから
生まれたばかりのお孫さんへ
「名入れ」箸のご注文だったのですが
サイズが、13cm、16cm、18cm、21.5cm、23.5cmの
5膳のご注文で
名入れの内容が
13cm、16cmはひらがなで「しょうた」
18cm、21.5cmは漢字で「翔太」
23.5cmはローマ字で「Syota」
で入れて欲しいということだったので
お話を伺うと
16cmを使う保育園や幼稚園に入るころには
自分の名前が分かると思うので
「ひらがなで」
18cmを使うころはもう、小学校入学だから
自分の名前も「漢字」で分かるだろうから
「漢字で」
そして中学生や高校生になったら
英語も習うのでちょっとおしゃれに
「ローマ字で」
とのことでした
私は満面の笑みを浮かべながらお話される
お客様を見て、ほのぼのとした気持ちになりました
お箸を通して、お孫さんの成長を
いろいろなイメージをされていて
とても幸せそうにお話をされている
お客様は、
ただ単に食器(食べるための道具)としてのお箸を
買われたのではなく、
お孫様の成長をお箸に託して願い
これから見届けていく
幸せな未来を「予約」したような・・
そんなお気持ちだったのではないかと思います
名入れが終わり、お箸をとりにこられた際に
名入れのお名前を一文字ずつ
なぞるように確認されていたその瞳には
お孫様への無限の愛と希望が溢れていました
いかにもすぐ目の前にお孫様がいらっしゃって
あたまをやさしくなでている様な
そんな錯覚をするほどでした
そんなお客様の姿を見ていて
私も癒されて、暖かな気持ちになりました
迷いは一瞬、後悔一生
少し時間があいた更新になってしまいました
最近の私事と言えば
節分の日に仕事が終わって家に帰り
西南西に向いて目を閉じ、
小さな願い事を思いながら
ひたすら無言で
恵方巻きを食べておりました
どれもみなそれぞれに由来があり、
今では恒例行事のようになっていて
いろいろな想い出が作られる源になっていますが
ちょっと「悔しいな」と思えることは
共通して業界の「販売促進」のために
広まったという点です
純粋な気持ちでそれぞれ思いいれのある「行事」が
実は企業の戦略に「のっけられた」と思うと
なんだか照れ笑いしたくなります
それでも「縁起」を信じてしまう自分がいるので
それぞれの業界の人には脱帽です(^_^;)
・・・と前置きはこのくらいにして
仕事にしても、プライベートにしても
生きていくうえでどのタイミングでも
必ず「決断」しなければいけない場面に遭遇します
それは買い物で「キャンディー」か「チョコレート」の
どちらを買おうかというような小さなことから
「受験」や「仕事のプロジェクト」のように
一生に関わるようなことまで
毎日必ず、決断を迫られながら
尚且つ、それを決断しながら
私たちは生きていっているような気がします
(ちょっと大げさですが(^_^;))
みなさんはいろいろな決断をされるときに
スパッと決められるほうでしょうか?
私は何事にも優柔不断で
決めるまでにかなりの時間を要します
とはいえ、プライベートでは
そんな優柔不断でも許されますが
仕事ではそれは通じません
冷静に尚且つ的確に見極め
判断して進めなければ、
おおきな損失になってしまうこともあります
自分が社会人になってようやく
少しだけ仕事を任されるようになったころ
自分にしては重い決断を迫られる仕事があり
会社のことや自分のことなど
いろいろリスクマネジメントばかりを考え
決断できずに躊躇していると
そんな私をみかねた当時の上司が
こんなことを言ってくれました
「「迷いは一瞬、後悔一生」
まずは自分の思ったとおりに決断し
行動してみることだよ
もし、やってだめだったら、
そのときまた、考えればいい
やらないで後で後悔するような
つまらない人生にはするな
たとえだめだったときでも
そのときに悩み考え、どう動くかが
自分を成長させてくれる唯一の手段だ」
この言葉を今でも自分が迷ったときの
指針としています
お箸やさんになってからも
毎日が「決断」の日々です
”お箸やさんを選んだこと”自体が
「賭け」みたいな気もしますが
今のところ、決断は正しかったのかなと思っています
お客様に直接、接客させていただくときも
電話やメールなどで対応させていただくときにも
常に「自分の思ったとおりの決断」をしながら
それがお客様のために一番お役に立てると思いながら
日々すごしておりますが
時には、過去記事 のように自分の「決断」が
ただの知識不足やマナー不足
であったり、勘違いであったりすることも
多いのも事実です
それなのでいつも心がけていることは
自分が間違ったり、失礼と感じさせてしまったと思ったときには
素直に「すみません」と言えるようにしています
時々、「すみません」だけでは済まないような場合もありますが
時間は戻せないので、そのときはいつも以上に
冷静になって、「何が出来るか」を考えるようにしています
「トライ&エラー」でしか成長できない自分を
時々もどかしく感じることもありますが
「迷いは一瞬、後悔一生」
不器用な自分に後悔はしていません(^_^)
もうすぐバレンタインデー
まだ何をあげようか「迷っている方」は
チョコに加えて
「人の心を”つかめる”」お箸もありますよ(^_^;)
見えない絆と「ありがとう」の重み
恋愛に消極的な男性のことを
「草食系男子」と呼ぶのだそうですが
それとは意味合いが異なりますが
カップルや夫婦になっている場合の男性で
今では少なくなってきていますが
少し前の日本人男性は
自分の父も含めて
「江戸っ子」気質な人が多かったような気がします
キップがよく小さいことは気にしない
女性に対しての接し方でも
自分の気持ちは素直に言葉にせず
「そんなこと言わなくても分かってるだろ」というような
そんな、、男らしさは持っているけれど
やさしさを言葉に出来ない
どこかやんちゃな子供のようなところが
なんとも憎めない性格で・・・
自分の父親とも重なったお客様の
そんなエピソードを・・
耳順(60歳)くらいの男性のお客様が来店し、
開口一番、
「こんなにお箸があって、なんて落ち着くんだろう、
しばらく見せてください(^_^)」
いい意味での「豪快奔放」な方だなと思っていました
少ししたころ、奥様も来店され
お二人で別々の売り場を見ていらっしゃいました
時々奥様が「このお箸なんかいいわ」とおっしゃると
旦那様は、ちらっと奥様のほうを見て、
「お前はセンスが無いな、」と
はき捨てるようにおっしゃいました
あまり仲がよろしくない夫婦なのかなと
普段なら感じるところですが
・・何となく違っていました
言い方がどこか温かかったからです
しばらくして旦那様が
「この長寿箸ちょうだい」と
お箸を2膳持ってこられました
ご自分のお箸を買うとおっしゃっていたのに
持ってこられたのは2膳のお箸
ほどなくして奥様が
「あら、私のも買っていただけるの?」と
だんな様に問いかけると
旦那様は
「しょうがねぇ、ついてきちまったんだからな」と
少し照れくさそうに私のほうを向いて言い
お会計を済まされると
商品を受け取る間もなく
「心が落ちついたよ、いいお店だね。またくるよありがとう(^^)」
と先にお店を後にされました
程なくして奥様がレジにこられて
「あんなふうに言ってますが、本当は
私にお箸を買ってくれるつもりでお店によってくれたんですよ」
「いつもああいう言い方しか出来なくて
・・不器用というか・・・」
私が「でも言葉の言い方に温かみがありましたよ」と言うと
奥様は長年付き添った夫婦でなくては
わからない見えない絆で結ばれているのだなと思えるように
「そうなんです。本当はやさしい人なんです。
素直に表現できないだけで・・・・」
私が「きっと奥様の存在が大切なことにいつも感謝していらっしゃいますよ」
とお声掛けすると
奥様はうれしそうに微笑みを浮かべ商品を受け取られ
お店を後にされました
私の父もそうですが母の前では
温かい言葉をほとんどかけません
子供のころはなんて仲の悪い親なんだろう
何で結婚したのだろうと思っていました
でも年を重ねるごとに少しずつわかってきました
母が風邪を引いたときに大好物のものを買ってきたり
偶然を装って何気ないやさしさを不器用にあらわす
「男は必要以上に多くを語らず、背中でものを言う」
そんな古くからの日本の男の美学のようなものが
あるのかもしれません
携帯電話・メール・そして欧米文化の普及によって
軽くなっていく「ありがとう」の言葉と「感謝の心」
気持ちをストレートに表し、受け取ることでしか
不安を取り除けないという
人と人との心のつながりと互いの信用の欠如
夫婦になってもお互いの存在の重みを感じられず
些細なことで相手を疑い
紙切れ一枚でくっついたり離れたり
そんな今だから、、なおさら今回のお客様のように
見えない絆で結ばれた夫婦の姿に
何となく温かみと憧れを持ったのかもしれません
とはいえ
そんな中でベストセラーになっている本の中では
人生の終焉で一番後悔することは
「本当に大切な人に、ありがとうと伝えなかったこと」
だそうです
お客様のような日本の男の美学は
全く持ち合わせていない
おしゃべりな私とは対照的ですが
今日、いらっしゃったお客様が
後悔する前に一度だけでも奥様に
「ありがとう」
といえるような日が来ることを
願ってやみません
目先の得より足元の信用の大切さ
今回はヨシダさんの今年の目標です(^_^)
店長の今年の目標
は
四字熟語で奥深いものでしたが
ヨシダの目標はずばり消去法!
「舌打ちを減らす」です。
なにも生まないし、嫌な気持ちを撒き散らすし
かっこよくない。
ということで、大晦日に決めた
2010年の目標です。
まだ一回しかやぶってません。
年末の話ですが
クリスマスプレゼントを買いに
アウトレットモールへでかけたときのこと。
中古で買って気に入って使っている
腕時計があるのですが
少し前に落としたのが原因か、
デジタルの時計や日付の設定が
おおはばにずれてしまいました。
アナログ表示は合っているから
時間を知るには不便がなく
中古で手に入れたものなので
デジタル表示の設定の仕方もわからず
放置していました。
ボタン長押しとか、同時押しとか
いろいろと試してみてもダメ。
このずれてる時計メーカーの販売店が
アウトレットモール内にあったので
ずうずうしいとは思いながらも
設定だけをオネガイしました。
時計を買う気はゼロ。
時刻の設定はすぐにしてくださって「サスガ」
それから日付の設定なのですが、本体を分解しないと
直せないらしく、意外にてこずらせてしまったようでした。
そして、無事に直りました!!
お礼を言って頭をさげて、しかし
なにも買わずに店を出たわけで
実際のところヨシダしか得をしていませんね。
きっと、お店の方は取り扱い外のメーカーの時計でも
お願いされたら引き受けてくださるんだろうな。
時計屋の名にかけて!!!!
時刻や日付の設定なんてオチャノコサイサイだったかも
知れませんが、CA●IOの店員さんの頼もしさは
しかと心に刻み付けました!
ありがとう!!
無償のサービスという名の愛を受けて
大満足、昔遊んでたキーボードもCAS●Oだったなあ
などと偲ばれるほどにハートウォーミングな一日でありました。
みなさん、
腕時計はCASI●ですよ
壁時計もCASI●ですよ
電卓もCASI●です
キーボードもCA●IOです
カメラも携帯電話もレジスターも
ネコも杓子も●ASIOですよ。
自分も
箸屋の名にかけて、できること
出し惜しみ無く無償の愛を提供したいです。
*目先の利益に囚われることなく
自社の製品に関しては
購入時期や場所を問わず
責任を持つ
これこそ「販売者責任」の鑑ですね
箸久も製造から販売
販売後の修理や拭き漆の塗り直しなど
一貫して責任を持って行っています
「壊れたから捨てればいいや
新しいものを買えばいいや」という
物の飽和状態にある今だからこそ
「温故知新」
ひとつのものを大切に出来て初めて
新しいものの価値が生まれるのだと思います
いい勉強になってよかったね ヨシダさん(^_^)